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ジャック・リーチャーシリーズ「ミッドナイト・ライン」 by リー・チャイルド

読んでみたい本がある場合、私はまずは近所の図書館のデータベースで図書館で借りられる本かどうかを調べる。書籍を購入するとしばらく家の本棚に据え置くことになって置き場に困るし、何しろ経済的だからだ。

とは言っても人気のある新刊本だと図書館での予約待ち数が三桁にも達することもあり、そういう場合は図書館での貸し出しは諦める。

次にAmazonでKindle版の入手可否と価格レベルをチェックする。運よくAmazon Primeで入手できれば会員なので無料で読むことができる。

Kindle版が入手できない、あるいは現物書籍とKindle版の価格差がほとんど無いように価格設定されている場合、邦書であれば書店で新書を買うか、中古で入手するかの選択となるが、翻訳書であれば原書をKindle版か新書で入手するという選択肢がまだ残る。実際これだと流通量の違いから価格的に相当割安感がある。

ただし私の英語力では日本語で読むよりも読書スピードは相当落ちるし、語彙力が偏っているため、特に文学書や小説は、風景の描写や会話で使われるスラングが辞書が無いと理解できないことが多いため、敬遠しがちだ。

文学書や小説のもう一つの問題は、原書に限らないが、登場人物の名前がなかなか覚えられないことだ。邦書で登場人物のリストがカバーに掲載されているのを見ると、本当に素晴らしいと思う。

今回リー・チャイルド著「ミッドナイト・ライン」という小説をKindle版では無く原書で読んだ。文学書や小説を敬遠しがちな私が今回この本を原書で読むことになったのは、コロナ禍の中、知人がご厚意でわざわざ送ってくださったからだ。幸い登場人物も多く無く、何とか楽しめるレベルで最後まで読むことができた。

著者のリー・チャイルドはイングランド出身の小説家。大学卒業後18年間グラナダテレビというテレビ局に就職し、番組制作にあたったが、最後の2年間は労働組合の代表を務め、いわゆるリストラで失業(不当労働行為の香り?!)、作家への転身を決意した。97年、43歳の時に本ジャック・リーチャー・シリーズの第一作「キリング・フロア」でデビュー、その後本拠も米国に移し、米国に関する小説を書き続けている。

「ミッドナイト・ライン」はジャック・リーチャー・シリーズの22作目。私は今回本シリーズを読むのが初めてなのでこれまでの主人公の活躍は知らない。本を読み進めると少しづつ主人公のプロファイルが判明していく。

まず身体が大きい。身長は195センチあり、頑強だ。格闘シーンでは圧倒的な強みを発揮、やられた相手から後に「Big Foot」(米国で目撃される未確認生物の総称)とか「Incredible Hulk」とか表現されている。

決まった住所を持たない放浪者で、歯ブラシ以外の荷物は無い。元米陸軍憲兵隊捜査官として輝かしい成績を残すが、反社会的で反抗的だとみなされている。話し方も簡潔で、無駄がない。

本作はウインスコンシン州の質屋でたまたま陸軍士官学校West Pointの卒業記念指輪が売りに出されているのを発見するところから始まる。同校の卒業生でもあるリーチャーは同校を卒業した者が卒業記念指輪を容易く手放すことが無いことをよく知っている。West Pointの訓練はそれほど過酷であり、卒業者はその訓練に耐えたことを誇りに思っている。指輪のサイズから見て持ち主だった人は小柄な女性だ。リーチャーは彼女が指輪を手放したことに興味を持ち、この指輪の持ち主を探す旅に出る。

指輪の持ち主を追跡調査する中で彼が目の当たりにするのは米国の社会問題となっている鎮痛剤オピオイドの広範な流通網と、いわゆる普通の人々が罪悪感無く中毒に陥っている現実だ。

オピオイドは列記とした薬品メーカーが大手を振って製品化する麻薬性化合物の総称。米国での麻薬の歴史は長く、南北戦争ではモルヒネ、第一次大戦ではコカイン、第二次大戦ではアンフェタミン、ベトナム戦争ではスピード、マリファナ、LSDとその都度乱用者が増え社会問題化して形を変えてきた。

傷痍軍人、慢性の痛み、手術後の痛み、抗がん剤治療による痛みに悩む人たちの治療に効果的だとして使われてきたが、1995年、ある米薬品メーカーが、オピオイド系の鎮痛剤を開発、医師の処方箋があればだれでも近くの薬局でいつでも購入できるようになり、さらに薬品メーカーが「安全で常習性が低い」と宣伝して乱用者が激増した。

2007年にFDAの調査で同社の違法性が発覚、同社が多額の罰金を支払い、一旦下火になったが、2010年から数社が製造するようになり再び乱用者が増えた。CNNは「鎮痛薬オピオイドの濫用により2017年1年間に170万人が精神障害を引き起こし、そのうち4万7000人が死亡した」と報じている。

麻薬というと、トイレで人目を忍んで注射針で打つ、というイメージがあるが、オピオイドは普通のタブレット剤なので罪悪感を感じにくい。小説の中では、すでに当局が薬品メーカーの生産段階から追跡して闇ルートでの流通は今後細っていくはずだ、と麻薬取締役官に語らせているが、実際には抜け道を次から次に編み出す様子が描写されている。

中毒症状にあるたくさんの普通の人々にオピオイドが届かなくなると彼らにとって新たな悪夢が始まる。彼らはオピオイド入手のためであれば、何でもする。そう、West Pointの卒業記念指輪であっても手放すのだ。

これ以上ストーリーに触れるとネタバレになるので止めておくが、小説を通じてリーチャーと元FBIの探偵、麻薬捜査官や軍関係者などのプロ同士の尊敬と連帯感が表現されており興味深い。

一方まだ経験年数が3年と浅い日系米国人の女性刑事Gloria Nakamuraが登場、終始上司からの指示通りに動き、最後に一か八かの一線を越す決断をするが、敢え無く容疑者に返り討ちに遭う。彼女がリーチャーからの尊敬とプロ同士の連帯感を得るにはまだまだ経験が必要だ。

ジャック・リーチャー・シリーズはトム・クルーズ主演で2012年に第九作の「アウトロー」が、2018年に第十八作の「ネバー・ゴー・バック」が映画化されているが、どうもトム・クルーズ主演はこれで打ち止めらしい。

リー・チャイルドは「わたしはクルーズとの仕事を本当に楽しんだ。彼は本当に、本当に、ナイスガイなんだ」としながらも、「だが、究極的には読者たちが正しい。リーチャーの大きさというのは本当に重要であり、彼が彼であるための大きな要素なんだ。リーチャーが部屋に入ってくると、(その体格で)人は皆少しナーバスになってしまう。クルーズは素晴らしい才能に恵まれているが、その体格は持っていなかった」という。リー・チャイルドは別の俳優でストリーミングサービスのドラマシリーズを準備中らしい。

なお、リー・チャイルド自身はジャック・リーチャー・シリーズをリベンジの物語としている。これはどうもグラナダテレビからリストラされた怒りを原動力にしているということらしい。

トータル23作にも達して、未だ尽きないリベンジとは、相当リストラ当時頭に来たのだろう。ジャック・リーチャーが反体制的で反社会的として描かれていたり、プロ同士の連帯感が小説を通じて描かれている理由はリストラと労働組合の代表経験にあると捉えて間違いないだろう。まさに「身銭を切る者」だ。


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