見出し画像

ブックレビュー「Web3とメタバースは人間を自由にするか」

本書のタイトルはいわゆるクローズド・クエスチョンといわれるもので、YesかNoかの答えを迫る。その質問はもちろんタイトル通りなのだが、著者はプロローグで次のように言い換えている。

現在のAIの進化とテクノロジーによる「支配と隷従」は、エリートと一般人に社会を分断し新たな階級社会をつくっていこうとしている。しかし逆に新しいテクノロジーによって、そのような階級社会の誕生を阻止することはできないのだろうか?
それが本書のテーマである。

Web3とまたバースは人間を自由にするか 佐々木俊尚

新たな階級社会という発想には、ビッグテックのエリートたちが、テクノロジーによって一般社会の人が気がつかない内に個人情報を収集し彼らを支配し、自由を奪っているという考え方があるからだ。「監視資本主義」とも呼ばれている。

ただ「監視資本主義」に警鐘を鳴らし、ビッグテックのようなエリート層による「支配と隷属」を厳しく批判する人がいる一方、無料で動画やゲームが楽しめ、友人に無料でメッセージを送れるような「安楽な生活」ができるのなら「プライバシーなんて要らない」と思う人がいるのも事実だ。

2020年代になってブロックチェーンを使った「Web3」で失われた「自由」を取り戻そうというムーブメントが起きた。さらにDAO(分散型自律組織)という、ブロックチェーン技術を使って民主的に決定したルールをスマートコントラクト化することで特定の支配者を置かずにメンバーが自主的に運営する新しい組織形態が脚光を浴びた。

しかし「自由」には「責任」が伴うDAOに所属するメンバー全員が同じレベルの責任を果たすことは小さい組織の間ならできても、組織が大きくなればなるほど難しい。本書の著者は、「完全な自由」は気持ちの良いスローガンだが、我々は政府にしろ警察にしろ中央集権によるコントロールという「必要悪」を許容していることを忘れてはならない、として「完全な自由」の実現という幻想を切り捨てる。

そもそもビッグテックのエリートを糾弾する反「監視資本主義」そのものがエリートの発想で、「自由は無いけれと安楽な暮らしができている」貧困層を無視している、と指摘する。そういう発想をするエリートである彼らはリバタリアン(完全自由主義)でもあり、テクノロジーと金を配れば弱者が救済できると信じている。

こういった弱者救済の観点が無いリバタリアンの発想に陥らずに「安楽な暮らしを維持しながら自由を実現できる社会」が新しいテクノロジーで構築できないのか、というのが筆者の問いである。

「完全な自由」を求めてDAOやNFTに無理を強いたり、「支配と隷従」を完全にやめてしうまおうと考えるのではなく、「完全な自由」は諦めて、独善的にならず公正に運用されるようなレベルのシステムを検討していけば良いとする。

そして筆者は「トークンエコノミー」がそれを解決する可能性を持つという。

「トークン」はブロックチェーン技術を使って発行される暗号資産のようなものだが、ビットコインとは違って、「管理者」が存在し、会社でも個人でも発行でき、金銭以外の色々な価値を付加できる。ポイントと似ているが価値が変動する点が違う。

トークンは「金銭的な価値(セキュリティトークン)」、「サービスとの交換の価値(ユーティリティトークン)」、「株式的な価値(ガバナンストークン)」という三つの機能を融合させることができる

さらには「参加」と「承認」という精神的な意味をもたせることもできる「推し」の社会化である。クラウドファンディングとも近いが、クラウドファンディングが出資者と被出資者の関係が一回限りであるのに対して、トークンでは長い関係を築くことができる。

トークン発行が活発になると「投資する側」と「投資される側」が入れ替わる。トークンによって応援というものが相互に網の目のようにネットワーク化されていく。誰もがトークン発行者でありトークン保持者になる。また現在のSNSはこのトークンを組み合わせることで参加と承認を実感できる新しいSNSになっていく。

Web3は同時に情報を分散化しプラットフォームが独占する情報を他のプラットフォームでも利用できるように「ひらく」可能性があり、これによりプラットフォームのネットワーク効果(囲い込み)を抑制する。

そして筆者はトークンエコノミーと並んでメタバースと自動運転も「関係と承認のテクノロジー」になるのだ、という。2022年現在のWeb3は「山師のお祭り」のようなもので、「一発あてよう」「大儲けしよう」という投機的なバブル騒ぎだったが、トークンエコノミーにしろメタバースにしろ「関係と承認」を実現するものとして普及していく価値のあるものだ、という。

すなわち、本書のタイトルにもなっている先の問いに対して、Web3は「完全なる自由」を実現することは無いが、「自分は社会に承認されている」、「自分は他者に見つめられている」という現代社会の難題の一つである「関係と承認」を解決する上で支えるテクノロジーになりえる、ということを本書で主張したわけである。

さて本書が発行された2022年12月時点でのWeb3はまさに著者が指摘する「山師のお祭り」状態だったのだろう。そこにはうさん臭さがつきまとい、さらに「完全な自由」という非現実的なロマンチシズムを筆者は指摘した。他のWeb3関連の本でもこの頃の異常なHypeを戒める論調が多い。

ただトークンエコノミーやメタバース、さらにはWeb3に含めることが一般的では無い自動運転という新しいテクノロジーが「関係と承認」の問題を解決するためにビッグテックをも飲み込んで進化していく、という本書のストーリーについては別の意味でのテクノロジーへのロマンチシズムを感じぜざるを得ない。それらのテクノロジーが面白い技術であることは事実だが、果たしてそれでなければならないかどうかは疑問だ。

因みに本書でもトークンエコノミーの事例として挙げられている山古志DAO。岡嶋裕史氏の著書「Web3とは何か」では基礎自治体のDAOについて次のような疑問が呈されている。

基礎自治体がDAOを使う。珍しいうちは耳目を集められるだろう。NFTとガバナンストークンを組み合わせて購入してもらえば、集金もできて地方行政の担い手も確保できてほくほくである。しかし入札が引きも切らないNFTをそんなに用意できるのか?(中略)NFTを使うために新しい特産品を作るというのは本末転倒ではないか。ふるさと納税で集金するための贈答品をひねり出すのにも青色吐息なのに?(中略)ふるさと納税と同様に、NFTも手段に過ぎない。(中略)NFTを使うために新しい特産品を作ってしまおうといった試みは本末転倒以外の何ものでもない。

「Web3とは何か」岡嶋裕史

一つありえるとすれば今後10-20年の間にZ世代やα世代が就業人口のマジョリティを占める時代が来るということだ。彼らはデジタルネイティブでありテクノロジーへ慣れるのも早いので彼らが社会で力を持つとともに社会変革が起こりえるということだ。その時のキーワードが「関係と承認」なのだろうか。

最後に一つ。著者が指摘するところで私が個人的に腑に落ちたのが「贈与経済」についてだ。

貨幣経済以前は、モノとモノとを等価で交換するのではなく、人が人にモノを贈り、それに対してモノで返礼する経済だった。そこでは交換されるのは等価では無く、贈りものに対して反返ししたり、多く返礼したりしていた。貨幣経済にまみれた現代人は負債を残すことを嫌悪するが、贈与経済時代にこの貸し借りが等価で無かった理由が面白い。

負債を清算してしまうと、そこで関係が終わってしまうと当時の人は考えたからである。清算してしまえば、次に会う用事がなくなってしまう。だから、清算せずに、少しの借りか貸しを残しておくことで、次に会う理由がつくれる。つまり負債は、関係を接続するためのものになっていたということなのだ。

「Webとメタバースは人間を自由にするか」佐々木俊尚                                                                                                   

先にブックレビューした「影響力の法則-現代組織を生き抜くバイブル」ではレシプロシティ(互恵性)の重要性が指摘されていた。このレシプロシティを実現する上で大切なのは、清算することでは無く、「負債を敢えて残す」ことなのではないか。

著者のおかげで、レシプロシティ実現のコツを一つつかんだような気がする。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?