見出し画像

【短編小説】星空に向かって乾杯をした僕の彼女は、さっき見たバンドのベースの男が世界一好きらしい。




待ち望んでいた時間は、待つ時間は長いのに始まれば一瞬で終わる。

真夏の熱気に身を包まれながらも、沈みかけていた太陽にどうだ?まだ暑いだろう?と高笑いされながらも、次に出演するバンドの演奏が始まる時間を僕らは前方のステージを見つめながらただただ待っていた。

「次のバンドの演奏が終わった頃にはさ、もうこのまま死んでもいいやって思えるほど満たされた気持ちになっているんだろうね」


前方のステージを見つめたまま低い声で言うもんだから、一瞬僕の目の前が陽炎のようにユラユラと揺れた。えっ?と聞き返そうとした瞬間、彼女はクルッと僕の方に顔を向けて微笑んだ。僕は、そんな彼女の笑みに答える事なく目を細めながら生唾を飲み込んだ。たまに冗談なのか、本気なのか分からないトーンで言い放つ彼女に、僕は何年経っても慣れずにいる。



「君がもし死んじゃったら…」



僕がそう言った瞬間、目の前のステージから眩い光が会場一体に解き放たれる。光に照らされた観客達は次々と自分の拳を天高くに上げて歓声を上げる。待ち望んでいた時間が、ついに始まったんだ。


言いかけたセリフの代わりに、僕も歓声に混じって叫んだ。嬉しさと、彼女が言った死んでもいいやという言葉に対する悔しさが混じった声の色で。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


しん、と静まり返った会場に、ボーカルの感謝の言葉がマイクを通さずに響き渡る。観客はそれぞれの形でステージを去っていくメンバーに最後の感謝の気持ちを伝え、姿が見えなくなるまで手を振る。



ふと横を見ると、彼女の目元が光っているように見えた。僕は見て見ぬフリをして「すごくよかったね」と共感の意思を伝える。彼女は汗を拭く為のタオルを目元にギュッと押しつけ、そしてゆっくり口を開いた。

「やっぱりさ、この後わたしが本当に死んじゃったら…」


台詞の途中で、急に笛を吹くような音が鳴ったと思った次の瞬間、夜空に大きな大きな花が咲いた。



帰ろうとしていた観客は足を止め、夜空を見上げる。それぞれが、どんな思いを抱きながら見ているのだろうか。

ここにいる一人ひとりの人生が、この花火のように大成功を喜べるような人生になるはずもないのに、今日だけはつい同じような事を思ってしまう。生きてて良かった。今日も最高に幸せだった、と。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



渋滞を抜け、ようやくアクセルを一定に踏めるようになった頃には時計の針が22時を半分程回っていた。

僕達はコンビニで夜ご飯を買って、泊まる予定のビジネスホテルでゆっくり食べようかという話になった。結構フェス帰りはこのパターンになる事が多い。


目の前にコンビニの灯りが見えた。妙な安心感と、現実に戻された無感情が混ざり合い、何ともいえない表情を浮かべながら溜め息を吐くと、助手席に座っていた彼女は察したかのように「あー、現実だね」と共感してくれた。寝てたかと思った、と言うと、寝れるわけないじゃん、と意味深な台詞を放った彼女は、何故か僕の顔を見つめていた。


好きなものをカゴに入れて、会計を済ます。買った袋の中からお互い飲み物だけを手に取り、どちらかが言わずとも自然とコンビニの前の柵に腰掛けながら飲み物を啜る。僕にとって、自然と決まり事になったこの時間は、ちょっと好きだったりする。


今までとひとつだけ違う事は、彼女は毎度飲んでいるカフェオレではなく、甘さ控えめな方のカフェオレを飲んでいた事だ。僕は彼女に「いつものじゃないんだ?」と言おうとしたが、空っぽな表情で空を見上げていたのでそのまま言葉を胸の内に飲み込む。




「やっぱり、死にたくないかな」




彼女はポツリと言った。
僕は、バナナオレを啜りながら次の言葉を待つ。


「だって、私が本当に死んじゃったら、たぶん貴方も死んじゃうでしょ?」


いろんな意味でさ、と付け加えながら足元に転がっていた石ころを蹴った彼女は笑っていた。僕は、バナナオレの甘さは平気なんだよな、と別の事を考えながら、こう続けた。


「君がもし死んじゃったら、俺も死ぬかも」


いろんな意味でね、と付け加えながら、さっき遠くに転がった石めがけてまた石を蹴った。



なんだ、同じこと考えていたんだと心の中で笑い合った。



「そういえばなんで今日は別のカフェオレにしたの?」

「えっ?だって貴方が唯一飲めるカフェオレだったから、かな。そんな貴方も、なんでそんな懐かしいもの飲んでるの?」

「え、だって…気づいた時には手に取ってたんだよね。」

そして、お互いの飲み物を取り替えっこしながら、二人は上を見上げた。そこには大きな花火ではなく、小さな星たちが唯一無二の輝きを懸命に夜空に残そうとしていた。

この星たちのように、僕達も、生きよう。

そんなくさい台詞が脳内をよぎったが口にださずにいると、隣にいた彼女は笑って夜空にバナナオレをかかげ、星達と乾杯をしてみせた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?