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何を書いたらいいでしょう?

独立時、ぼくが持っていたのは

「書くこと」

だけだった。

お金もないし、有名企業出身とかの看板もないし(ディズニーランドやスターバックスで働いてました、みたいな)、特別な才能もない。

ただ、「書くこと」は好きで、子どもの頃から書いていた。

noteは「書くこと」に興味ある人が多いと思うので、今日はその話をしますね。

何を書いたらいいでしょう?

「特別なこと」「人が読んで感心するようなすごいこと」を書こうと思ってる人、多いんじゃないかな。それって、まったく考えなくていいよー。

スマホ画面。10人いたら10、100人いたら100、1,000人いたら1,000の違う画面だよね?

そして、同じ人でも、一年前とは画面が変わってるはず。興味関心が変わるから。スマホを買い替えて、クラウドからダウンロードしたら、「昔は使ってたけどいまは興味なくなった」アプリが出てきてびっくりすることがある。

人の興味関心はいつも動いてる。動いてるから面白い。

そして、読む人は、「自分にないもの」を読みたい。

どこにでもある、いつでも耳にするような話は読んでもつまらない。

たとえばぼくは

・競争はなくなる

・大企業は存在し得なくなる

・学歴社会は終わる

などをずっと書いてる。

これ、少数意見だと思うよ。大手の新聞・雑誌記事、テレビニュースはいまだに「競争」「大企業」「学歴」を前提として作られてるから。

いま思ってるのは、「今回の大統領選が最後のダメ出しとなり、覇権国としてのアメリカの時代ははっきり終った」。

「では次の覇権国は?」という話に当然なるし、投資家ジム・ロジャーズは「中国」と言い切ってるんだけど、それって資本主義や経済中心社会を前提としての論であり、ぼくはそうは思わない。というか、意味がない。

デジタルは個人にパワーを与えた。

「覇権国」の発想のベースにあるのは「国」であり、「国が個人よりパワーを持っている」という前提だ。

でもさ。

もう、違う気がしてならないんだよ。

第一次世界大戦後、アメリカが経済的に力を持った。

でも2020年の大統領候補たちを見てもわかるようにその国のリーダーが「人として」尊敬できる人格や人柄は育ったんだろうか。なんか、違うよね?

もちろん、ぼくのアメリカ人の友人には尊敬できる仲間も一杯いる。

だから「アメリカは」という大きなくくりでは語れない。

では中国はどうか。中国も同じく、個人1人ひとりについて語る必要があって、ざっくり「中国人は」というのは乱暴な議論だ。

だからそもそも「覇権国」という発想そのものが終ったんだと思う。

「経済ゲームはもう、終わりにしようね」に書いたとおりで、もう、地球は答えを出してると思うんだ。

「経済ゲーム、やめな」

と。

あれ!? 今日は「書き方」について書くはずが、なんか違う方向へ行っちゃった。

そうなんです。そんな感じで、自分が思ってることをそのまま周囲に忖度せず、書いちゃえばいいんです。

答えになってない? ごめんねー、何しろロックンローラーなもので。

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