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最高なことは、偶然起きる

ふと気になった。

ガラスのコップにうっすら何か付着してる。太陽光線に透かしたらよく見える。いつもきれいに洗って、水分も拭っているのに。水垢。10年も使えば、こうなってしまうのかもしれない。

そこで激落ちくんの登場・・・消えない。こういう時のためのエース重曹×激落ちくんツートップ。消えない。そうか、歯磨き! 出張時ホテルから持ち帰った歯ブラシと歯磨き。消えない。ホテルアメニティ歯磨きに実力ないのかもしれないと、ホワイトニングなんちゃら配合のいい歯磨×激落ちくん。やはり消えない。

結論。消えない・・・という落ちに55分かけた日曜朝なのであった。どなたか水垢の落とし方、教えて下さい。

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さて。ぼくは映画『ファインディング・ドリー』が大好きである。

『ニモ』の時からドリーの個性が好きだった。彼女はとにかく忘れる。覚えてられない。ということは、因果関係からフリーに生きている。その姿勢が生き、結果、ニモを見つけるのに大きく貢献するのだけど、対照的にニモパパ(マーリン)は根っからの心配顔(自分でも言ってる)。「ああすれば、こうなるんじゃないか」といつも計画してる。ところが現実はその計画から大きくずれる。ずれて、あわてる。

「最高なことは偶然起きるの。それが人生よ」(ドリー)

海に帰るのをこわがり、水槽の中で平穏に暮らしたい、と言うハンク。彼はミズダコなのだが、事故で脚を一本失くしてしまった。それ以来、子どもが苦手。外の世界はロクなことがないと思いこんでいる。水槽にいる限り、えさの心配もないし、外敵に襲われる恐れもない。

しかし、人生の楽しさはそんなところには、ないだろう。

「犬も歩けば棒に当たる」物事をしようとする者は、それだけ災難に遭うことも多い、という意味という。

「犬様の、イヤ犬房様のと、犬も歩けば棒にあふ」(浄瑠璃・蛭小島武勇問答(1758)

「災難」には限らない。「幸運」に出逢うこともあるんじゃないか? 同じく浄瑠璃にある。

「犬もあるけば防風の刺し身のけんによもない仕合せ」(浄瑠璃・賀古教信七墓廻(1714)」

『ニモ』『ドリー』2本の映画両方から受け取ったメッセージは、「偶然こそが人生の彩りを増し、豊かにする」。自分の人生を振り返ってもそうだ。計画からずれた場所に奇跡やラッキーが待ち受けていた。いちいち昔話してもつまらないから書かないけど、本当にそうで、いまぼくがここにいて、本書いたり、コンサルティングしたり、セミナー講師したり、カンファレンスでキィノートスピーカーしたりというのも、すべて偶然が運んできてくれたものだ。やろうとしてできたものは何一つ、ない。

「AならばB」が定石だとしよう。必然。ところが、AなのにCというのも、起こる。これが偶然。その時「Bが良かった」と思わない。「C? 面白くなってきた」と受け止める。

このドア開けたらトイレのはずが、目の前に地中海広がっていたら楽しいよね。現実にはあり得ないけど、夢の中では起こりうる。夢は、偶然の面白さを教えてくれている。

必然は何もしなくてもきっちりと起こる。しかし、偶然は、何か行動しないと起きない。つまり、人生を豊かにしようと思えば、動くことだ。

コロナちゃんで、これまでの必然、定石がすべてひっくり返った。たとえば、「いい学校出て、いい会社」というものがある。この場合の「いい会社」って何? 基本テレワークで、10時、13時、16時オンラインミーティング、上司が理解しやすく受け入れてくれる社内の定石に沿う提案だけをするのが「ちゃんとした会社の生き残り策」だ。必然の繰り返しで、そこに偶然の入り込む余地はない。面白くない。

それより、よくわからない、保証のない世界へ飛び出すことのほうが人生を豊かにする。偶然に出会う確率が高まるからね。コロナちゃんが、舞台セットしてくれている。

飛び出そう。

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