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自分のためにあるんじゃないから。顔は。

昨日ある人と話していて、とてもパワーもらった。その人の顔が福相だったんだ。手相は、あれって、ただのシワだから、ぼくは気にしない。でも、顔の相って、中身が出るよね。だから中身が良いと、顔の相も良くなるんだ。

でね。

気づいた。鏡を見ないと自分の顔は見えない。手とか足とかなら、見ることができる。でも、顔は自分では見ることができない。なぜか。

自分のためにあるんじゃないから。顔は。

人は一人では生きていけない。必ず誰かの力を借りないと生きられない。その、「誰か」のために、顔はある。ニコニコして、会った人が気持ち良くなれるようにする。そうすると、「助けてあげよう」となる。苦虫噛み潰したような顔では、誰もそんな気にならない。

会社のエライさんは、「肩書」にみんなが反応する。中身にはしてない。でも本人はいたって不機嫌な顔である。肩書にしてもらっていることを知らない。ぼくの会社員時代の最後の部長がこのタイプで、何か相談があって席に行くと、老眼鏡を鼻下へずらし、上目で見る。あのしぐさ、誰がやっても「感じ悪く」なるから、気をつけようね。その上目だけで、相談する意欲が失せた。何があってもこのひとを助けようとは思わなかった。

みんなが話しかけてくるのは、「肩書」という「有効期限つき」のものがあるからであり、会社を卒業した途端、そう、60歳か65歳で有効期限が消える。人生100年時代、残り40年を、会社員時代使い慣れた「もみない顔」で過ごさなければならない。「もみない」というのは大阪弁で「(料理などの味が)まずい」という意味。「相手を気持ちよくさせる」顔レッスンができていないから、いいことは起こらない。もちろん、奥さん始め家族もおとーさんの「もみない顔」しか見てないから、優しくしない。場合によっては熟年離婚になる。

自分では見えない、という意味では、背中もそうだね。背中は自分のためにあるんじゃない。ほら、比喩で「背中を見せて育てる」って言うじゃない。あれって、真実言ってると思う。顔と同じく、背中にその人の中身が出る。

ぼくは歩くとき、特に背中に気をつけてる。誰が見てるかわからない。

顔と背中。ほんとうの意味の大人は、この2つのケアを怠らない。

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ピカソ。立ち姿、かっこいいよねー。

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