イーロン・マスクの涙のわけ
仕事初めてる。
銀行へ行き、郵便局で納税したりしてると、身体がシステムに沿って動く快感を覚える。ATMから現金引き出すためには、システム通りやらないと動かん。
一方、「これじゃいかん」と、システムから脱する欲求も出る。
この、システムというのは、言い換えれば「当たり前でしょ」というやつなんだが、全然当たり前じゃない。
正月三が日は平穏無事で、何事も起こらない
というのが今年元旦まで日本人の「当たり前でしょ」だった。ところが元旦といい、二日といい、大変なことが起こってる。
思い出すのが、ハイゼンベルクだ。要するに、電子というものは存在する。するが、常に「そこにある」という存在の仕方はしていない。
郵便ポストが立ってるようには電子は存在せず、何かとの関係が生まれた場合のみ、存在する。そして、常に動いている。
数式化すると;
ΔxΔp≧h/4π(h はプランク定数)
なのだが、これは現実わしらがいる空間に成立する数式ではなく、数学空間内限定の話だ。まあ、これは放っておくとして、『シンプソンズ』を観る意義はこういうところにあると思う。どういうところかというと。
勝手気まま
が真実なのに
ルールでそこに決めつけようとする。
違う。
勝手気ままに飛び回れ。
人間というのは、ややもすると自分たちで決めた「決まり」をルールとし、逸れると「あかんこと=罪」とする。『罪と罰』で書いた。
わが家は『シンプソンズ』が共通言語で、昨夜夕食時も点天の餃子焼きながら楽しんだ。子どももぼくもこれで英会話学んだ。
マージがサンドイッチのフランチャイズ店を始める(フランチャイズの落とし穴、シーズン26、第3話)。制服やら調理器具やら本部が何かと売りつけてくる。
「自分たちの儲けしか考えてないのかしら。そんな会社ってある?」
と、右にドカン、「FOX」。
シンプソンズの制作会社FOXを茶化してる。日本じゃ、まず、できない。いや、アメリカでも、タブーだろう。
マージの双子の姉たちがヘビースモーカー。登場時、珍しく吸ってない。
「わたしたち、ディズニーだから」
と、ミッキーマウスの耳帽子被ってる。皮肉。
シンプソンズ、いつの間にか、ディズニー傘下になった。でも反抗は終わらない(実際、ディズニー・プラスで視聴しているのだが)。
イーロン・マスクが登場する。本人の声。『アイデアの宝庫』(シーズン26、第12話)。
突然、宇宙船がホーマー家の庭に着陸。出てきたのがイーロン・マスク。
知ってるのはリサだけ。「自動車産業を変えた偉人よ!」リサはエコな人だから、憧れの目だが、ホーマーはなんとも思わない。
「アイデアが尽きた。だから一人静かに宇宙船で散歩してるんだ」
ホーマーがいつもながらわけのわからないことを言う。そう、彼は「わざと」「笑わそうとして」わけのわからんことを言っているのではなく、脳の回路がおかしい。そもそもこういう設定、子どもも見るアニメではご法度なのだが、シンプソンズはまったく気にしない。そこがいい。
ホーマーの「ぶっ飛んだ」アイデアがイーロン・マスクを刺激し、彼はどんどん新しい着想を得る。そして街唯一の産業である原発の社長と組む。結果、街には失業者があふれ、ディストピアとなる。
イーロン・マスク本人が出演しているのに彼が手を下すとエコによる失業、街の破壊が生まれる、というとんでもない展開。
最後、失望したイーロン・マスクは宇宙船に乗ってどこかへ立ち去る。船内、ホーマーのホログラムを見て、涙しながら。街に平和が戻る。
飛び立つ宇宙船を見上げて、リサ。
「エコな人なのに、大量の燃料使うのね」
『シンプソンズ』効果は、端的に言うと「楽になる」。
ぼくたちがしんどい思いをするのは「ねばならない」「こうあるべきだ」という「べき論」だったり、「決まり」だ。イーロン・マスクが体現した「エコ」も、「べき論」「決まり」。
ホーマーは「決まり」をすべて壊してくれる。
「べき論」など、きかない。
電子が郵便ポストのように存在しないように、ほんらい、宇宙のすべてのものは「あちこち飛び回ってる」。
だとすると、ぼくたちをがんじがらめに縛り付けるものからは解放されるのが本当の姿だ。
しごと始めに、シンプソンズから始めることができて、なんだか幸先いい。日本でいうと『サザエさん』なんだろうが、全く違う。
仮想通貨やSNS、AI、ロボットなど現代の風俗をいち早く取り入れている。そして、アメリカ人の「おバカ」なところを散々こき下ろす。
さあ、今夜もシンプソンズするよ。全員集合。
オレのありがたい話は誰も聞かないが、シンプソンズとなると家族全員集まるのはどういうことだ。