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『アンディ・ウォーホル・キョウト』

《Day Critique》144

『アンディ・ウォーホル・キョウト』
@京都市京セラ美術館

 個人の専門美術館としては世界最大と言われるアンディ・ウォーホル博物館の所蔵作品展。100点以上の日本初公開作品が来ており、知らない初期作品にも数多く触れることができた。

 ウォーホルは商業イラストレーター時代にシューズメーカーの広告を手掛けていたことで知られるが、数十種類の女性ものの靴がぎっしり描き込まれたドローイングなどはまさに差異の戯れといった趣で、後のキャンベルスープ缶や色違いのシルクスクリーン作品につながる萌芽が見えた。だがこの初期の作品から、レアな日本の生花のドローイングや後の著名人のポートレイトまでを通して見ると、ウォーホルの絵画の肝が浮かび上がってくるようだった。

 たとえば《孔雀》という最初期の作品は、鏡像反転した2枚の孔雀の絵を並べたものだが、一方は黒いインクで描かれただけのモノクロの画面で、一方はその孔雀を金箔で着彩したものになっている。両方に共通するこの黒いインクの線は、ブロッテド・ライン(blotted line)と呼ばれるウォーホル独自の手法で描かれたものだ。ブロッテド・ラインとは、非吸水性の紙にインクを載せて別の紙に写し取るという、いわばもっとも原始的な版画の技法で、これによって生まれる滲んだ線が当時大変な評判を集めたという。しかし重要なのは、まず線によって画面が分割され、次に各領域の上に自由に色が置かれるということだ。だからブロッデド・ラインで描かれた版画は、複数の色のヴァリエーションを持つことができる。もう少し詳しく説明してみよう。

 後にウォーホルは自らの線ではなく写真をもとに版を作るようになるが、花の連作やマリリン・モンローの肖像においてもやっていることはブロッテド・ラインと同じである。ウォーホルは写真の中に画面を分割する線――たとえば顔の輪郭やアイシャドウの際を見出し、その線に沿って色の版を作っている。これがもし線から出発するのではなく色の配置から画面を構成したのであれば、色と色が適切なボリュームと位置関係を保つヴァリエーションはふたつと存在しないだろう。だが線を一義的なものとするウォーホルの画面においては、色彩は二義的なものとなり、複数の色の組み合わせを許容するようになる。ゆえに花やマリリン・モンローのイメージは異なる色のヴァリエーションがいくつも作られるのである。これは我々のよく見知った「ぬり絵」の構造そのものではないか。また、凹版印刷を主とする西洋の版画が、尖った道具で版を傷つけた跡――つまり線から始まるものであることを考えると、ウォーホルは伝統的な意味でも版画作家であったと言える。

 私はこのウォーホルの作品を見て、畑中宇惟の絵を思い出した。ウォーホルと同じくイラストレーションに出自を持つ畑中の作品の中には、クレヨンで描いた線を別の紙に転写し、その上に水彩絵具で着色したものがある。ブロッテド・ラインによるウォーホルの絵画とまったく同じことをやっているのだ。一義的な線と二義的な色によって完成する畑中の作品は、どれもかなりウォーホルと似ているが、最新作では線と色に対してまた異なるアプローチが試みられている。長足の進化を続けている今の畑中の絵は見逃すことができないだろう。

 ところで、今回のウォーホルの展覧会では、スマホでの撮影はOKだがその他のカメラや三脚を使用しての撮影はNG、という注意書きが掲出されていた。もちろん作品を背景にした自撮りなどもお控えいただきますように、と。現在、美術館での写真撮影が急速に認められつつあるが、混雑が予想される展覧会において人の流れを阻害する行為を禁じつつ、スマホの写真を気軽にSNSでシェアしてもらおう、という目論見だろうか。……と思っていたら、公式サイトのビジュアルはウォーホルの作品をバックに女性モデルを収めた完全に「映え目線」の写真だった。どないやねん。

(2023年2月7日記)

※トップ画像および本文下の1枚目の画像は、展覧会公式HPより転載

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