俳優 生津徹 の「鹿威し研究会」

俳優。ファザーズコーポレーション所属。日本初の「鹿威し研究家」。

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俳優。ファザーズコーポレーション所属。日本初の「鹿威し研究家」。

最近の記事

「ボウルの前に座る人」

あらすじ:  川沿いにある空き地の一角に、ある時から男がずっと居る。 ボウルを前に置き、胡座をかいて、じっとボウルの中を覗いている。 何が見えるのか、何を待っているのか、何を探しているのか。  レンズ工場を営む男は、スマホ全盛の波に乗り何不自由無い生活を送る。 自宅から川を見ると、ボウルの前に座る男が目に入る。  歪な出会いが、潜在意識を波立たせる。 本文:「ボウルの前に座る人」  扉が開いた。光と風が入ってくる。薫る風が全身を撫でて行く。独りで居たいから開いた扉をしっか

    • 聖地巡礼(第1回現地レポート)

       記念すべき第1回現地レポートは、我が聖地「落柿舎」を訪れました。好天に恵まれ、朝の済んだ空気に包まれた落柿舎の佇まいは正に「聖地」と呼ぶにふさわしいものでした。  事前に取材を申し込むと、執事の櫻井様は快く承諾してくださり、わざわざお時間を作って対応して下さいました。櫻井様の、四季を通じて様々な美しさに触れられるこの「落柿舎」への愛情に感激しました。櫻井様とのお話の様子は、近々動画を配信する予定ですので、そちらでご堪能下さい。落柿舎のこと、鹿威しのこと、庭のこと、花や木の

      • 鹿威しの魅力

         「鹿威しとは、大自然と人間の調和を示す指標である。」(生津)  もともと「添水」(そうず)と呼ばれたこの装置の歴史を辿ってみると、奈良〜平安時代の高徳の僧、玄賓僧都(げんぴんそうづ)の故事、それを受けた江戸期の石川丈山と詩仙堂。「鹿威し」と呼ばれるようになったのは昭和に入ってから。と言った流れになるようであるが、実際のところ、この装置について事実に基づく明確な資料は現存しないようである。ただ、現在でも「案山子」のことを「そうづ」と呼ぶ地域があったり、「鹿驚」と表記して「か

        • 日本で初の鹿威し研究家

           本日、2021年(令和3年)5月5日水曜日、私、俳優 生津徹(きづとおる)は、日本初の「鹿威し研究家」を名乗らせて頂く運びとなりました。  皆様、何卒宜しくお願い申し上げます。  さて、なぜ私がこの度「鹿威し研究家」を名乗るに至ったかという話をさせて頂こうと思うのですが...   半分は大真面目、もう半分は思いつきといったところでありまして、真剣に鹿威しと向き合うつもりではありますが、しょーもない戯言程度に気軽にお付き合い頂く分にも大歓迎でございます。  数ヶ月前、私