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日本で初の鹿威し研究家

 本日、2021年(令和3年)5月5日水曜日、私、俳優 生津徹(きづとおる)は、日本初の「鹿威し研究家」を名乗らせて頂く運びとなりました。

 皆様、何卒宜しくお願い申し上げます。

 さて、なぜ私がこの度「鹿威し研究家」を名乗るに至ったかという話をさせて頂こうと思うのですが...   半分は大真面目、もう半分は思いつきといったところでありまして、真剣に鹿威しと向き合うつもりではありますが、しょーもない戯言程度に気軽にお付き合い頂く分にも大歓迎でございます。

 数ヶ月前、私は1人、京都の嵐山をぷらぷら歩いておりました。特に目当ての場所があったわけでもありません。冬の引き締まった空気がとても心地良い晴れの日でした。私は何の前情報もなく、ただ何となく観光地図にあった落柿舎を訪れたのです。(落柿舎とは、元禄の俳人「向井去来」の別荘として使われていた場所です。向井氏は松尾芭蕉の門人であり、芭蕉本人もこの草庵に滞在し、「嵯峨日記」を著したという事です)一歩門をくぐると、この、なんとも言えない佇まいをした庵に私は引き込まれました。暫し我を忘れて見入っていると、ふと聞こえてきたのです。鹿威しの音が。あの「こんっ」です。不思議な事に、その音を聞く度に、身体のそこかしこが緩み、心まで浄化されるような錯覚に囚われました。あまりの心地よさに、鹿威しに近づき耳をすませました。  ...さあ、ここからが本当の鹿威し体験となりました。近づいて鹿威しに集中しその音を聞くと... なぜか、何の感動も無いのです。「?」となりました。どういうことだろうと首を傾げながら、また庵をじっくり見て回りました。すると、再び耳に聞こえてくる鹿威しの音は、更に深く、たまらない感動を私の中に呼び起こしてくれるのです。ふと上を見ると、乾いた冬の空や嵯峨嵐山の低い山並みが目に写り、耳をすますと、鳥の鳴き声、風に揺らされる木々や葉の音が聞こえてきます。そしてひっそりと長閑で落ち着いた土地の空気。そんなものが全て在って、初めて鹿威しの音が途轍もない何かになるのだと感じました。

 総合芸術という言葉があります。違う分野の諸芸術の要素がミックスされた形で表現される芸術とでも言いましょうか。芸術というと堅苦しく響くかもしれませんが、私の頭に浮かんだのは正にこれでした。様々な要素を持つ豊かな大自然を背景に、人工的な何かが1つ投入されることで、見事な調和を産み出す。こんな贅沢で壮大な「作品」が他にこの世にあるだろうかと思いました。そしてその作品は私の心を健やかにし、その場に「生きて居る」事に感謝したくなりました。

 落柿舎。私にとっての聖地です。敢えて書き記しておきたいと思います。

 あの水の流れと竹と石で出来る簡素な装置の、一体何が人間の感覚に影響を及ぼすのか。どんな条件が揃うとあの音は効力を発揮するのか。更に高次元の音を発する鹿威しはこの日本に存在するのか。日本人以外の人達にも、感動は起こるのだろうか。 ...そんな事をライフワークとして研究してみたくなりました。

 こうして、鹿威し研究家となった訳です。一応ネットで調べて、特にそう名乗っている人はいないようでしたので、勝手に「日本初」と言わせて頂きました。この記事を見て「俺のが先だぞ!」という方がいたら教えてください。「日本初」はすぐ撤回いたします。実際、鹿威しについて研究し、文章を残している人はすでに何人かいて、私も拝読しましたが、胸が熱くなりました。理路整然と、これこれこうだから鹿威しは人間にこういう影響を生むといった文献もあり、謙虚な気持ちで今後参考にさせて頂こうと思っています。

 これからの活動がとても楽しみです。全国各地の鹿威し情報を収集し、現地に赴き、色々と考察していきたいと思います。

 今後とも、何卒宜しくお願い致します。

                    

                        2021年5月5日(水) 生津徹


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