「ボウルの前に座る人」

あらすじ:
 川沿いにある空き地の一角に、ある時から男がずっと居る。
ボウルを前に置き、胡座をかいて、じっとボウルの中を覗いている。
何が見えるのか、何を待っているのか、何を探しているのか。
 レンズ工場を営む男は、スマホ全盛の波に乗り何不自由無い生活を送る。
自宅から川を見ると、ボウルの前に座る男が目に入る。
 歪な出会いが、潜在意識を波立たせる。

本文:「ボウルの前に座る人」

 扉が開いた。光と風が入ってくる。薫る風が全身を撫でて行く。独りで居たいから開いた扉をしっかりと閉めに行く。ふと窓の外を見る。目筒川。今日も流れている。中途半端に人間の手が入り、なんとも様にならない川沿いの空き地が見える。その一角に、いつからだろう、男が居る。座っている。それが宿命と覚悟を決めたかのように、座っている。浮浪者、言ってしまえばそれまでだ。屋根を持つ者は、屋根を持たない人間の事情など気にしない。

 ある日、川沿いを散歩した。そこにはその男が居た。何をするでも無い、やはりただ座っているのだ。男の前にはボウル?丼?のようなものが置いてある。何が入っているのか。男はいつでもジッとそのボウルの中を見ている。服装はそれほどひどくはない。ただ座ってる分には害はないが、それでもきっとそろそろ通報されるのだろう。なぜここに来たのか。ここでなければならない理由があるのか。だとすれば、ここを追い出されたら男はどうしたら良いのだろう。

 そろそろ梅雨か。6月になって数日、すっきりした天気にならない。空き地の男はまだ座っている。昼休みに食事をし、二階に上がって食休みをする時、最近では必ず窓から男の様子を見るようになった。今日もいつも通り、安定のシルエットである。少し丸めた背中。胡座。ジッとボウルの中に集中しているようだ。男から目を離そうとした瞬間、空き地に人影が現れた。つい見てしまう。人影は真っ直ぐ男に向かって行く。女性だ。男が顔をあげる。

 それこそこの上ない他人事なのだが、一瞬にして身体が緊張した。男は最初驚いた様子だったが、あまり女性の事を気にしていないようだ。一方女性は、これだけ遠くから見ているのにもかかわらず、何か切羽詰まった様子なのがよく分かる。表情までは読み取れないが、男に必死になって話かけているのが分かる。しばらくすると、突然男がキッと顔をあげた。おそらく大きな声を出したのだろう。女はゆっくりと視線を落とし、去って行った。

 私は妻と一緒になって今年で22年になる。レンズ工場を営む妻の家に私は婿に入った。義父の腕が良かったので、町工場風情ではあるが大した繁盛ぶりであった。そして携帯電話の登場である。レンズの需要は全く衰えない。私は妻の家のおかげで、人生、何の不安もなく生きてきた。生活に不安がないと、子供の問題も気持ちに余裕を持って対処できるようだ。仲はさて置き、妻には心から感謝している。

 雨の日、男はカッパを被る。予めカッパを用意していたのか。カッパを被っても、地べたに胡座をかいているのだから、下半身はびしょ濡れになるだろう。風邪をひいたりしないだろうか。そもそも飯は食ってるのか。・・・色々と気になって仕方がない。そういえば私は昼間にしか男を見ていない事に気づいた。夜は?そりゃあ寝るだろうが、同じ場所で寝ているのだろうか。雨がひと晩降り続いたらどうするのだろう。

 お節介だという事は分かっている。だが気になって寝られないのも嫌なので、わざわざ雨の降る中散歩に出かけた。ダルそうな妻は俺のことを訝しんでいるんだか何だか、親の仇でも見るような気色悪い目つきで俺を睨みつけ、送り出してくれた。空き地に来る。通り過ぎる振りをして、男を盗み見た。何度も往復する訳にもいかないので、しっかりと見た。いつも通りだ。カッパを着てびしょ濡れになりながらボウルの中をジッと見つめている。

 人生の選択は、ザッと2つに別れる。道を選ぶか、生き様を選ぶかだ。道を選ぶ人間は、一般的に賢明なのだろう。だが生き様を選ぶ人間の前には、進むべき道すら用意されていない。辿り着く当てなど全くないが、何処ぞの誰かに耕された道を我が物顔で進むよりは、道無き道を醜態晒しながら只々進んで行く方がマシだと考えるからだろう。私は間違いなく前者である。そして、後者になり得ない自分に大きく失望しているのも事実である。

 土砂降りの中のびしょ濡れの男を見ながら、私は熱い憧憬の念のようなものが腹から込み上げるのを感じていた。決してもう若くはない1人の男が、この土砂降りの雨の中、ボウルを目の前に置いて座っている。ここに来る前はどこにいたんだろう。何をしていたんだろう。家族は?子供は?先日来ていた女性は?奥さんか?仕事も家族も全て捨てて?・・・座っているのか?だとしたら私には死んでも真似できない。

 心配になって男を見に行ったのだが、結局なんだかよく分からない敗北感を抱えて帰宅した。自分の中に驕った気持ちが少しでもあった事に気付かされ、更に恥ずかしい思いをした。玄関の前で傘を閉じると、ふと家を見上げた。・・・。いつもと少し違って見える。何が変わったのか。そりゃあ私だ。私が少し変わったんだろう。この玄関の扉の向こうには私の全てがある。今までさほど意識した事も無かったが。そう、私の全てだ。

 特注の、檜で作った風呂にゆっくり浸かり、新潟からわざわざ送ってもらう美味しい日本酒と毎晩必ず食べきれない量を用意される夕食を腹に入れ、早々と布団に入った。が、結局寝られない。寝られないと嫌だから男を見に行ったのに。20年以上ひたすらレンズを作るだけしかしてこなかった私は、その夜自分の中に何が芽生えたのか、気づく事も出来なかった。妻が隣でイビキをかきだした。私の家は平和なのである。

 仕事は、嫌でもなんでも毎日向き合う事でそれが習慣となり、習慣をひたすら続ける事で技術となる。さらに習慣に埋れていく事で技術は成熟していく。50も過ぎれば、その埋れ方の深度と言ったら大変なものだ。1つの事に深く埋れた中年男の耳は、無意識の内に段々と閉じていく。聞きたい事以外は、段々耳に入って来なくなる。仕方ない。深く深く、習慣にだけ埋れていることができたら。どんなに幸せか。

 散歩が日課になった。健康のためとか適当な事を言って。目的はボウルの前に座る男を見るためだ。男はいつも通り、ボウルの中をジッと見つめている。その姿を目にする度、私は感性を研ぎ澄まされているような気がした。どこで調達してきたか分からない麦わら帽子を被るようになり、Tシャツと短パンだけで空き地に座っている男を見る度に、体を揺り動かされ、夜明けを告げられているような気がした。

 地球の歴史は46億年前に始まり、4億年くらい前から今のような緑に覆われる星となった。そして我々人類が生まれたのはたったの5万年前。地球を46歳の人間に例えると、人類を初めて目にしたのはほんのの数時間前と言う事になる。46歳の地球を、出現してからたった数時間で破滅に追いやろうとしている私達人間は、一体何者なのだろうか。そんな僅かな時間の中で創られたものに、私達はなぜ命がけでしがみ付こうとするのだろう。

 ある日の散歩中、空き地に来ると、座る男の元に向かう青年がいた。青年は男に近づくとボウルの中に硬貨を投げ入れた。それまでそのボウルが一体何なのか深く考えたことはなかったが、青年の行動は何だか的外れなものに見えた。と、思った瞬間である。座っていた男はサッと立ち上がり、青年を殴り倒した。それだけでは収まらず、男は青年を、それこそボコボコにした。私は驚いてすぐには動けなかったが、我に帰り男を止めた。

 「あの!」何とも間抜けな第一声だったが、地面を転がり「すいません!」を繰り返す青年を更に蹴り飛ばそうとする男はすぐに振り向いた。「・・・」男が思いの外冷静なのにこちらが驚いてしまった。「・・・何か?」そう聞かれて困ってしまった。「いやあの、ほら、謝ってます」「・・・」男はふと気が変わったように踵を返すと、青年が投げ入れた小銭を拾い上げ、青年に投げつけた。青年は困惑した様子で男を見上げた。

 男は黙って青年を見ていた。侮蔑と憎しみに充ち満ちた目で、潰された体でなおも這いずり回るゴキブリを見るような目で青年を見ていた。それまで自分が全く経験したことのないものと向き合っているような顔をしていた青年は、大きなクエスチョンマークを頭上に浮かべながら消えて行った。そして私は男と2人になった。気づくと男はすでに定位置に戻っている。ボウルを手にすると中を拭き始めた。

 「大切なものなんですか」凡人ここに極まれりと言った愚問だったが、つい出てしまったので仕方ない。「そのボウル」「・・・」男は何も答えない。そうなると、私も何を話して良いのかわからない。男は再びボウルをジッと見つめている。同じ空間に全く異質な2つの生物。少なくとも私は、私と全く違う何かを持つ男と交流を持ってみたかった。この男は、私と違う一体何が見えて、何を感じ、何を思っているのか。

 結局何も話せずに帰ってきた。全く、男が現れてから寝つきが悪くなってしまった。人生とはなんぞやと考えてみたり、漠然とした不安に包まれたり、残された短い未来に思いを馳せたり、人体の神秘に今更ながら驚いてみたり。まるで思春期の頃が戻ってきたようだった。あの頃のような肉体的な高揚はもう無いが、脳味噌も同じところしか使わなくなって久しい私にとって、男の存在はとても大きな刺激になった。

 人、物、事、全ての善し悪しを測る定規の種類が「経済」しかなくなってしまった日本人にとって、この男の行動を理解するのは到底難しい事だろう。私だってそうだ。金がなくちゃあ生きては行けないし、家庭すら守れない。しかし私たちの暮らし、命、全てを支えるものがただ「経済」だけだとしたら、それは何と頼りない支えであろうか。金が無ければ死ぬだけなのか。定規の種類はもっともっと多様であるべきだ。

 私を、日本の誇る「経済」と言う定規で測れば、あの男より遥に優っている。はずだ。彼は着の身着の儘で雨風凌ぐ屋根すら持たない。私は自慢ではないが、まあ、そこそこの大学を出て、器量はまあまあだが言うところのお嬢と結婚し、婿ではあるが中小企業の経営者としてそれなりの社会的地位のある方々とも付き合いがある。ある程度他人から羨ましがられたとしても、まあそれを腹から否定するつもりなど毛頭無い。

 しかし纏わり付くこの「敗北感」のようなものは一体なんなのだろう。気にすれば気にするほど、自分がとことん薄っぺらい人間にしか思えてこないのはなぜなのだろう。生活水準、社会的地位、年収、評価、資産・・・今まで自分に満足をもたらしてくれた概念達がどうして、どうしてこうも軽佻浮薄で思慮の浅い出来損ないの詐欺師の自慢話のように感じられるのだろう。・・・冗談じゃない。悔しかったら私のような人生を送ってみたまえ!

 女性は泣いていた。疲れ切っていた。上等な服を着ていた。きっと、以前訪ねて来ていたのもこの女性だろう。前回は遠目にしか見えなかったが、この時は散歩の途中でその場面に遭遇したので、気配を殺してゆっくりと観察した。2人は何も喋らない。女性は声も立てずに泣き続け、男はいつも通りボウルの中を見つめている。女性が何か喋った。聞こえなかった。2、3回軽く頷くと、女性は向きを変え歩き出した。

 焦った私は不必要に平静を装い、同じく歩き出す。女性がこっちに向かって歩いて来たので、すれ違い様に思わず女性の顔を凝視してしまった。何のために平静を装ったのかよく分からない。おまけに振り返って後ろ姿までじーっと見てしまった。女性は何かを決意したような表情で力強く去っていった。男の方は全くもっていつも通りだった。憎らしいほど、何にも動じた様子がない。去って行った女性の存在はこの男にとって一体何なのだろう。

 存在。無機物、有機物。有形無形。香り、気配、音。全ては存在する。自分に影響を受けるものと受けないものの違いがあるだけで、存在、と言う言葉が括る何かはあまりに膨大で掴みどころが無い。では、自分にとって妻とは何か。家族とは何か。手が届きそうなところに引き下ろして来て考えてみる。存在。改めて考えてみると、なぜ無視できないのだろう妻の存在。なぜ放っておけないのだろう家族の存在。責任?

 男の居る空き地の前を何度か往復する。この男には責任という概念がないのだろうか。自分のために涙を流す女性にすげない態度をとり、まるで何も無かったような顔をしている。もしそれが男の妻だったとしたら、この男は人間のクズだ!・・・。善人面して男を蔑み、口元はわずかにニヤけさえした私の心の奥底で聞こえた呟きは「なんて羨ましいんだ」だった。・・・
男はボウルの前に座っている。何も入っていない、空っぽのボウルの前に座っている。

 私もボウルの前に座ってみた。普段近寄りもしない台所から、呆れることすら忘れてしまったような妻を尻目にボウルを拝借して来た。あの男のように胡座をかき、あの男になり切ったつもりで、あたかも自分だけにしか見えない特別な世界が広がっているかのように、ボウルの中をとっくりと見つめてみた。心のどこかでドラマチックなブレイクスルーを密かに、しかし熱く期待していた私は、五分もしないうちに限界を迎えた。

 もうやめよう。所詮私とあの男は別人だ。私には私の人生がある。彼の土俵で相撲を取ったってかなうはずがない。私はわたしの土俵で相撲を取れば良いのだ。例えそれがどんなに小さくみみっちく、見栄っ張りで俗塵に塗れたものであ・・・ いや、やめよう。卑屈になっても仕方がない。どのみちまだまだ生きていかなければならなのだ。長く付き合っていくこの自分を否定したところで、良いことなど一つも無い。

 その朝は早く目覚めた。自分でもなぜなのかよく分からず、時計を見てまだ夢の最中かと思った。妻はもう起きている。結婚以来私より早起きだ。食事の支度やら何やら、早く起きてやる事が沢山あるそうだ。夏至を過ぎて少しした頃で、外はもう明るかった。トイレに向かう途中ふと窓の外に目をやった。ボウルの前に座る男を無意識に目が探す。私は固まった。夢か現かどちらでも構わないが、遠目でも分かる私の妻が男と話している・・・。

 予期せぬ事が起こった時、私は自分をうまくコントロールできない。まあ、つまり、動揺を隠せない。そう、小心者なのだ。妻は帰ってくると、起きている私に少し驚いた。それはそうだろう。私がこんな時間に目を覚ましているなんて、自分で思い返しても新婚当時以来ではないか。妻は急いで朝食の支度をすると言って台所にこもってしまった。うまく逃げたな。朝食の支度をしながら冷や汗をかいているだろう妻を思うと、無性にイライラして来た。

 台所にこもり、朝食の支度をしながら落ち着き取り戻した妻は、何食わぬ顔で朝食を運んできた。いつもと全く変わらない態度が更に私をイライラさせた。波風立てる気は無かったのだが、腹立ち紛れに言葉が口をついて出た。「どこ行ってたんだ」「え?吉川さんとこ。朝顔が咲き始めたから見に来いって言われてたのよ」「ふーん」・・・それで会話が終わってしまった。畜生!結局自分の不甲斐なさに一番腹が立った。

 次の日から私は早起きになった。妻が目覚める頃には私も目覚めている。妻が起き上がり、部屋から出て行くと、私はじっとりと瞼を開く。階下で何かゴソゴソし、私の様子を確かめる為に2階に上がってくる。私はしっかりと寝たふりをする。妻は寝室のドアをそっと開け、私が寝ているのを確認すると、そろりそろりと階段を降りていき、玄関から出て行く。私はこっそりと窓から覗く。ボウルの前に座る男と妻が、一緒に居る。

 人生も半ばを過ぎ、そろそろ終わりを意識し始めた私に、神は一体どんな目的があってこのような試練を与えるつもりになったのだろう。何故、この私に。・・・いや、信仰など生まれてこの方およそ持ち合わせていなかった私が、こんな時に限って感傷的に神の名を使うのはあまりに稚拙だ。では、私はこの極めて想定外の状況から一体何を学ぶべきなのか。下手に嫉妬しているなどと思われては私の負けだ。そんな素振りは死んでも見せてはいけない。 

 今朝も妻は小さな包みを持ってコソコソと出かけて行った。多分握り飯か何か男に渡しているのだろう。今朝も気付かれないように、私は窓から2人をこっそり覗く。名残惜しそうに妻は男の元を去る。今朝も妻は朝食の用意をし、同じテーブルで私と一緒にそれを食う。そして妻は今朝も私を隣の工場へ送り出す。私は10秒にも満たない通勤時間を経て工場へ着く。そして私を送り出した妻は、今朝も・・・。・・・あ。

 つまり私は妻について、3度の飯以外の時、彼女が一体何をしているのか全く知らなかったのだ。私が工場にいる間、当たり前のように妻は母屋に居ると思っていたが・・・。私は今の自分の気持ちを象徴するような道具を手に入れた。望遠鏡だ。じっくりと妻を観察してみたくなった。双眼鏡だとなんだか堂々としているので、レトロな単眼のタイプを手に入れた。拡大された妻の生活の真実とは、一体どんなものなのだろうか。

 望遠鏡の筒をゆっくりと伸ばし、さながら大航海時代の船長よろしく顔に小難しい皺を寄せ、次に上陸する島を見定めるかの様に片目を瞑り覗き込む。視界に入るのは未踏の島ではなく、妻とボウルの前に座る男の密会現場だ。しかもここは大海原の荒波に浮く船の上ではなく、自宅の2階。妻に気付かれない様にこっそりと陰に隠れて望遠鏡を覗いている。子供達が大学で東京に出てしまってからの事で本当に良かったと思う。こんな姿を見られたくはない。

 それでも日々の生活は何も無い様に過ぎていく。いつもと同じ様に過ぎていく。一体、私たちの心の葛藤や蟠りは何のためにあるのだろう。あってもなくても大して他人に影響を及ぼさず、しかも隠し通せてしまうこのモヤモヤした感情は、何故心に芽生えてしまうのだろう。それは私が、私の心が弱いからなのだろうか。今、隣で夕飯を食っている妻という生き物の心の中は、一体どんな事になっているのだろう。

 男はボウルの前に座っている。ジッとボウルの中を見つめている。真夏日が続く中、男は陽に焼け痩せ細り、更に浮世離れした風体になってきた。インドの苦行者と見紛う。蝉やカエルの鳴き声、蚊の鬱陶しさ、よく耐えられるものだと感心する。妻はこの男と何を話すのだろう。共通する話題などあるのだろうか。男同志と、男女では会話の成り立ちもまた違うのかもしれない。目筒川の遥か向こうでは入道雲が呑気に笑っている。

 妻の裸を想像してみる。もう何年見ていないだろうか。まだ私の知っている体なのだろうか。私が求めたら、妻は私を受け入れるのだろうか。妻は私に何故求めないのか。果たして私は妻にとって必要な人間なのだろうか。子供達が大学を出たら突然離婚を切り出されたりしないだろうか。いや、私がいなければ工場は終わりだ。それは無いだろう。だがしかしそうすると、私はつまり妻にとって・・・。

 ある朝、今では愛着さえ覚える様になった私の単眼望遠鏡でいつもの様に妻と男をこっそり覗き見ていると、もう1人の登場人物が現れた。女性の浮浪者のようだ。私は目を凝らし望遠鏡を覗き込んだ。様子は全く変わってしまっているが、よく見ると、どうやら2度ばかり男を訪ねてきたあの女性の様だ。女性は男よりも妻に向かっている。何か妻に話かけている様だ。そしていきなり妻を突き飛ばした。私はその瞬間、階段を駆け下りた。

 衝動的に階段を駆け下り、勇ましく玄関を跳び出した。妻の元へ駆けつけようと門を開けたところで、私は止まった。・・・いや、今行ったら覗いてたのがバレるだろ。私は家の中に戻り急いで2階に上がると、再び望遠鏡を覗いた。男と浮浪者になった女性が2人でモメていた。辺りを見回してみるが、妻の姿はもう無かった。安心した。突き飛ばされ、すぐにあの場を離れたんだろう。ん?ということは妻は間も無く帰ってくるということか。

 玄関の自分の靴を揃え、寝室に戻り、ベッドに潜り込んだ。妻が帰ってくるまでの数分の間、色々な事を考えた。果たしていつも通りに妻と接することができるだろうか。これは妻に秘密を作るということであって、隠しておいた方が当然良いのだろうが、隠し通すことが私にできるだろうか。そして今、妻はどんな気持ちなのだろうか。やはり後先考えず、あの場に駆けつけた方が良かったのではないか。

 妻がいよいよ帰って来ると、何故だかよく分からないが私は一気に緊張した。意味もなく両目をしっかりと閉じ、敢えて口を半開きにし、いつも以上に寝ている振りをしっかりとした。妻は2階に上がっては来ず、洗面所で少しゴソゴソしてから台所に入ったようだった。それでも私はいつもよりしっかり寝た振りを続け、階下の音に聞き耳を立てながら、まんじりともせずいつもの起床時間までをベッドの中で過ごした。

 私は妻の秘密を知っている。ついさっき、妻は思い掛けず軽い「修羅場」を迎えた。2人で朝食を食べながら、私は胸いっぱいの優越感を感じている。ふっふっふ。何事もなかったように食事をしている妻がなんだか可愛く見える。46億才の地球も、経済も、自尊心も、望遠鏡も、覗きも、「存在」というもののの曖昧さも、妻が可愛く見えているうちは、そんなに大した事ではないように思えた。

 男がボウルの中に探していたものは何だったのだろう。高そうな服に身を包んでいた女性が浮浪者風情になって目の前に現れた時、彼の心にもさざ波くらいはたったのだろうか。結局ボウルの中には何も見つけられなかったのか。それとも、あの行為に費やした時間そのものが、彼が待ち続けた答えだったのか。分からない。分かるはずがない。女性と去ったきり、もう数ヶ月、彼は戻って来ない。

                             
                           終わり 
 「ボウルの前に座る人」

 扉が開いた。光と風が入ってくる。薫る風が全身を撫でて行く。独りで居たいから開いた扉をしっかりと閉めに行く。ふと窓の外を見る。目筒川。今日も流れている。中途半端に人間の手が入り、なんとも様にならない川沿いの空き地が見える。その一角に、いつからだろう、男が居る。座っている。それが宿命と覚悟を決めたかのように、座っている。浮浪者、言ってしまえばそれまでだ。屋根を持つ者は、屋根を持たない人間の事情など気にしない。

 ある日、川沿いを散歩した。そこにはその男が居た。何をするでも無い、やはりただ座っているのだ。男の前にはボウル?丼?のようなものが置いてある。何が入っているのか。男はいつでもジッとそのボウルの中を見ている。服装はそれほどひどくはない。ただ座ってる分には害はないが、それでもきっとそろそろ通報されるのだろう。なぜここに来たのか。ここでなければならない理由があるのか。だとすれば、ここを追い出されたら男はどうしたら良いのだろう。

 そろそろ梅雨か。6月になって数日、すっきりした天気にならない。空き地の男はまだ座っている。昼休みに食事をし、二階に上がって食休みをする時、最近では必ず窓から男の様子を見るようになった。今日もいつも通り、安定のシルエットである。少し丸めた背中。胡座。ジッとボウルの中に集中しているようだ。男から目を離そうとした瞬間、空き地に人影が現れた。つい見てしまう。人影は真っ直ぐ男に向かって行く。女性だ。男が顔をあげる。

 それこそこの上ない他人事なのだが、一瞬にして身体が緊張した。男は最初驚いた様子だったが、あまり女性の事を気にしていないようだ。一方女性は、これだけ遠くから見ているのにもかかわらず、何か切羽詰まった様子なのがよく分かる。表情までは読み取れないが、男に必死になって話かけているのが分かる。しばらくすると、突然男がキッと顔をあげた。おそらく大きな声を出したのだろう。女はゆっくりと視線を落とし、去って行った。

 私は妻と一緒になって今年で22年になる。レンズ工場を営む妻の家に私は婿に入った。義父の腕が良かったので、町工場風情ではあるが大した繁盛ぶりであった。そして携帯電話の登場である。レンズの需要は全く衰えない。私は妻の家のおかげで、人生、何の不安もなく生きてきた。生活に不安がないと、子供の問題も気持ちに余裕を持って対処できるようだ。仲はさて置き、妻には心から感謝している。

 雨の日、男はカッパを被る。予めカッパを用意していたのか。カッパを被っても、地べたに胡座をかいているのだから、下半身はびしょ濡れになるだろう。風邪をひいたりしないだろうか。そもそも飯は食ってるのか。・・・色々と気になって仕方がない。そういえば私は昼間にしか男を見ていない事に気づいた。夜は?そりゃあ寝るだろうが、同じ場所で寝ているのだろうか。雨がひと晩降り続いたらどうするのだろう。

 お節介だという事は分かっている。だが気になって寝られないのも嫌なので、わざわざ雨の降る中散歩に出かけた。ダルそうな妻は俺のことを訝しんでいるんだか何だか、親の仇でも見るような気色悪い目つきで俺を睨みつけ、送り出してくれた。空き地に来る。通り過ぎる振りをして、男を盗み見た。何度も往復する訳にもいかないので、しっかりと見た。いつも通りだ。カッパを着てびしょ濡れになりながらボウルの中をジッと見つめている。

 人生の選択は、ザッと2つに別れる。道を選ぶか、生き様を選ぶかだ。道を選ぶ人間は、一般的に賢明なのだろう。だが生き様を選ぶ人間の前には、進むべき道すら用意されていない。辿り着く当てなど全くないが、何処ぞの誰かに耕された道を我が物顔で進むよりは、道無き道を醜態晒しながら只々進んで行く方がマシだと考えるからだろう。私は間違いなく前者である。そして、後者になり得ない自分に大きく失望しているのも事実である。

 土砂降りの中のびしょ濡れの男を見ながら、私は熱い憧憬の念のようなものが腹から込み上げるのを感じていた。決してもう若くはない1人の男が、この土砂降りの雨の中、ボウルを目の前に置いて座っている。ここに来る前はどこにいたんだろう。何をしていたんだろう。家族は?子供は?先日来ていた女性は?奥さんか?仕事も家族も全て捨てて?・・・座っているのか?だとしたら私には死んでも真似できない。

 心配になって男を見に行ったのだが、結局なんだかよく分からない敗北感を抱えて帰宅した。自分の中に驕った気持ちが少しでもあった事に気付かされ、更に恥ずかしい思いをした。玄関の前で傘を閉じると、ふと家を見上げた。・・・。いつもと少し違って見える。何が変わったのか。そりゃあ私だ。私が少し変わったんだろう。この玄関の扉の向こうには私の全てがある。今までさほど意識した事も無かったが。そう、私の全てだ。

 特注の、檜で作った風呂にゆっくり浸かり、新潟からわざわざ送ってもらう美味しい日本酒と毎晩必ず食べきれない量を用意される夕食を腹に入れ、早々と布団に入った。が、結局寝られない。寝られないと嫌だから男を見に行ったのに。20年以上ひたすらレンズを作るだけしかしてこなかった私は、その夜自分の中に何が芽生えたのか、気づく事も出来なかった。妻が隣でイビキをかきだした。私の家は平和なのである。

 仕事は、嫌でもなんでも毎日向き合う事でそれが習慣となり、習慣をひたすら続ける事で技術となる。さらに習慣に埋れていく事で技術は成熟していく。50も過ぎれば、その埋れ方の深度と言ったら大変なものだ。1つの事に深く埋れた中年男の耳は、無意識の内に段々と閉じていく。聞きたい事以外は、段々耳に入って来なくなる。仕方ない。深く深く、習慣にだけ埋れていることができたら。どんなに幸せか。

 散歩が日課になった。健康のためとか適当な事を言って。目的はボウルの前に座る男を見るためだ。男はいつも通り、ボウルの中をジッと見つめている。その姿を目にする度、私は感性を研ぎ澄まされているような気がした。どこで調達してきたか分からない麦わら帽子を被るようになり、Tシャツと短パンだけで空き地に座っている男を見る度に、体を揺り動かされ、夜明けを告げられているような気がした。

 地球の歴史は46億年前に始まり、4億年くらい前から今のような緑に覆われる星となった。そして我々人類が生まれたのはたったの5万年前。地球を46歳の人間に例えると、人類を初めて目にしたのはほんのの数時間前と言う事になる。46歳の地球を、出現してからたった数時間で破滅に追いやろうとしている私達人間は、一体何者なのだろうか。そんな僅かな時間の中で創られたものに、私達はなぜ命がけでしがみ付こうとするのだろう。

 ある日の散歩中、空き地に来ると、座る男の元に向かう青年がいた。青年は男に近づくとボウルの中に硬貨を投げ入れた。それまでそのボウルが一体何なのか深く考えたことはなかったが、青年の行動は何だか的外れなものに見えた。と、思った瞬間である。座っていた男はサッと立ち上がり、青年を殴り倒した。それだけでは収まらず、男は青年を、それこそボコボコにした。私は驚いてすぐには動けなかったが、我に帰り男を止めた。

 「あの!」何とも間抜けな第一声だったが、地面を転がり「すいません!」を繰り返す青年を更に蹴り飛ばそうとする男はすぐに振り向いた。「・・・」男が思いの外冷静なのにこちらが驚いてしまった。「・・・何か?」そう聞かれて困ってしまった。「いやあの、ほら、謝ってます」「・・・」男はふと気が変わったように踵を返すと、青年が投げ入れた小銭を拾い上げ、青年に投げつけた。青年は困惑した様子で男を見上げた。

 男は黙って青年を見ていた。侮蔑と憎しみに充ち満ちた目で、潰された体でなおも這いずり回るゴキブリを見るような目で青年を見ていた。それまで自分が全く経験したことのないものと向き合っているような顔をしていた青年は、大きなクエスチョンマークを頭上に浮かべながら消えて行った。そして私は男と2人になった。気づくと男はすでに定位置に戻っている。ボウルを手にすると中を拭き始めた。

 「大切なものなんですか」凡人ここに極まれりと言った愚問だったが、つい出てしまったので仕方ない。「そのボウル」「・・・」男は何も答えない。そうなると、私も何を話して良いのかわからない。男は再びボウルをジッと見つめている。同じ空間に全く異質な2つの生物。少なくとも私は、私と全く違う何かを持つ男と交流を持ってみたかった。この男は、私と違う一体何が見えて、何を感じ、何を思っているのか。

 結局何も話せずに帰ってきた。全く、男が現れてから寝つきが悪くなってしまった。人生とはなんぞやと考えてみたり、漠然とした不安に包まれたり、残された短い未来に思いを馳せたり、人体の神秘に今更ながら驚いてみたり。まるで思春期の頃が戻ってきたようだった。あの頃のような肉体的な高揚はもう無いが、脳味噌も同じところしか使わなくなって久しい私にとって、男の存在はとても大きな刺激になった。

 人、物、事、全ての善し悪しを測る定規の種類が「経済」しかなくなってしまった日本人にとって、この男の行動を理解するのは到底難しい事だろう。私だってそうだ。金がなくちゃあ生きては行けないし、家庭すら守れない。しかし私たちの暮らし、命、全てを支えるものがただ「経済」だけだとしたら、それは何と頼りない支えであろうか。金が無ければ死ぬだけなのか。定規の種類はもっともっと多様であるべきだ。

 私を、日本の誇る「経済」と言う定規で測れば、あの男より遥に優っている。はずだ。彼は着の身着の儘で雨風凌ぐ屋根すら持たない。私は自慢ではないが、まあ、そこそこの大学を出て、器量はまあまあだが言うところのお嬢と結婚し、婿ではあるが中小企業の経営者としてそれなりの社会的地位のある方々とも付き合いがある。ある程度他人から羨ましがられたとしても、まあそれを腹から否定するつもりなど毛頭無い。

 しかし纏わり付くこの「敗北感」のようなものは一体なんなのだろう。気にすれば気にするほど、自分がとことん薄っぺらい人間にしか思えてこないのはなぜなのだろう。生活水準、社会的地位、年収、評価、資産・・・今まで自分に満足をもたらしてくれた概念達がどうして、どうしてこうも軽佻浮薄で思慮の浅い出来損ないの詐欺師の自慢話のように感じられるのだろう。・・・冗談じゃない。悔しかったら私のような人生を送ってみたまえ!

 女性は泣いていた。疲れ切っていた。上等な服を着ていた。きっと、以前訪ねて来ていたのもこの女性だろう。前回は遠目にしか見えなかったが、この時は散歩の途中でその場面に遭遇したので、気配を殺してゆっくりと観察した。2人は何も喋らない。女性は声も立てずに泣き続け、男はいつも通りボウルの中を見つめている。女性が何か喋った。聞こえなかった。2、3回軽く頷くと、女性は向きを変え歩き出した。

 焦った私は不必要に平静を装い、同じく歩き出す。女性がこっちに向かって歩いて来たので、すれ違い様に思わず女性の顔を凝視してしまった。何のために平静を装ったのかよく分からない。おまけに振り返って後ろ姿までじーっと見てしまった。女性は何かを決意したような表情で力強く去っていった。男の方は全くもっていつも通りだった。憎らしいほど、何にも動じた様子がない。去って行った女性の存在はこの男にとって一体何なのだろう。

 存在。無機物、有機物。有形無形。香り、気配、音。全ては存在する。自分に影響を受けるものと受けないものの違いがあるだけで、存在、と言う言葉が括る何かはあまりに膨大で掴みどころが無い。では、自分にとって妻とは何か。家族とは何か。手が届きそうなところに引き下ろして来て考えてみる。存在。改めて考えてみると、なぜ無視できないのだろう妻の存在。なぜ放っておけないのだろう家族の存在。責任?

 男の居る空き地の前を何度か往復する。この男には責任という概念がないのだろうか。自分のために涙を流す女性にすげない態度をとり、まるで何も無かったような顔をしている。もしそれが男の妻だったとしたら、この男は人間のクズだ!・・・。善人面して男を蔑み、口元はわずかにニヤけさえした私の心の奥底で聞こえた呟きは「なんて羨ましいんだ」だった。・・・
男はボウルの前に座っている。何も入っていない、空っぽのボウルの前に座っている。

 私もボウルの前に座ってみた。普段近寄りもしない台所から、呆れることすら忘れてしまったような妻を尻目にボウルを拝借して来た。あの男のように胡座をかき、あの男になり切ったつもりで、あたかも自分だけにしか見えない特別な世界が広がっているかのように、ボウルの中をとっくりと見つめてみた。心のどこかでドラマチックなブレイクスルーを密かに、しかし熱く期待していた私は、五分もしないうちに限界を迎えた。

 もうやめよう。所詮私とあの男は別人だ。私には私の人生がある。彼の土俵で相撲を取ったってかなうはずがない。私はわたしの土俵で相撲を取れば良いのだ。例えそれがどんなに小さくみみっちく、見栄っ張りで俗塵に塗れたものであ・・・ いや、やめよう。卑屈になっても仕方がない。どのみちまだまだ生きていかなければならなのだ。長く付き合っていくこの自分を否定したところで、良いことなど一つも無い。

 その朝は早く目覚めた。自分でもなぜなのかよく分からず、時計を見てまだ夢の最中かと思った。妻はもう起きている。結婚以来私より早起きだ。食事の支度やら何やら、早く起きてやる事が沢山あるそうだ。夏至を過ぎて少しした頃で、外はもう明るかった。トイレに向かう途中ふと窓の外に目をやった。ボウルの前に座る男を無意識に目が探す。私は固まった。夢か現かどちらでも構わないが、遠目でも分かる私の妻が男と話している・・・。

 予期せぬ事が起こった時、私は自分をうまくコントロールできない。まあ、つまり、動揺を隠せない。そう、小心者なのだ。妻は帰ってくると、起きている私に少し驚いた。それはそうだろう。私がこんな時間に目を覚ましているなんて、自分で思い返しても新婚当時以来ではないか。妻は急いで朝食の支度をすると言って台所にこもってしまった。うまく逃げたな。朝食の支度をしながら冷や汗をかいているだろう妻を思うと、無性にイライラして来た。

 台所にこもり、朝食の支度をしながら落ち着き取り戻した妻は、何食わぬ顔で朝食を運んできた。いつもと全く変わらない態度が更に私をイライラさせた。波風立てる気は無かったのだが、腹立ち紛れに言葉が口をついて出た。「どこ行ってたんだ」「え?吉川さんとこ。朝顔が咲き始めたから見に来いって言われてたのよ」「ふーん」・・・それで会話が終わってしまった。畜生!結局自分の不甲斐なさに一番腹が立った。

 次の日から私は早起きになった。妻が目覚める頃には私も目覚めている。妻が起き上がり、部屋から出て行くと、私はじっとりと瞼を開く。階下で何かゴソゴソし、私の様子を確かめる為に2階に上がってくる。私はしっかりと寝たふりをする。妻は寝室のドアをそっと開け、私が寝ているのを確認すると、そろりそろりと階段を降りていき、玄関から出て行く。私はこっそりと窓から覗く。ボウルの前に座る男と妻が、一緒に居る。

 人生も半ばを過ぎ、そろそろ終わりを意識し始めた私に、神は一体どんな目的があってこのような試練を与えるつもりになったのだろう。何故、この私に。・・・いや、信仰など生まれてこの方およそ持ち合わせていなかった私が、こんな時に限って感傷的に神の名を使うのはあまりに稚拙だ。では、私はこの極めて想定外の状況から一体何を学ぶべきなのか。下手に嫉妬しているなどと思われては私の負けだ。そんな素振りは死んでも見せてはいけない。 

 今朝も妻は小さな包みを持ってコソコソと出かけて行った。多分握り飯か何か男に渡しているのだろう。今朝も気付かれないように、私は窓から2人をこっそり覗く。名残惜しそうに妻は男の元を去る。今朝も妻は朝食の用意をし、同じテーブルで私と一緒にそれを食う。そして妻は今朝も私を隣の工場へ送り出す。私は10秒にも満たない通勤時間を経て工場へ着く。そして私を送り出した妻は、今朝も・・・。・・・あ。

 つまり私は妻について、3度の飯以外の時、彼女が一体何をしているのか全く知らなかったのだ。私が工場にいる間、当たり前のように妻は母屋に居ると思っていたが・・・。私は今の自分の気持ちを象徴するような道具を手に入れた。望遠鏡だ。じっくりと妻を観察してみたくなった。双眼鏡だとなんだか堂々としているので、レトロな単眼のタイプを手に入れた。拡大された妻の生活の真実とは、一体どんなものなのだろうか。

 望遠鏡の筒をゆっくりと伸ばし、さながら大航海時代の船長よろしく顔に小難しい皺を寄せ、次に上陸する島を見定めるかの様に片目を瞑り覗き込む。視界に入るのは未踏の島ではなく、妻とボウルの前に座る男の密会現場だ。しかもここは大海原の荒波に浮く船の上ではなく、自宅の2階。妻に気付かれない様にこっそりと陰に隠れて望遠鏡を覗いている。子供達が大学で東京に出てしまってからの事で本当に良かったと思う。こんな姿を見られたくはない。

 それでも日々の生活は何も無い様に過ぎていく。いつもと同じ様に過ぎていく。一体、私たちの心の葛藤や蟠りは何のためにあるのだろう。あってもなくても大して他人に影響を及ぼさず、しかも隠し通せてしまうこのモヤモヤした感情は、何故心に芽生えてしまうのだろう。それは私が、私の心が弱いからなのだろうか。今、隣で夕飯を食っている妻という生き物の心の中は、一体どんな事になっているのだろう。

 男はボウルの前に座っている。ジッとボウルの中を見つめている。真夏日が続く中、男は陽に焼け痩せ細り、更に浮世離れした風体になってきた。インドの苦行者と見紛う。蝉やカエルの鳴き声、蚊の鬱陶しさ、よく耐えられるものだと感心する。妻はこの男と何を話すのだろう。共通する話題などあるのだろうか。男同志と、男女では会話の成り立ちもまた違うのかもしれない。目筒川の遥か向こうでは入道雲が呑気に笑っている。

 妻の裸を想像してみる。もう何年見ていないだろうか。まだ私の知っている体なのだろうか。私が求めたら、妻は私を受け入れるのだろうか。妻は私に何故求めないのか。果たして私は妻にとって必要な人間なのだろうか。子供達が大学を出たら突然離婚を切り出されたりしないだろうか。いや、私がいなければ工場は終わりだ。それは無いだろう。だがしかしそうすると、私はつまり妻にとって・・・。

 ある朝、今では愛着さえ覚える様になった私の単眼望遠鏡でいつもの様に妻と男をこっそり覗き見ていると、もう1人の登場人物が現れた。女性の浮浪者のようだ。私は目を凝らし望遠鏡を覗き込んだ。様子は全く変わってしまっているが、よく見ると、どうやら2度ばかり男を訪ねてきたあの女性の様だ。女性は男よりも妻に向かっている。何か妻に話かけている様だ。そしていきなり妻を突き飛ばした。私はその瞬間、階段を駆け下りた。

 衝動的に階段を駆け下り、勇ましく玄関を跳び出した。妻の元へ駆けつけようと門を開けたところで、私は止まった。・・・いや、今行ったら覗いてたのがバレるだろ。私は家の中に戻り急いで2階に上がると、再び望遠鏡を覗いた。男と浮浪者になった女性が2人でモメていた。辺りを見回してみるが、妻の姿はもう無かった。安心した。突き飛ばされ、すぐにあの場を離れたんだろう。ん?ということは妻は間も無く帰ってくるということか。

 玄関の自分の靴を揃え、寝室に戻り、ベッドに潜り込んだ。妻が帰ってくるまでの数分の間、色々な事を考えた。果たしていつも通りに妻と接することができるだろうか。これは妻に秘密を作るということであって、隠しておいた方が当然良いのだろうが、隠し通すことが私にできるだろうか。そして今、妻はどんな気持ちなのだろうか。やはり後先考えず、あの場に駆けつけた方が良かったのではないか。

 妻がいよいよ帰って来ると、何故だかよく分からないが私は一気に緊張した。意味もなく両目をしっかりと閉じ、敢えて口を半開きにし、いつも以上に寝ている振りをしっかりとした。妻は2階に上がっては来ず、洗面所で少しゴソゴソしてから台所に入ったようだった。それでも私はいつもよりしっかり寝た振りを続け、階下の音に聞き耳を立てながら、まんじりともせずいつもの起床時間までをベッドの中で過ごした。

 私は妻の秘密を知っている。ついさっき、妻は思い掛けず軽い「修羅場」を迎えた。2人で朝食を食べながら、私は胸いっぱいの優越感を感じている。ふっふっふ。何事もなかったように食事をしている妻がなんだか可愛く見える。46億才の地球も、経済も、自尊心も、望遠鏡も、覗きも、「存在」というもののの曖昧さも、妻が可愛く見えているうちは、そんなに大した事ではないように思えた。

 男がボウルの中に探していたものは何だったのだろう。高そうな服に身を包んでいた女性が浮浪者風情になって目の前に現れた時、彼の心にもさざ波くらいはたったのだろうか。結局ボウルの中には何も見つけられなかったのか。それとも、あの行為に費やした時間そのものが、彼が待ち続けた答えだったのか。分からない。分かるはずがない。女性と去ったきり、もう数ヶ月、彼は戻って来ない。

                             
                           終わり 
 

#創作大賞2024

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