動いている「コト」を、止まった「モノ」として対象化し過ぎると、私たちは「体験」から遊離した離人症的症状を呈することになってしまう。自分自身の経験から浮き上がった「論理」だけを優先してしまう
動いているコトから論理以上の体験や生命の鼓動といった魂の場を乱すことは難しい

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