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私が経験して得た「kizuki」:就労と介護を通して【運営者の説明書】

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こんにちは、小林玄人(hauto:ハルト)です。

kizuki - 就労と介護の教科書 - プロフィール」から訪問いただいた方は、本当にありがとうございます。

初めての「note」です。

こちらでは、私の想いを率直に書きたいと思っています。

「支援者」としてはもちろんですが、「個人的な観点」から書きますので、読んでいて気分を害された方は「戻るボタン」からお帰り下さい。

このnote記事から分かることは、

✔ 「kizuki-care.net 就労と介護の教科書」を運営している「私」

どんな人物なのか知ってもらえれば幸いです。


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この記事の文字数は「約6600字」くらいです。

しっかり読むと15分ぐらいかかりますが、どんな人物が記事を書いているのか分かります。

kizuki-care.net 就労と介護の教科書について共感を頂ければ幸いです。

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「作業療法士:haruto」のエピソード


私は真面目?で、もともと融通が効きにくく頑固でもあります。

生まれた育った家庭にも恵まれ「おぼっちゃま気質」なところもあるようです。

現在は「就労支援」が仕事で、過去の経験から利用者様のことも掴みやすくなり、色々な視点でアドバイスさせて貰っています。

このnoteを書くことができるのは、自分に多くの体験があったからです。

私は「自立心」を育てるために時間を要しました。



作業療法士になったきっかけ


生まれ育った故郷は地方都市の郊外で「福祉のまち」でした。

ボランティアにも縁があって、中学、高校では色々な施設を訪問しました。

高齢者施設が多かったです。

正直、進路についてあやふやでしたが、同じ道を目指す仲間や、親の後押しがあって気持ちが固まりました。

カッコよく言うと、環境や体験に引っ張られたということです。

今になって天職だったと思えています。



養成校時代について


作業療法士の養成校(4年生)に通っていた時は、成績重視で過ごしてきました。

留年せずに4年まで確実に進級し、年に1度しかない国家試験に受からなければ資格は取れません。

親に学費をうん百万だして貰いました。

折れるわけにはいかない。

だから「なりたい」と前向きに取り組み、知識を優先して入れていきました。

しかし、失敗は多かった。

頭でっかちで人の気持ちを汲み取る力がなかったせいか、学校での人間関係に苦しみ、臨床実習でも苦労をしました。

話をしたり、コミュニケーションが取れない。

プライドが相当高かったと思います。

こればっかりは「知識」でどうにかできる物ではありません。

様々な出来事がありましたが、一つ一つをきっかけにして、少しずつ知識優先型から脱していきました。

幸いにも恵まれた環境で友人たちと学べたため、仲間から教えてもらったことがとても多かったです。

臨床実習をパスし、最後は友人達と揃って国家試験を受け「作業療法士」となりました。

この時に残ってしまった最大の課題は「自立心が未熟」です。



就職してみえた閉塞感、病院や老人施設は狭い


卒業後の進路は「老人介護」の分野に進みました。

急性期病院(総合病院)、高齢者施設(老人保健施設)です。

地元は高齢者が多く、友人からの後押しもきっかけになっています。

社会人になってから苦労が多かったです。

「自立心」がなかったので、とにかく周りに流されながら過ごし社会勉強をしました。

「若いときの苦労は買ってでもせよ」

言葉の通りです。

急性期病院は激務でした。

急性期病院は重度の方ばかりが入院されます。

オペ後の患者様のサポートはもちろんですが、医師や上司との連携は神経を磨り減らしました。

正直、もう二度と病院には戻りたくありません。

パワハラは普通に横行していました。。。

「病院」は就職情報をみると「キラキラ」した職場のイメージがありますが現実は厳しい世界です。

規模感の大きい病院で、パワハラに関しては組織的な隠蔽体質がありました。

心が病みました。

みんな冷たかったです。

落ち込んでいる時に人事異動の機会に恵まれ、病院から高齢者施設に異動しました。

「異動=患者様」との別れです。

ちょうど受け持っていた患者様の退院が決まり、お別れの手紙をもらいました。

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私が携われたのは人生の一部分だけでしたが、こういう手紙をいただけると励みになるものです。

異動先の高齢者施設は、業務もしっかり決まっていて、私には適した環境でした。

病院での勤務経験も活き、 年数を重ねるごとに心の芯が固まり「自立心」が一気に育ちました。

しかし、勤務を続けて1点だけ気づいてしまいました。

それが「閉塞感」です。

理学療法士・作業療法士は国家資格で給料が安定しているイメージですが、内訳は「低め安定」です。

どんなに頑張っても「給料」は上がりません。

職場で新しいことを始めようと考えても、あれがダメ、これがダメで年齢層の高い職員から反感ばかり買いました。

何かを始める時に大きなエネルギーが必ず必要で、面倒な行動がより必要になることを体感しました。

当たり前かもですが、医療福祉業界の現場はとても面倒なんです。

理由は「人間関係」が仕事だから

正直、頑張っても自分に返ってくる数字には反映されません。

「働き疲れた」というのが本音です。

「技術屋」で決まったことのなかで働く「閉塞感」に悩みました。

別の方法があったかもしれませんが、「篭の中の鳥」状態で働く意義は見い出せませんでした。

そして、人間関係がとても苦痛になりました。

職員との「関係性」が壊れてしまうと必ず自分の業務に返ってきます。

自分の仕事(リハビリテーション)を人間関係まで考慮しながら行うなんて馬鹿らしいと思いました。

施設に勤務していると、会う人は限られた人ばかり。

職員との関係性が壊れてしまえば支援がしにくくなる。

成長したのか、職場が合わなくなりました。



自分にしかない専門性の価値観を提供


「医療法人」から「株式会社」に移る決意をして、自分なりに勉強を重ねました。

病院や施設勤務をしていた当時は「利益」の概念は必要なく、経営については完全に無知でした。

患者様・利用者様のサポートが優先で、自分には関係がないと思って働いていたのが本音です。

算定報酬に疎かったので、自分の給料計算を徹底的に行いました。

自分が提供できる価値について深堀を重ね、どういう流れで世の中が仕組み化されているのかを分析しました。

「篭の中の鳥」だった自分には新しい挑戦で楽しさしかありませんでした。



株式会社での経験は社会貢献だと知る


はじめて株式会社に勤務をして知ったのは、

✅ 自分の給料分が稼げなくては何も得られない
✅ 支援の必要な人が地域にあふれている
✅ 私の専門性は完全に商品

株式会社に入ってから行ったことは、

➡️ 就労福祉の新規部署の立ち上げ
➡️ 採用、広報、現場マネジメント
➡️ 店舗オープン

病院や施設勤務ではしてこなかった内容に携わり、さらに部門連携を同時並行にこなしました。

株式会社で行っていた事業は、

※ 高齢者部門(グループホーム、デイサービス)
※ 配食部門(高齢者向け配食サービス)
※ 訪問看護ステーション部門
※ 就労福祉部門(放課後等デイサービス)


私は「発達障害」で悩んでいるお子様をもつお母様の支援にあたりました。

食事の提供が必要であれば配食部門と連携して子ども向けの食事提供を考えて行いました。

母親が親の介護で困っていれば介護部門と連携をする。

子どもが「小学校・高学年」であれば、家庭によっては在宅介護をしている親もいます。

困っているひとの特徴はひとつのことで困っているのではなく、複数要因であること。

困り事に対して同時に支援をすると「心の幸福度が高まる」ことを実感しました。

「困り事が減る=支援がうまくいく」

なので、仕事が前に進んでいく感覚が良くわかり、働いていて充実感しかありませんでした。

サービスを「商品」として提供し、こうやって解決するんだ・・・

こんな感覚を養っていきました。



会社勤務でみえたサラリーマンとしての苦悩【組織経営】


会社で利益を出すことが悪いことではないと知ったのは転職して半年くらい経ってから。

この時点で自分が知らない世の中の動きが分かったと確信に変わりました。

困っている方に提供する私の知識や経験値には「価値」があり、これで社会が回れば貢献できているということになる。

対価としての「報酬」も納得

病院や施設勤務をしていたときの自分は「まだまだ」と謙遜していた部分もありましたが、サラリーマンになってから明らかに自信に満ちていました。

そんな中、はじめて入社した株式会社を去ることになったのが入社して1年を過ぎてから。

✅ 相次ぐ職員の退職
✅ 人材確保困難
✅ 経営悪化

この三拍子が揃い、私が知らなかった会社の組織体質が明らかになりました。

私の「就労福祉部門」も人が足りず、質の高い業務が維持できなくなりました。

「人が足りないからできない」というのは明らかに運営会社の問題です。

採用を強化していくため、当時責任者であった私は現場と平行して必死に活動をしました。

増員するための職員数を計算し、書面にまとめて代表取締役に提出しましたが理解は得られません。

ここではじめて「職員の大切さ、一緒に働く仲間の大切さ」を痛烈に実感します。

当時、代表取締役は「人が辞めていくことに慣れてしまっている」と語っていました。

経営者が必ずしも現場視点で見ることは良くないと思いますが、この時ばかりは事の重大さを軽視されていました。

「子どもの支援=子どもと遊ぶ」こんな感じだったと思います。

施設運営をするためには国が定めた人員基準が決まっています。

あきらかに支援の質が低下し、子どもたちに悪い変化が出てきていました。

・ 見守り不足による子どもの喧嘩
・ 職員の関わり不足で不安行動
・ 先生が少なくて楽しくない

など、

発達障害をもった子どもたちは、一般的な子とはちょっと異なります。

現場と運営会社のギャップかもしれませんが、溝を埋めることが困難になり退職を決意しました。

人手不足で会社が潰れるかもしれない

支援をさせてもらった子どもたち、親御様、残留した職員には大変申し訳ないと思いました。

しかし、私にも守らなければいけない家族がいます。

立ち上げをした責任もありますが、経営者の判断ミスです。

私は責任者でしたが会社を回すための組織の歯車に過ぎません。

会社という組織は「ピラミッド型」です。

できることをやり尽くしました。

わずか1年ちょっとでしたが、得られたものがとても大きく成長を感じられました。

そして、さらに高嶺を目指して規模の大きい会社への転職を決意します。

このときの転職基準は以下にしていました。

● 採用力がある組織
● 組織経営が安定している
● 運営力があるブランドをもっている

たまたま検索していたハローワークの求人票で出会ったのが、多店舗展開をしている「就労支援」に特化した福祉系中小企業です。(現在の職場です)



就労支援をしようとした決意について


転職するために考えたのが「自分の強み」です。

活かしたかったのが以下3つでした。

● 作業療法士の専門性
● サラリーマンの勤務経験
● 発達障害に関わった専門知識

私の理想は「スーツをきた作業療法士」という考え方です。

会社との交渉や商談というイメージもあったのかもしれません。



現在進行形で語る「就労支援現場の現状」


現在、私は培った組織構築・経営管理・マネジメント能力を使いながら事業所運営を行い、相談者の支援、企業サポートを兼務して行っています。

勤務してから知った就労支援の業界事情は以下です。

①大人の発達障害の相談件数が右肩上がり
②現実的な職場マッチングのハードルが高い
③メンタル不調、HSPなどを敬遠する職場が多い
④生活改善が必要だが、相談者に分かって貰えない


大人の発達障害は本当に多いです。

対人技能に問題があり喧嘩を売るような態度の相談者もいます。

話をしても理解して貰えないケースも当然あり、そういった方は人生を詰んでると思わざるを得ません。

多くの方は「学び」が欠如しています。

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図の通りで、

相談される方に共通しているのが

● 努力の方向性が合致していない

だから目標にいつまでたっても到着しません。

「できない」が「できる」に変わりません。

就職で困っている方は、自分の理想と現実に解離が生じています。

真面目でプライドの高い方が多く、現状を受け入れることができないため失敗を繰り返しているケースが散見されています。

就職は簡単にできるものではありません。

就労支援機関を頼らず、個人で活動されている方はかなり厳しい現実が待っています。



私が関わる「一般就労」と「障害者雇用」


私はこの両方に携わっています。

意味について解説すると、一般就労は通常の就職です。私たちが仕事を探すときにハローワークでみかける求人票のことを言います。

一方で、障害者雇用は障害のある方を対象とし、一定の規定を満たして採用ができていない企業に応募をする方法です。会社側に病気の開示をする働き方です。

「就労支援」には段階があります。

① 自己理解を深めて、自己コントロール力を養う
② 就活をして職場とマッチングをする
③ 就けた仕事を可能な限り続ける


自己理解が深まらない方を、適した支援機関に繋ぐことも「就労支援」の役割です。

厳しい言い方かもしれませんが、すべての人が職場に所属して働けるとは言いにくいです。

私たち支援者側もできることに「限度」があります。

キツい言葉に聞こえるかもですが、

私は「就職して職場で仕事ができそうな方」をしっかり繋いでいます。

それが社会貢献としての役割だからです。

繰り返しますが、就職できない方は別の機関に繋ぎます。

自己理解が深まらない方は就職できません。

できたとしても、形だけの就職です。

続くわけがありません。

①すぐ辞める

②言い訳する

③誰かのせいにする

④落ち込む

⑤変に就職をする

①へ

この繰り返しです。

良いことなんてひとつありません。

「採用されて当然」という考え方は甘いので捨てるべきです。

障害者雇用も同じです。

規定人数を満たしていない企業であれば、応募して必ず採用されるとは限りません。

他にも応募者がいれば確実に「競争」となります。



職場開拓で聞く企業の声


私は就職を前向きに目指す方の間接的な支援として、就職先の開拓を並行して行っています。

「採用」は求人枠を出す企業側もリスクを取ります。

自己理解が深まらない方は就職後に職場と対立することがあります。

コミュニケーション能力の低さゆえに、言葉の認識を履き違えて労働局に一方的に通報してしまったり、弁護士を雇って裁判沙汰にまで発展したケースもあります。

こうなると採用した側のレッテルがいっそう強くなり、その職場の就職ハードルは高くなります。

就職先が限られている地方では「分母」が減るため致命的です。

悪い噂はすぐに広がります。

会社同士、どこで繋がっているのかは分かりません。

勘違いしていただきたくないのが、「仕事ができないこと」が問題になるわけではありません。

誰だって就職したては1年生ですから覚えることが多いです。

ですが、

良好な人間関係の構築は「仕事ができる」「仕事ができない」以前の問題になります。

大切なことは「自己理解」と「学び」なのです。



終わりに


ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。

少しでも、私(小林玄人:haruto)がどんな人なのか知って頂ければ幸いです。

ブログでは綴らない想いをnoteで残していきたいと思います。

私が携わっている仕事について、少しでも興味がある方は下記の記事から詳細を読んでいただけると幸いです。

⏬ 解決策をまとめています ⏬

【必ず働けます】障害福祉のサービスで悩むあなたを完全サポート【安心】


記事の後半から「就労」をメインに書きましたが、

この記事の序盤でも書いている通り、私のルーツは「老人介護」です。

「就労」以外で持ち合わせている専門性があります。

✅ 親の介護をしている
✅ 介護負担を減らしたい
✅ 認知症で介護負担が大きい


こんな悩みの方はこちらの記事から詳細をどうぞ。

⏬ 現場経験をもとに解決策をまとめています ⏬

【kizuki-care.net】介護の教科書

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