結婚しないのか?できないのか?誰も興味のないアラフォーの恋の話

私が結婚しない理由。

そんなことを書いてみようと思ったのは、年末年始に姪っ子に会ったことがきっかけだった。

大晦日。私は朝からトレーニングをして、焼き菓子を焼いていた。数日前に、歩いて1時間のオーガニックスーパー(比較的安い)で食材を買い込み、年末年始の献立を考え、野菜を下ごしらえしたり、冷凍したりしておいた。大晦日の午後になってようやく食材を車に積み込み、田舎まで車を走らせた。

実家のリビング。思い思いに食べながら遊ぶ甥っ子姪っ子たち。その脇でたらふく食べ、酒を酌み交わす大人たち。くるくると切り替わるTVチャンネル。紅白ではトリの歌とピアノ演奏が始まっていた。料理当番の私はちょっと休憩していた。ふと姪っ子が寄ってきた。

ねえ、おねえちゃんは赤ちゃんいないの?
結婚してないの?
もうすぐおばあちゃんになっちゃうの?

なんだその質問は。とは当然言わない。

そうだね。そうだよ。

笑って会話を流す。

そんなことがあった。

私は一人で暮らしているのが幸せでしょうがない。

男と暮らしたこともあった。一度ではない。結婚はしなかったけど。

結婚したいと思ったこともあった。いわゆる婚活もしていた。ただそれは、思い込まされた価値観だったと気づいた。親は周りからいろいろ言われてかわいそうだったが、それは私が求めていない。そう気づいたときには40歳を越えていた。時間を返せ。一人でいろいろ勉強したいこと、極めたいこともあったんだ。若いうちにさ。そんなふうに思ったってしょうがない。気づくために必要な旅だったと思う。

いまはおばちゃんだが、一度もモテなかったわけでもない。学生時代の文集には、一番早く結婚しそうな女のランキングに載っている。恋が少なかったのかと聞かれれば、そうだとテキトーに答えてきたが、思い返せばまったく少なくはなかったような気もする。

しかしとにかく、人と関わることが億劫でしょうがないというのはもうずっと昔からあった気がする。だから、30代のころ、あんたは今結婚してないってことは、どんだけ人とコミュニケーションとってこなかったかわかる、と母に言われたが、あながち間違いでもない。

そんな私だからA氏と出会ったのかもしれないと思う。よくぞ強烈な人物と出会ったものだと思う。彼はコミュニケーションの天才だ。臆せず、怯まず、人と会う。とことん話す。おそらく、私にもっとも足りないものを持っている男。毎日話しているから、彼の日常を聞くと、その生き方から学ぶことは多い。

年明け。一年前の今頃は私に恋をしていた人が、近く結婚すると聞いた。いいじゃないか。おめでとう。私に早くいい人を見つけて幸せになってもらいたいとかなんとか言ったそうじゃないか。しあわせだよ。これでも充分に。

健康オタクだった私は、彼と出会ってさらに健康的な生活を身につけた。食と運動。彼に教わったのではない。自分で暮らしを工夫した。付き合いは浅かった。私の手料理を一度も食べたことないくせに、私が料理できないみたいなこと、よくも言ってくれたな。別れ際にあんなにダメ出ししてくる男は初めてだった。ふざけるなと思いながら、一人暮らしにしては多めの野菜を仕入れるようになった。野菜をひたすら切って、冷凍して。新聞紙にくるんで。一生使える、食材の保存技術を身につけた。毎朝どんぶりで野菜たっぷりの味噌汁を摂取する。出会ったころから再開したトレーニングはもう1年以上続けている。彼は私の健康に貢献してくれた。そう思えば、感謝しかない。あれ以上一緒にいても、お互いにツライだけだった。

一緒にいたとき、彼もつらかったけど、私もつらかった。私のペースで生きられない。私のペースは彼にはずいぶん手際が悪いと感じるらしかった。私は必要なことに必要な時間をかけているだけだと思っていた。彼の言葉にしない圧を感じとれないほど鈍感ではない。私は彼が仕事でいなくなるとほっとすることがあった。今から思えば、あれは「生きづらさ」だった。あのときの私には、自分から別れるという決断はできなかったから、向こうから別れを決めてくれてありがとうと思っている。

これからは友だちで。と言いながら、振り返りもしなかったあの後ろ姿を、いまでも昨日のことのように思い出すよ。本当は。

さまざまな状況や理由から、パートナーと歩む人生に「生きづらさ」を感じている人たちがいる。その「生きづらさ」を感じているのは女性が多いとされているが、男性もたくさんいると思う。

ふと思い立ち、DVや虐待の被害者を支援するための養成講座を受講した。私は最初、DVといえば暴力をイメージしていて、モラルハラスメントというのはよくわからなかったが、いまはわかる。パートナーの態度や言葉によってなんらかの「生きづらさ」を感じているとしたら、それはモラルハラスメントの可能性がある。

その講座以来、私のDV被害者支援の活動は続いている。

もともと私もDVサバイバーだし、家の中で豹変する男というのを何人も見たり聞いたりしている。そんなに多いのかよ。みんなそうじゃないのに、みんなそうなんじゃないかってくらい見聞きしている。そうなるとさ。どんな良さそうな人が目の前にいても、ブルータスお前もじゃないのか。という気にもなるわけです。そして今日も、一人の気楽な家に帰ってゆく。

そんな毎日。

今日もしあわせをありがとうございます。

合掌


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