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信州には蕎麦とおやき以外、何もないから…などと、信州人にはよく言われるけれど…。【海産魚介】

信州という土地柄では、山に、里に、川に、湖に、そして食材の中に、歴史が詰め込まれているように思う。
信州人には、原理主義気質とでも言おうか、単なる真面目さや古きを尊ぶ文化とは少し異なる、原理原則を追い求める気質が備わっているように思うのだが、その気質が諏訪信仰や穂高信仰、善光寺などを守り続けてきたのと同じように、食文化をも守り通しているように思えて、とても魅力的な環境である。
信州にはグルメ県の印象は少なく、どちらかと言うと川魚や昆虫などのゲテモノ食の話題ばかりが先行してしまいがちなところがあるけれども、信州人自身が主張しないだけで、実は隠れた美食県なのではないかと思っている。
信州には特産品がないと主張するだけあって、信州人は、各地の特産品と思わしきものを非常に積極的に取り寄せている節が見受けられる。
そして近年では、海産魚介に対するコンプレックスも手伝ってのことなのか、スーパーの鮮魚コーナーに並ぶ魚の種類が他地域を凌ぐ勢いを見せている。
海を持たないという自覚が、ほかの地域を凌ぐほどの海産魚介への情熱に繋がっているようにも見える。
ここにないものは海ぐらいのものではないかと思っていたのだが、その海でさえも北陸新幹線が通るようになって、沿線の町では海産物の入手の困難さも解消されつつあるようなのだ。
県歌「信濃の国」にある如く、「海こそなけれ物さわに、万ず足らわぬ事ぞなき」ように思っていた信州ではあるものの、こと海産魚介については印象が変わってきていると言えよう。
今回は、特産というほどのことではないけれども、番外編として、海産魚介編を立ててみようかと思う。
言ってみれば、信州の海産魚介事情である。


【海産魚介】
信州は、その立地の条件からして、日本海からも太平洋からも遠く、生活に必要な塩を得るためにも大変な困難を乗り越えなけばならなかった。
塩の道を通って、日本海から運ばれてくる塩を北塩、太平洋から運ばれてくる塩を南塩といい、塩尻という地名が信州に多いのは、そんな塩の道の終着点だった土地が各地に存在していたからであった。
海こそなかったものの、信州には塩泉の湧出する場所が豊富にあったらしく、塩田や鹿塩など塩のつく地名もまた信州には多い。
塩泉から湧き出た塩を舐めさせることが出来たことで、信州は各地に馬牧を設けることが出来たそうであるが、この塩泉も人間が必要とする塩分量を補うことは出来なかった。
海から続く塩は、信州人にとっては、もっとも大切な海産物であったと言えるだろう。
けれども、それも今は昔。
鉄道や高速道路の張り巡らされた現代においては、信州にも、新鮮な磯場のにおいが運ばれてくる。
昔の信州では、茹でたイカの塩漬けである塩丸イカが海産物の代表だったようだけれども、昨今では、逆に塩丸イカの方が隅の方に追いやられているような状況であり、新しく信州にやってきた者にとっては身近な存在とは言い難く、塩丸イカは次第に影の薄い存在になりつつある。
同じ海なし県の甲州・山梨県において、高級食品として一定の存在感を得ているアワビの煮貝と比べると、富山県で加工されてきたという事実もあってか、信州の塩丸イカはやや肩身が狭い。
ホタルイカも、富山湾が近いこともあって、ボイルされていると言えども新鮮な感じがして、一味違う。
値段はさて置いて、タイラ貝(タイラギ)やミル貝(ミル食い)などが、信州の鮮魚コーナーに並んでいるのを見ると、下手な地方都市よりも魚介類の種類は豊富になっているように思う。
北東北では食べる機会のなかったズワイガニが流通網に乗っているということも新鮮であった。
自分は、津軽海峡で漁獲されるケガニやタラバガニの流通圏で生活していたので、カニと言えばケガニかタラバガニのどちらかであったけれども、信州にやってきて、初めてズワイガニの上品な味を知ることが出来たわけである。
大都市圏で生活されている方にはほとんど伝わらないかもしれないけれども、交通網と流通網の末端に位置する土地の物流は、枯れてしまっていることが多い。
はっきり言ってしまえば、交通と流通の便の悪い北東北の片田舎より、究極の山国であっても流通網の整備された信州の方が、ずっと豊富な海産魚種に巡り合えるのである。


長野新幹線の開業、そして北陸新幹線への延伸があって、その状況はさらに加速している。
新潟県・寺泊漁港、富山県・氷見漁港、石川県・七尾漁港などから、日本海の魚が運ばれて来るし、東京や名古屋からは太平洋の魚が、ここ信州の地に運ばれて来る。
北東北のスーパーではお目にかかることの出来なかった魚、太平洋のシマアジや、日本海のノドグロなどが、信州のスーパーには集まってきているし、
わたしは信州に来て初めて、その両者、太平洋のシマアジと日本海のノドグロを味わうことにもなった。
さすがに、信州のすべてのスーパーの鮮魚コーナーにおいて、というわけにはいかないけれども、解凍物ではない刺身のラインナップが豊富な店舗が増えていることは喜ばしい。
信州で買うことの出来た刺身の魚種について、列挙してみよう。
クロマグロ、メバチマグロ、ビンチョウマグロ、ブリ、カンパチ、シマアジ、マアジ、マガツオ、マイワシ、サンマ、サヨリ、ウルメイワシ、ニシン、タチウオ、サワラ、カマス、スズキ、メジナ、イサキ、クロダイ、イシダイ、イシモチ、ヒラメ、マゴチ、マダイ、アイナメ、ウマヅラハギ、メバル、ノドグロ、クロムツ、ソイ、アカヤガラ、ホウボウ、コブダイ、イトヨリダイ、マハタ、キンキ、キンメダイ、スルメイカ、ヤリイカ、アオリイカ、…。
海産物についての不安を抱えて移住を思いとどまっている方は、新幹線沿線ならば、結構、安心されてもいいかもしれない。
真の意味での魚ではないけれども、たまに、クジラの刺身なんかが売られていることにも驚いてしまう。
東北六県だって、スーパーで買える鯨肉と言えば塩くじら(塩皮鯨)がほとんどで、鯨の刺身がスーパーに並んでいるのは、豊かな捕鯨文化を持つ宮城県くらいのものではないだろうか。
信州はいつのまにか、東と西、北と南の魚食文化がまじりあって融合する土地となってきている様子である。


かつては、塩を手に入れることさえ困難を伴った信州ではあるものの、現代の信州には魚介食の文化が根付いてきている。
東北人にとって嬉しいのは、しょっつる鍋用のハタハタや、じゃっぱ汁用に白子を添えられたマダラ、そしてホッケの開き干しや、海藻のメカブやギバサなどが並べられている店舗の多いことである。
魚醤は、男鹿のしょっつるだけでなく、能登のいしるも店頭に並べられていて、なまはげとあまめはぎなど、男鹿と能登の文化が意外と似ていることにも気が付く。
残念なことがひとつあるとすれば、鮭についてはギンザケが主流で、ベニザケがあまり出回っていないことだろうか。
信州の焼き鮭は甘くて軟らかく、秋田のぼだっこおにぎりの具のような、固くて身がほろほろとほぐれて、ほどよいしょっぱさの焼き鮭にはなかなかお目にかかれないのが、たまに物足りなく感じてしまう。
日本海や太平洋からの海産物が集まって来てはいるものの、そもそも信州の人たちにはまだ、魚を食べる文化自体が弱いのだろう、土地や店舗によって売り場面積はさまざまである。
同じ系列のスーパーの鮮魚コーナーではあっても、いつのまにやら陳列魚種と流通量が絞り込まれている地域もあるように見受けられる。
手に入りやすくはなったと言うものの、信州人には海産の魚介を好んで食べない部分もあるようで、魚介に力を入れていた店舗がその後、陳列魚種と流通量を減らすというケースもある。
このあたり、外から信州に移り住んできた移住組ががんばって魚を食べて、鮮魚コーナーの陳列魚種と流通量が減らされないよう、なんとか踏みとどまっていかなければならないのだろう。


信州、とりわけ長野市などの北信のスーパーで驚くことは、サバの缶詰の陳列数の多さであろう。
缶詰コーナーの陳列棚一面に、サバの缶詰が整然と並べられているさまは圧巻であるし、店内の至る所に、気が付いたらどうぞと言わんばかりの置き方で、サバの缶詰が並べられている。
野菜コーナーにいるはずなのに、サバの缶詰がうず高く山積みにされていたりして、信州人のサバの缶詰に対する情熱に圧倒される。
その情熱は、魚が手に入りにくかったというネガティブな理由ばかりではなく、もっとポジティブな理由からくるものなので、海産の刺身が普通に手に入るようになった今でも、信州人のサバの缶詰に対する愛情は変わらない。
北信地域では、サバの缶詰が、もはやソウルフードの領域にまで昇華してしまっている雰囲気さえある。
それは、北信地域が、東北地方と同じく、ネマガリタケを愛する山菜文化を有するがゆえである。
北信地域では、ネマガリタケとサバの水煮缶詰を味噌汁の具として投入し、通称、サバタケ汁として食するのであるが、これが水煮のダシも手伝ってなかなかの味わい。
この取り合わせは信州オリジナルのものであるから、もはや特産品と言ってもいいようなものかもしれない。
春、ネマガリタケの季節ともなると、サバの水煮缶詰の陳列コーナーは爆発的に膨らみ、野菜コーナーにも山積みになる。
サバの水煮缶詰の陳列数の増加で、春を感じるようになったらなら、本格的に信州になじんできた証であろうか。


信州の総菜コーナーには、サラダ軍艦という他県人にはあまりピンとこない軍艦寿司が並んでいる。
サラダという名前が付けられているものの、イカゲソ、カニカマ、魚のすり身などが主体となった、シーフードのマヨネーズ和え軍艦である。
信州は、実はカッパ寿司の発祥の地でもあるので、サラダ軍艦は信州の特産と言っていいであろうか。
他県のカッパ寿司ではサイドメニュー程度であろうけれども、信州では定番のメニューであり、魚の寿司を差し置いて主役のメニューともなっていて面白い。
マヨネーズをご飯につけて食べて美味しいと感じた方であれば、このサラダ軍艦も癖になるだろうこと請け合いである。
サラダ軍艦のほかにも、サバカツなんて総菜も定番として並んでいて、海から遠く隔たった信州ならではのシーフードであろう。


海産魚介として、信州の特産と言えるものがあるとすれば、それは海藻テングサを用いた加工品・寒天の存在であろうかと思われる。
信州の地は江戸時代から、その寒暖差という特性を利用して寒天の製造が盛んな土地柄であったという。
茅野から始まった寒天製造は、やがて諏訪地域の特産ともなり、伊那の地に、かんてんパパで有名な伊那食品工業の成立を見る。
現在では、寒天製造は単なる加工食品としてだけではなく、微生物培養における寒天培地としての利用など、寒天は、バイオテクノロジー分野の一端を担う先端技術ともなりつつある。
信州の一般家庭では、野菜や果物などを寒天に固めて食べることがよく行われていて、これを寒天寄せとか天寄せなどと呼んでいる。
一般的には、牛乳寒天とか、フルーツ寒天、サラダ寒天などと呼ぶところが多いだろうか。
わたしが生まれた秋田の方でも、横手地方などが何でも寒天の中に閉じ込めてしまう文化を持っていて、子供の頃に水羊羹などと一緒にフルーツ寒天をよく食べた思い出がある。
寒天寄せが、信州の特産であると聞かされたときは、若干、いやいや秋田の方だしと思いもしたものだが、歴史の裏付けや規模の面での話になると、やはり信州に歩があるだろうか。
諏訪の御柱祭のときにも、よく寒天寄せが食べられるそうであるけれども、さすがに縄文時代から続く食文化というわけではなく、寒天文化は江戸の天保年間ごろからのもののようである。
ミカン、イチゴ、キウイフルーツ、カニカマ、シイタケ、ゆで卵、キュウリ、ニンジン、エダマメなど、いろいろな具が寒天の中に取り込まれ固められているけれども、よく出来た寒天寄せのその光景は、まるで万華鏡のようでもあって美しい。


また、信州の特産品というわけではないけれども、内陸県・信州においてひと際異彩を放っているものが、県の中北部に流通する、「えご」「えごねり」と呼ばれる海藻加工食品である。
エゴノリという海藻を煮溶かしたのちに成形し、酢味噌などを絡めて食べる、繊維の粗めなところてんのような食品である。
新潟など日本海沿岸各地に伝わる食習慣とされているが、これが信州に流通していることは、たまに、海人族・安曇氏の安曇野移住と関連付けられて語られることがあるようだ。
「おきゅうと」という、えごねりとよく似た食習慣が、安曇氏の故郷とされる北九州に存在していて、これが信州に伝わるえごねりの元祖とされている。
姫川ないしは千曲川を遡上して信濃の地に到達し、安曇野を開拓・移住することになった安曇氏が、おきゅうとの食習慣を持ち込んだのではないかと囁かれるのだ。
ただ、えごねりという食習慣自体は、これを特産とする新潟県はもちろん、わたしの生まれ育った秋田県・青森県でも食べられていたし、山形県の内陸地域にも流通していたから、安曇氏特有の食習慣であったという説が本当であれば、東北地方を巻き込んだ論争にしなければ平等ではないような気がする。
あるいはえごねりとは、日本海交易を、安曇氏や北九州の海人族が取り仕切っていた証しとしての食習慣であったのかもしれない。

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