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信州には蕎麦とおやき以外、何もないから…などと、信州人にはよく言われるけれど…。【昆虫食文化 前編】

【昆虫食文化】
信州人の昆虫食は、多くはゲテモノ嗜好の文脈の中で取り上げられることの多い題材であるけれども、見習いたいのは、昆虫との付き合い方や昆虫へ向けた愛情の方かと思う。
信州という土地は、昔から昆虫との付き合い方が豊富な地域であり、多くの昆虫界の重要人物が、信州という土壌の中に育まれた。
信州の昆虫生息数は、およそ2万種から3万種とも言われていて、昆虫の種類がもっとも多く生息している県であると言われている。
県内の標高差は約3,000m、日本海性気候と太平洋性気候とがまじりあっていることで、多様な植生・植物相を持ち、北方種と南方種の昆虫たちが混在している稀有な土地柄だ。
とりわけ、蝶においては日本で最も多い生息確認数と言うことで有名である。
蝶という存在は、昆虫の中では比較的市民権を得ている存在であると思うけれども、多くの昆虫はそこまでの市民権を獲得してはいない。
そんな、ときには忌み嫌われることも少なくない昆虫という存在に対する信州人の理解や関心の度合いの高さは、多くの自然科学の分野における重要人物を信州という土地に育んできた。
奇しくも、今年(2023年)のNHK朝の連ドラのモデルである植物学の父・牧野富太郎が憧れて、博物局に逢いに行った人物こそ、信州飯田の人・田中芳男であった。
飯田藩士であった田中芳男は、明治の近代化を生きた人物である。
パリ万博へ出品する昆虫標本の採集のために全国を奔走、虫捕り御用との異名をとり、のちに多くの博物館・動物園・植物園の設立に携わったことで、博物館の父とも呼ばれている人物である。
また、大自然の一部としての昆虫写真を、ひとつのジャンルとして確立させた昆虫写真家・海野和男は、小諸市に移住したことで知られる。
ギフチョウやオオムラサキやミドリシジミを追いかける、蝶の写真家・栗田貞多男は、長野市生まれ。
蜂の研究者・小川原辰雄は、青木村の診療所で蜂毒の治療と研究を続けながら、昆虫への愛を貫き、青木村に信州昆虫資料館を設立。
学生時代にファーブルに触発されてコガネムシの採集に没頭、作家となって「どくとるマンボウ昆虫記」を著した北杜夫は、松本高校に通学した。
青木村の信州昆虫資料館、中野市の昆虫館、辰野町の世界昆虫博物館など、昆虫を主題とした博物館・資料館の多さも特筆すべきことかと思う。
そんな昆虫との付き合い方の多様性のひとつとして、昆虫食文化もまた位置づけられるであろうか。


蜂蜜は、純粋には昆虫食というカテゴリーには含まれないかもしれないが、日本人にとってもっとも馴染みの深い昆虫由来の食材であろう。
古代エジプト・古代ギリシアの時代には、すでに養蜂が行なわれていたというから、人類と蜂という昆虫との付き合いは、おそらく想像しているよりも遥かに古い時代にまで遡ることになる。
スペインでは、蜂蜜を採集している様子を表現している壁画が見つかっていることから、人類の蜂蜜利用は、石器時代にまで遡る可能性があるようだ。
北欧のヴァイキングたちは、蜂蜜を醗酵させたミードという酒を嗜んでいたとも言われ、想像よりも多様な使われ方をしていたように思われる。
ひょっとすると遺物としては残っていないながら、縄文時代の人たちもまた、蜂蜜を食料として採集・利用していた可能性もあるのではないかと思ったりしている。
さて、草原地帯の多い信州では昔から養蜂が盛んであり、その生産量においては北海道と並んで日本一の座を争ってきた。
蜂蜜採集は、近代に導入されたセイヨウミツバチによるものと、日本固有種のニホンミツバチによるものとに大別されるが、信州ではその両方ともが営まれている。
外来種であるセイヨウミツバチは、長距離を飛行し、季節ごとにピークを迎える開花時期に対応して、単一の花蜜を集める習性を持つ。
アカシア蜂蜜などの、雑味のない単一蜂蜜を生産することに適しているため、信州養蜂の中心の座を占めている。
一方で、手間のかかるとされるニホンミツバチによる養蜂も、信州においては根強い人気があるようだ。
日本固有種であるニホンミツバチは、セイヨウミツバチほど広い範囲を動き回らない。
百花蜜と言って、比較的狭い範囲から雑多な花の蜜を集めるので、土地柄によって風味の異なる蜂蜜となるというのが、ニホンミツバチの根強い人気の秘密である。
その土地由来のテロワールを味わうという意味においては、ニホンミツバチによる百花蜜は面白い存在なのである。
スーパーの売り場に行けば、アカシア蜂蜜や百花蜜は言うに及ばず、蜂の巣ごと味わう巣蜜(コムハニー)、レモンの蜂蜜漬けやハニーナッツなど、さまざまな蜂蜜商品が手に入る。
信州にいて蜂蜜にこだわろうとすれば、下手な洋酒よりも出費が嵩むように思うのである。


当たり障りのあまりない蜂蜜の話題を先に持ってきたけれども、信州の昆虫食における主役と言えば、やはりクロスズメバチなのである。
地域によっては、スガレともヘボとも呼ばれるこの蜂は、花蜜を集める花蜂・蜜蜂の類いではなく、純粋に肉食性の蜂であり、スズメバチの名に違わず毒針を持っている蜂である。
小型のスズメバチであるクロスズメバチは、スズメバチと言われて多くの日本人が想像するオオスズメバチのような、致死性の猛毒は持たないとされている。
話題が少し変わるけれども、ドラマ「名探偵ポワロ」のエピソードの中に、「スズメバチの巣」というエピソードがあることを知っているだろうか。
そのエピソードの中に、ポワロがスズメバチに刺されて、その後、薬局で薬を買い求めるだけ、というシーンがある。
スズメバチに刺されてその程度の対応なのかと、このシーンについては昔からどうにも違和感があったものだ。
アシナガバチの巣とすべきところの翻訳のミスではないのかなどと、ホーネットとワスプとビーについて辞書を調べたことまであった。
どうやら、ヨーロッパでイメージされるスズメバチは、クロスズメバチなどの小型スズメバチ類であり、大型のオオスズメバチをイメージする日本人とは異なるということが事の真相であるらしい。
ちなみに、近代養蜂によって導入された外来種のセイヨウミツバチが、野生化してニホンミツバチの生息域を脅かさない理由もまた、日本にオオスズメバチが存在しているからである。
ニホンミツバチは、巣に侵入してきたオオスズメバチを集団で取り囲み、体温によって熱殺するという対抗手段を持つけれども、セイヨウミツバチはそんな対抗手段を持たないままに日本にやってきた。
養蜂家の保護がなければ、セイヨウミツバチは、オオスズメバチの襲撃から巣を守り切ることが出来ないわけである。
さて、クロスズメバチであるが、食べるのは巣から取り出した幼虫と蛹、いわゆる蜂の子の方である。
地域によっては、新鮮な取り出したばかりの蜂の子を、炊き込みご飯・へぼめしなどにして食べるそうだが、蜂の子初心者の身の上では、もっぱら甘露煮の瓶詰の方のお世話になる。
なにも知らないときに食べた蜂の子の味を、蜂蜜のようだと思ったことがあったけれども、幼虫と言えど、クロスズメバチは肉食性の蜂である。
ミツバチのように蜂蜜で育てられているわけではないから、その味覚は、蜂の子本来の味というわけではない。
蜂の子に蜂蜜のような甘さを感じるのは、水飴などで煮込む甘露煮という調理法のためである。
信州では甘露煮の蜂の子のほかに、蜂の子塩味という瓶詰が販売されていて、そちらは純粋に塩味の蜂の子である。
(個人的に、ご飯のおかずとしてなら、塩味の蜂の子の方が好みかもしれない。)
どちらの瓶にもたまに成虫が入っているものの、成虫の持つパリパリとした食感と独特の香ばしさは食味上のアクセントとなっていて、成虫多めの瓶詰があってもいいように思う。
クロスズメバチの巣を突き止めるために行なわれる「蜂追い」は、信州ではレジャーとして愉しまれているようであるが、蜂追いはこの蜂の肉食の習性を利用して行われる。
巣に持ち帰るための肉団子を丸めている最中のクロスズメバチは、集中するあまり人間がその肢に目印を結び付けてもまったく気づくことなく作業しつづけ、そのまま目印をつけたまま飛び立って、木の根元などの地中に作られた巣へと帰巣していくという。
オオスズメバチのような致死性の猛毒とまではいかないが、弱毒性とは言っても、体調が悪ければ取り返しのつかない事態になるような毒である。
クロスズメバチの集中力にも驚きであるが、クロスズメバチを掌の上に乗せて目印を結ぶ、蜂追いたちの集中力にもまた驚きなのである。
信州では、ミツバチを体にまとわりつかせる蜂ヒゲおじさんとか、芸術としてのスズメバチの巣を展示する蜂の巣芸術館とか、蜂に対してのこだわりの強い方の存在をときどき見かけるのだが、信州人の蜂に対する愛情は、他県人の想像の上を行っているようである。
もののついでに言うならば、信州に足を向けるバードウォッチャーの方々にも、蜂をいつくしむ信州の文化には一目置いて欲しいと思う。
信州を訪れる渡りの猛禽ハチクマもまた、その主食として信州のクロスズメバチの味を愛する。
渡りの季節、千曲川の断崖や白樺高原などを集団で舞い上がるハチクマやサシバの鷹柱の圧巻も、信州の昆虫食文化の豊かさを知れば、また一段と味わい深いものと思えるに違いない。

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