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諏訪考 雨の龍・龗神(~戸隠考)。

諏訪のことを考えるということは、信州を、ひいては日本の歴史を考えることに繋がっていくような感覚がある。
諏訪考と銘打っておきながら、今回もまた諏訪から離れたところから話題がスタートすることになる。
思考に飛躍のある内容であると感じたら、いつにも増して、少しお伽話のように読んで楽しんでいただければと願います。

上田市の塩田平地域の奥にある別所温泉は、かつての太陽信仰の痕跡でもあるレイラインの終点となっている。
上田市周辺にある宗教施設は、太陽の軌道に沿うようにして建てられているという説があって、そのレイライン説を裏付けるかのように、神社の鳥居は太陽をそのフレームの中に収めるようになっているし、三重塔には本尊として大日如来が安置されていたという。
上田市のレイラインは、信濃国分寺三重塔を始点とするように始まり、安楽寺国宝八角三重塔を終点とするように、別所温泉の道端で日没を見送る形になる。
国宝八角三重塔や、北向観音、別所神社などを擁する七苦離の里・別所温泉の地は、温泉地としての魅力もさることながら、古代史の記憶を探る上でもたいへんに興味深い土地でもあるのだ。
別所温泉に暮れゆく夕陽は、その奥にある山、夫神(おかみ)山の背後へと沈んでゆく。
夫神山の麓にある別所神社には、「岳の幟」という風習があって、夫神山に棲む龍神に雨乞いをする祭りとして受け継がれているという。
夫神山の龍とは、九頭龍権現であるとのことなのだが、太陽崇拝とともに祀られている水の龍と言えば、どうにも瀬織津姫が脳裏に浮かぶ。


ところで、瀬織津姫は、高龗神(たかおかみのかみ)という龍神と同一視されることが多い。
高龗神とは、雨乞いなどで祈願されることの多い、雨を司る龍神である。
「龗(おかみ)」という小難しい漢字も、もともと「龍」を現す古い言葉であったという。
夫神山の表記は、高龗神のまします山ということの単純な表記であろうか。
女神・瀬織津姫封印の秘密である、性別の変更までもが暗示されているような名称で、穿った見方に慣れてしまったわたしにとっては、実に洒脱な印象がしてしまう。
もしも、高龗神と、九頭竜権現と、瀬織津姫が、同一の延長線上に存在するとするならば、ここで取り上げたいものは、戸隠神社の九頭龍社である。
戸隠山で、手力雄命(田力男命)を祀る奥社のわきに追いやられている九頭龍社も、もとをただせば瀬織津姫を祀る社であったのかもしれないという説は、お伽話のように聞こえるであろうか。
戸隠神社の奥社に至る参道は、逆川という川の流れに沿って登っていく道であるので、水の龍神の支配領域であったであろうことは、容易に想像がつく。
天の岩戸伝説と結び付けられた社伝は、きっとあとから付け加えられたものに過ぎないのであろう。
簒奪の女性太陽神だとアマテラスの神を定義したとするならば、太陽神の神格を剥奪され、封印されたかつての男性太陽神の妃神もまた、入念に封印されなければならない。
この戸隠の地では、その女性太陽神アマテラスを天の岩戸開きで出現せしめた手力雄命その人が、太陽の妃である龍の女神の背後にあって、まるで監視を任されているかのように奥社に祀られている。
岩戸を開くことの出来た唯一の者が、同様の力でもって岩戸を塞いでいるとは、なかなかの念の入りようではなかろうか。
そのように考えて、奥社と九頭龍社を見ていると、なんだか重苦しい気分になってしまう。

戸隠神社 杉の参道
戸隠神社 九頭龍社

おさらいになるのであるが、戸隠神社は、五つの社によって構成されている。奥社、九頭龍社、中社、火之御子社、宝光社である。
観光名所的に紹介するならば、参道の杉並木や随神門の存在も無視できないものではあるが、今回の話の内容に沿う限りではあまり重要ではない。
先に、太陽神とともに祀られている水の龍という表現を用いたのだが、では、戸隠神社は太陽神を祀っているのかという当然の疑問が湧き上がってくる。
戸隠神社の祭神の中には、特別、目立った太陽神の存在はない。
ただ一社、火之御子社という神社についての違和感を除いては、目立った太陽神の存在はない。
奥社には手力雄(タヂカラオ)命、中社には八意思兼(ヤゴコロオモイカネ)命、宝光社には思兼命の御子神の天上春(アメノウワハル)命が、それぞれに祀られている。
ところが、火之御子社の祭神だけは、不自然なくらいに複数の神名が並べられていて、なんだかよくわからないことになっている。
祭神が、まるで、ごった煮なのだ。
その複数の神の中で、特に取り沙汰されているのは、手力雄命とともに岩戸開きで功績のあった、天鈿女(アメノウズメ)命なのだが、個人的に、なんとなく腑に落ちない気分は拭えない。
何が、火之御子なのかという疑問もある。
そこで、火之御子社とは、日之御子社ではなかったかと考えてみることにした。
祭神の正体が不明なこの社こそが、実は、もともと太陽神を祀っていた社ではなかったのだろうか。
戸隠五社を歩いてみて、もっとも太陽の力を感じた場所が、この火之御子社であったということも、この空想に力を貸してくれているようだ。

戸隠神社 火之御子社
戸隠神社 火之御子社

ところで、戸隠神社はなぜ、五社も社殿があるのだろうか。
唐突に頭の中に湧いて出てきた、まったくの空想のお話をさせていただきたいと思う。
龍の女神と太陽神、瀬織津姫と饒速日命とを、分断して監視し、その封印を完璧におこなうために、三つの社の結界が必要だったのではあるまいか。
位置関係を見る。
まず宝光社が、火之御子社に隣接して、まるで威圧するかのように建っている。
九頭龍社のすぐ脇には、奥社が、まるで逆川と九頭龍社との隣接を邪魔するかのように建っていると、見えなくもない。
注目は、中社である。
以上のような偏見を持って中社を見たとき、火之御子社と九頭龍社の中ほどの条件のよい立地に、まるで立ち塞がるかのようにどっしりと構えているではないか。


ここで唐突に、話題を諏訪地域へ、小袋石様のある磯並四社の方へと移そう。小袋石様へと至る山道には、磯並社をはじめ、四つの祠があって、登っていくとひとつずつそれに遭遇することになるのだが、ここで気になるのがその祭神となる。
わたしの聞きかじった磯並四社の祭神とは、磯並社が綿津見(ワタツミ)神、瀬神社が瀬織津姫、穂股社が八意思兼命、玉尾社が饒速日命なのである。
磯並四社の中に、饒速日命と瀬織津姫を祀る祠が存在しているということも、たいへん興味を惹かれるポイントでもあるのだが、それ以上に引っかかっているのが、八意思兼命という祭神の存在である。
八意思兼命を祭神とする穂股社は、饒速日命と瀬織津姫の祠の間にあって、ふたつの祠の隣接をまるで邪魔するかのように建てられている。
なぜ八意思兼命の名前が、磯並四社の祭神に含まれているのか、はじめて伺ったときには、違和感ばかりが心に浮かんだ。
そして、戸隠五社を歩いて感じた違和感と、どこかのタイミングで結びついてしまった。
磯並四社で起こっている出来事が、そのまま戸隠五社においても行われているのではないかということに、はたと気が付く。
中社に祀られている祭神とは、穂股社と同じ八意思兼命である。
そして戸隠にあっては、彼の御子神・天上春命までもが、宝光社に祀られている。
磯並四社のひとつとして、太陽神と龍の女神の隣接を分断していた八意思兼命は、戸隠五社にあっては、親子二代の力をもって、太陽神と龍の女神の間に立ちはだかっていたのではないか。


一説には、饒速日命とともに天降ったと言われる八意思兼命ではあるものの、記紀神話に描かれるその姿は、アマテラス側の軍師参謀的な立ち位置である。
立ち回りがうまかったということなのであろうか、謎を秘めた神、謎を秘めた一族であると思われる。
南信州には、八意思兼命を祖神とする阿智氏の拠点、阿智神社が存在している。
古東山道の通る伊那谷にあって、封印の任務・蓋の役割を担っていたのが、八意思兼命とその子の天上春命ということなのであろうか。
思い兼ねるという響きからは、賢く立ち回るというよりは、どこやら思い煩うというような、板挟みの逡巡のような思考の動きを感じてしまう部分もある。
饒速日命との近しい関係から、保護者的な管理監督者に収まったのだろうか。
饒速日命に対しては、同情的な牢番としての立ち位置なのかもしれない。
いずれにしても、織姫星と彦星のふたつの星の間に立ち塞がるこの神の役割は、ふたつの星の邂逅を防ぎとどめる、天の川であったのだろうか。
今回はいつにも増して、お伽話要素が強い内容となったかもしれない。
反省はするものの、頭に浮かんだ空想を一度、言葉に起こしてみたいという欲求は、なかなか抑えられないのである。



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