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土地によって少しずつ異なる、雪の表現がおもしろい。

太宰治の小説「津軽」や、新沼謙治の「津軽恋女」によって、そこそこ有名になったと思われる、津軽の「七雪」。
粉雪、粒雪、綿雪、粗目(ざらめ)雪、水雪、固雪、氷雪。
「津軽恋女」では、津軽には七つの雪が降るとか、と、歌われているけれども、実は、積もったあとの雪の状態を指す表現も含まれているため、七つの雪すべてが空から降ってくる雪というわけではない。
空から降ってくるのは、粉雪、粒雪、綿雪の三つだけであり、実に、七雪のうちの半分以上、水雪、固雪、ざらめ雪、氷雪は、積雪してしまったあとの状態を指す言葉である。
雪の積もらない土地に住む人々にとってみれば、雪は、降って終わりのはかないものというイメージなのかもしれないけれども、豪雪地帯に住む人々にとってみれば、雪とは、降るものであること以上に、そこに日常的に積もり続けているものであり、毎日の積雪の状態こそ気にかかるものである。
「津軽の七雪」は、美しいイメージだけの言葉ではない。


そして、そんな一度降って積もってしまったはずの雪が、また再び舞い上がって、更なる津軽の冬の厳しさを演出することさえある。
津軽という地域のうち、岩木山より北側に位置する津軽平野には、猛烈な「地吹雪」が吹き荒れる。
太宰治や吉幾三のふるさと、金木町(五所川原市)などが、そんな「地吹雪」の中心地である。
岩木山の東南側に広がる盆地・弘前市では、岩木山が風を遮ってくれる恩恵によって、雪は風情さえも感じさせる様子でふわふわと落ちてくる。
反対に、岩木山の西北側に位置する津軽平野では、日本海側から吹き込んで陸奥湾へと抜けて行く猛烈なまでの海風が、積もっていた雪さえ巻き上げて容赦なく叩きつけるのだ。
そんな津軽の土地を、降雪時に車で移動していて面白く思うのは、降ってくる雪の角度が少しずつ傾いていくことであった。
弘前市を中心とする中南津軽では、真っ直ぐにゆらゆらと落ちてきていた雪が、北に移動して藤崎町あたりでは横風を受けて傾き始める。
さらに北の板柳町あたりでは雪はフロントガラスを打ち付けるようになり、外に出たなら肌にぶつかる雪には痛みさえも感じるようになる。
鶴田町あたりで雪が横に吹き抜けていく頃には視界は真白く、雪混じりの風は、警告とも威嚇ともとれるような恐ろしい唸り声をあげている。
津軽平野の道路の西側には、延々と地吹雪対策の防雪柵が設けられているけれども、防雪柵が途切れている交差点では、そこにだけ雪がなだれこんできていて、こんもりとした山になっていることがあり、真っ白くなった視界にうっかりしてしまうと、車ごとそこに乗り上げてしまうので気を付けねばならない。


やっとのことで五所川原市へ至る頃には、地面すれすれをかすめるようにして風と雪とがともに吹きつけ、横なぐりに打ち付ける雪は、重力を無視するかのように建物の壁面に向かって積もっている。
厄介なのは、冷たい風が、路面を凍らせてしまうので、白い雪がうっすらと覆い隠しているそのすぐ下には、スケートリンクのようによく滑る、ブラックアイスバーンが隠されている。
五所川原市の中心部からさらに北に進んで、今では合併して五所川原市の一部でもある金木町は、太宰治や吉幾三の生家のある街である。
「地吹雪」の本場ともされる金木町では、降り積もって眠っていたはずの雪さえ目覚めて、再び空へと舞い上がる。
視界は真っ白く遮られ、方向感覚さえも失われるくらい、「地吹雪」の力はすごい。
ホワイトアウトした視界の中、ブラックアイスバーンの上を滑りだしたら、まるで宇宙遊泳でもしているかのように、自分の存在している座標すらわからなくなってしまう。
「地吹雪」を抜けて、さらに北、長い木の板を立て並べた雪囲い「かっちょ」が見えてくれば、もうすぐそばには日本海である。
十三湖の湖畔では、潮風混じりで雪が重さを増すせいか、雪の舞い上がりは抑えられて視界は開けてくることが多い。
市浦村では、地吹雪の巻き上げる雪のかわりに、波しぶきの冷たさが、肌を刺してくるように痛い。


秋田県や山形の庄内地方には、「ぼた雪(牡丹雪)」という表現がある。
水気を含んで「ぼたぼた」と降ってくる様子から、「ぼた雪」だと思っていたけれども、大きくて牡丹の花のようだから「牡丹雪」で、その牡丹雪が訛ってしまって「ぼた雪」となったということのようだ。
子供のころ、そんな白い花のような「ぼた雪」が降ってくると、なぜかテンションが上がっていた。
粒雪や綿雪よりも個性が強いように感じられて、秋田に暮らしていたころには、雪と言えばこの「ぼた雪」の印象が強かった。
雪掻きなんぞはうんざりだけれども、窓の外から見える「ぼた雪」の降る様子は、ゆったりとした時の流れなどが感じられて、とても趣きの深いものであった。
ところが、よくよく考えてみると、「津軽の七雪」には、この「ぼた雪」が入っていない。
津軽の七雪の中に、「ぼた雪」が組み入れられていないのは、子供心に、少々不本意な気持ちがしていたものだった。
弘前市を中心とする津軽地方では、「ぼた雪」という言葉自体、あまり使用されていないのかもしれない。
弘前市は盆地であるから、秋田市や酒田・鶴岡などのように、雪が、海からの湿気を含んでいないということだろうか。
五所川原市や西北津軽に至れば、湿気を含み始めた雪も、横なぐりに吹き付ける地吹雪であるから、きっと牡丹の花のような形状はとどめないのに違いない。
口を開けて待ち受けて、落ちてくる綿菓子のような「ぼた雪」を食べるのは、秋田にいた頃の遊びであった。
秋田には、「上見れば虫コ、中見れば綿コ、下見れば雪コ」という短いフレーズのわらべ唄のようなものがある。
大量の白い点描が、真っ暗な空に浮いている様子は、虫の大群そのものよりも虫のように見える。
このわらべ唄も、「ぼた雪」の姿をイメージすることが出来ればこそ、とても豊かな情景描写に思えるような気がしている。


山形市にいたころ、衝撃的だったのは、「雪掃き(雪はき)」という言葉の存在である。
それまでなにげなく使っていた「雪掻き(雪かき)」という言葉が、全国区ではないのだと初めて思い知らされたのが、山形の「雪掃き(雪はき)」という言葉との出逢いであった。
雪かきではない表現のあることの驚き。
山形市内では、雪かきという言葉よりも、「雪はき」という表現を用いることの方が多い。
秋田の田舎の方では「雪寄せてくる」などといった表現をすることもあるけれども、それも「どか雪」が降ったときに臨時に使用する言葉のようなイメージで、圧倒的に、「雪寄せ」よりも「雪かき」という言葉が日常的であった気がする。
「雪寄せ」は、屋根の「雪下ろし」とワンセットのようなイメージを持つ言葉で、屋根から下ろした雪を、通行の邪魔にならない程度に寄せておくといった使い方だったように思う。
翻って、「雪掻き」という言葉は、降り積もって固まってしまった雪の、硬派な手ごわさを感じさせる言葉である。
「雪寄せ」や「雪掃き」といった言葉とは違って、ガリガリと気合を入れて搔かなくてはどうにも剥がれて来ないような、難敵に対する一手間を想像させる言葉だ。
「雪掃き」という言葉が多用される山形市では、固まってしまった雪をゴリゴリと掻かなくとも、うっすら積もった雪を、箒で掃くだけで充分ということなのだろうか。
実際、山形市内はそこまで雪深いということもなくて、剣先スコップやらスノーダンプやらを準備していると、やや大仰に感じられる部分はあった。
積もるとなったら容赦なく積もる、非情なまでの「どか雪」ぶりが目につく山形市内ではあるのだが、そんな豪雪地帯のイメージとは裏腹に、山形市内は雪が溶けて消えるのも早い。
「根雪」がそれほど深くなく、そして、長くは残らないために、雪を掻き取る一手間をかけなくてもよいのかもしれない。


信州には、信州人同士にしか通じない雪の降り方についての表現が存在している。
信州に暮らすようになって、天気予報で唐突に「かみ雪」型、「しも雪」型と表現されても、信州人以外の者には、それが何を意味するのかは、とんと見当がつかない。
本来、長野市を中心とした県北部にしか積もることのない雪が、松本市などの中部・南部にかけて積もることを指して、「かみ雪(上雪)」型と呼んでいるのだそうだ。
この言葉を初めて耳にしたときには、噛みつくような冷たい雪を指して、「噛み雪」と呼んでいるのかと思ったのだが、そういうことではなかったようだ。
「しも雪(下雪)」という逆の表現もあるのだが、県北部にだけ降ることは従前のことであるので、「しも雪」型であることを特別に強調するといったことはあまりない。
「今度の雪は上雪型だ、すわどうしよう」という使い方をするのが一般的だ。
「上(かみ)」とは「上方(かみがた)」の上(かみ)であり、京都に近い方という具合の意味合いである。
京都に近いとは言っても距離的に近いということではなく、京都から通ずる道が通っていた方向によって上・下の序列が決められている。
下諏訪が北・上諏訪が南、上伊那が北・下伊那が南と、上下と南北の感覚が逆転している地名があるのも、信州の面白いところである。
北信・中信では当たり前のように通用する「かみ雪」「しも雪」という言葉ではあるものの、
同じ信州であっても、東信の人たちにはどうやら馴染みのない言葉のようで、いい気になって使用してみたところ、あまり通じなかったということがある。
さすがは、地域ごとに独立不羈の精神を持つ信州である。
そんな長野県の東部、軽井沢や佐久平に積もる雪は、不純物が少ないせいか、とても美しい。
標高の高さが、雪の純粋さを保ってくれているのだろうか、積雪の内部がほの青く染まり、まるで氷河の洞穴のようでもある。


信州は山に囲まれている地域柄だけに、標高の差によって、積もるところと積もらないところの落差が激しく、まるで別世界のように感じられてしまう。
北信の須坂市などは標高差のとても大きい土地なので、千曲川流域から山あいに登っていくにつれて、その雪国化していく景観が、なかなかに劇的で見ごたえがある。
山から下りてくる車の屋根の上を観察すれば、積もっている雪の量によって、その車の持ち主の、住んでいる土地の標高が窺い知れる。
等高線によって主要作物が変えられるアンデス山地の農業のように、等高線ごとに、選ばれるクルマの種類が変わっているかもしれない。
中野市と飯山市のように、山(高社山)の南側斜面に位置するか北側斜面に位置するかによって、雪の積もり方が異なる場所も存在していて、雪に悩まされている方々には申し訳ないと思いつつも、信州の気象現象はとても面白いと感じてしまう。
新潟県・中越地域や、群馬県・北毛地域にかけての一帯は、豪雪地帯として名高い土地であるけれども、北アルプスによって誘導されて信州の外側に弾かれた雪雲(雨雲)が、ふたたび南下を始めて巻き込んでいる場所なのかもしれない。
小林一茶が「ついの住処か雪五尺」と句に詠んだ、柏原宿・野尻宿は、このあたりの地勢を代表していると言えるだろうか。
信州の天気予報を見ていると、信州を避けるようにして移動する、雲の動きが非常に面白く感じられる。
列島の西から流れてくる雲を、北アルプスの山々がついたてとなって南北に受け流し、北に流れて行った雲はやがて巻き込むように転回して、中越地方や北毛地方に大雪を降らせることになるようだ。
新潟県中部から群馬県北部にかけての地域が、日本有数の豪雪地帯である由縁が、信州の天気予報を見ているだけで納得できてしまうのであった。

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