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いつか読む日のために。

葉蒔、あなたがこの世に生まれてきてくれてから、はやくも2週間が経ちました。いま、2時間以上の寝かしつけを経てようやくベッドで寝ている葉蒔を部屋において、キッチンでこの文章を書いています。

葉蒔が生まれてきたのは、雨の日が続いたあと(トップの画像は前日まで降り続いていた雨がやんだ朝)の、随分清々しい晴れた日でした。破水したさやかちゃんを病院に送り届けたあと、ひとり車で帰った134号線のあの青空が忘れられません。

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8月19日の134号線

実はここだけの話、雨の日に生まれたら名前に「雨」を含めようと思ってたんだよ。でも、随分晴れた日だったからその案は却下。このあと名前の漢字に随分悩まされることになります。

そんな話はさておいて、ここからはぼくが葉蒔が生まれた日のことを記憶にとどめておくために、少し詳細にあの日のことを記しておきます。書いていると随分長くなってしまいそうだなと思ったけど、これはぼくにとってとても大切な出来事なので、やっぱりちゃんと残しておこうと思ったのです。

あの日のこと。

さやかちゃんが破水したのは8月19日の木曜日。朝6時半ごろでした。
葉蒔はほんとは「8月9日に生まれる」と言われていたんだよ。それなのに随分お腹の中で粘って、おばあちゃんの誕生日も、おれの誕生日も、おじいちゃんの誕生日も、二人目のおばあちゃんの誕生日も、ひいおじいちゃんの誕生日も追い抜いて(?)しまって。ほんとにいつになったら生まれるんだ、もしかしたら薬をつかわなければいけないかも、ってみんなが心配になっていたときに、生まれてきました。
みんな、葉蒔が生まれてくるのを心待ちにしていました。

葉蒔がこれを読んでいるとき、もうコロナは収まっているのかな。いやさすがに収まっていてほしい。
実は葉蒔が生まれた2021年は、コロナウィルスというとんでもない感染症が世界中で流行っていました。だから病院に入る(物理的に)のも一苦労で。

さやかちゃんが破水して、車で鎌倉の病院に送り届けて(ちなみにこの日、黒いデリカはたくさんが使っていて、ぼくらは鍵を借りていた卓さんの軽自動車で病院に向かいました。焦り過ぎててセカンドで走ってたことに途中で気づいた)、まずされたことはコロナの検査でした。
無事にふたりとも陰性で、「よっしゃ、ここから出産じゃ〜!」と気合いを入れてその日に入っていた仕事のミーティングをすべてキャンセルしていたぼくに告げられたのは「じゃ、旦那さんはお帰りください。また陣痛きたら連絡しますので」の二言でした。えええええ?って感じだった。
まあそれぐらい、実は出産について無知だったということです。

最初は病院近くのファミレスでのんきにモーニングを食べて映画を見ながら待っていたのだけど、映画を1本見終わったとき、ふと気が付きました。「これ、当分連絡こねんじゃね?」と。
エアコンが直で当たる席だったこともあって、まじでめちゃくちゃ寒くて、おれはすぐに家に帰ることにした。最初に書いていた134号線の青空は、まさにこの帰り道のことです。あのとき、車を運転しながらなんだか不思議な気持ちでした。もうすぐ自分のもとに葉蒔(このときはまだ名前もなかった)が生まれてくるということが。
落ち着かず、楽しみで、少し不安で、でもその不安の正体がなんなのかもよくわからなくて。
なんというか、まだ「信じられない」気持ちだったんだと思う。さやかちゃんのお腹の中に10ヶ月もいたのにね。

結局、「陣痛がきた」という連絡があったのは夜中の12時でした。さやかちゃんは丸一日、ひとりで、病院で陣痛を待っていたということです。葉蒔、これから何度も言うけど、女性はすごいぞ。

さて、ここから多少最低な話をするけど、ぼくは陣痛が来たという連絡を受けたとき、猛烈な眠気に襲われていました。結果、ぼくがとった行動はさやかちゃんに「2時間だけ寝る」という悪魔の返信をし、実際まじで寝る、ということでした。
葉蒔がいつか父親になるか/ならないか、わからないけど、センパイとしてひとつだけアドバイスするなら「妻に陣痛が来たら、寝るな。これだけです。

かくしておれは2時間しっかり眠りにつき、なんならシャワーを浴び、コンビニで買い物をして病院に向かいました。(この買物はさすがにさやかちゃんからの指令があったもの、です)
病院に着いた時の空気、運転中にたまってたLINE。いまでも怖くて思い出せません。
実はぼくがちんたら病院に向かっていたとき、さやかちゃんの血圧が高く、そのときにいた病院(ここからはわかりやすく”産院”と呼ぶことにする)では産めないかもしれない、という状況だったんだよ。救急車で大きな総合病院に移ろうか、ってそんな話をしていたらしい。そんなときに夫は家で爆睡。LINEも返ってこない。そりゃみんなブチギレるよね。はい、さやかちゃんはブチギレでした。
ところが、驚いたことに、おれが病院に着いたらさやかちゃんの血圧はすーーーっと下がったんだよ、助産師さんが驚くくらいに。やっぱあれだよな、さやかちゃんは俺への怒りで血圧高かっただけだよな。

でもなんか「旦那さんが来たら血圧さがりましたね!(旦那さんすごい!)」みたいな感じで褒められるから調子に乗ったよ、おれは。葉蒔、おまえはこういうところおれに似なくていいからな。でもその調子に乗った感じでふた笑いくらい取った。さやかちゃんの怒りが笑いに変わった瞬間だったね。おれ、まじで心からホッとした。笑いの力はすごい。

で、ホッとした結果がこれね。

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産院のさやかちゃんのクッションを枕に、爆睡かますお父ちゃんです。
葉蒔がいつか父親になるか/ならないか、わからないけど、センパイとしてひとつだけアドバイスするなら「妻に陣痛が来たら、寝るな」。これだけです。

と、冗談にみたいに書いてるけど、実は葉蒔の出産は、ここからが結構大変でした。(さやかちゃんが)
ぼくが産院についたとき、言われていたのは「破水から24時間以内の出産が望ましい。予定日もだいぶ過ぎているから、このまま生まれなければ総合病院に転院してもらう」ということでした。タイムリミットは朝7時。
でもその時間になっても、陣痛の感覚は短くなっていたものの、まだまだ葉蒔は生まれそうになかった。それでも産院側と相談し、ぎりぎりまでこの産院に残りたいことを伝えて、午前いっぱい、粘ってもらうことになりました。
このときにはすでにさやかちゃんは立ち上がれないほどの痛みが来ていて、おれは助産師と比べて下手くそだと罵られながら(「当たり前だろ、あの人たちはプロなんだから」と反論しながら)、ずっと腰をさすっていました。これは盛っていません。まじで、それぐらいしか出来ることがない、と本気で思いました。さやかちゃんはそれぐらい苦しそうで、見ているのがもう、辛かった。

そんな痛みとの格闘もむなしく、本当のデッドラインである正午が迫っていました。深夜に担当してくれていた助産師さんは代わって、朝から別の助産師さんになっていました。この助産師さんからはほとんど笑い取れんかったわ。
正午を前に、いよいよもう限界であることを告げられ、結局さやかちゃんは救急車で総合病院に移ることになりました。朝の時点では、車で移ると言っていたのに、救急車。なんだかそれだけで随分大変なことが起きているような気がして、本当に何事もなく、ただただ無事に生まれてくれればいい、とそんなことを思いながら荷物をまとめて車に乗りました。このときおれは救急車に乗らずに自分の車で総合病院に向かいました。

総合病院には、まさかの救急車よりも先に着きました。
ここでもコロナの影響があって、病院についてもコロナの検査結果が出るまでは分娩室に入れませんでした。

分娩室に入ってから、さやかちゃんの痛みは1段あがったようでした。「泣き叫ぶ」という表現はまさにあのことだったと思う。前日深夜から続く痛みのせいで、さやかちゃんは意識が朦朧としていました。目がうつろになりながら、でも痛みのせいで眠ることもできず。葉蒔、何度も言うけど女性はすごいぞ。

ぼくが出産で思ったことを率直に書こうかと思ったけど、あんまりいい話じゃないからやめておくよ。(端的に言えば、ひとに伝えることのやさしさを持て、ということだね)

いろんなことはあったけど、でも結局多くの人の力があって(特に助産師のヨシダさん。「わたしの目を見て」って言ってた、多分元ヤンな)、なによりさやかちゃんの魂を削るような頑張りがあって、葉蒔は無事に生まれてきました。16時1分、陣痛スタートから約16時間後。3270グラム、50センチでした。

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葉蒔が生まれたとき、病室に入り切らないほどのスタッフの人が集まりました。みんな、すごい、あそこからよくお腹を切らずに生まれてきたね、よく頑張ったねって、みんな、みんなが葉蒔とさやかちゃんを褒めていました。
葉蒔、さやかちゃんはすごいんだよ。

あの日からのこと。

約1週間の入院を経て、葉蒔は我が家にやってきました。
これを読んでいるときがどうかはわからないけど、葉蒔がはじめてぼくと一緒に住む家は、雨漏りがひどい築50年の一軒家。あーやとクニという美女と野獣夫婦と、太一(とさいか)という、最高の、あたたかい「家族」と一緒に住んでいます。

ここまで書いていて、葉蒔の目がさめました。葉蒔はいま3時間に1回ミルクを飲みます。いまさやかちゃんにミルクを飲ませてもらってます。うまくゲップが出ず、ミルクを吐いてばかり。それができない葉蒔が悪いわけでもなんでもなく、ただゲップが出ずに苦しんでいる葉蒔を見て、心からかわいそうだな、うーーーと思っています。

名前は生まれてから1週間くらい経ったときに決めました。
覚えてますか?じつはお腹の中にいるときから「よう」と呼んでいました。
でも、漢字が悩ましかった。ほんとに色々悩んだけど、最終的には「葉蒔」にしました。これはどちらも、さやかちゃんと、はるかがくれた漢字です。

「葉」のひと文字には、「葉っぱ」と「言の葉」のふたつの意味を込めました。

『やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける』

家族に葉蒔の名前とともに、古今和歌集のこんなフレーズを伝えたら、フツキからこんな写真が届きました。

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葉蒔には「言葉と言えるもの」を話せるひとになってほしいな、と願っています。

少し話はかわるけど、ぼくは自分のお父さん(つまり葉蒔のおじいちゃん、カツヒロ)と長い期間一緒に住んでいなかったから、正直「父と子」の関係がよくわかりません。きっとこれを葉蒔が読んでいるときでさえ、やっぱりよくわかっていないと思います。正直に言えば、ほんとに我が子を「かわいい」と思えるのか、不安でさえありました。みんな「そんなこと・・」と思うだろうし、実際言われてきたけど、おれはまじで不安だった。これでかわいいと思えなかったらどうしよう、と。誰にも言えないよなあ、と。

でも、まあ杞憂でした。

葉蒔、あなたもいつかわかるかもしれないけど、家に帰ったら子どもが寝ている、ということがどれだけ幸福なことなのか。それを教えてもらいました。今日なんか、ひなたで仕事をしている合間に、ただ葉蒔を見に帰ってきちゃったよ。泣いている葉蒔を見て「なんだ??」と心配になり、すやすや眠ってる葉蒔をみて穏やかな気持ちになり、笑ってる顔(たぶんそんな気はないんだろうけどね)を見て、一緒に笑ってる。いままでの日々に、何色も加わったような気持ちです。
いままでの人生もすごく楽しかったけど、葉蒔がうちに来てくれてからの毎日は、やっぱりなんだかいままでよりも、もっと幸せの数が多い気がします。

だから、葉蒔、あなたは本当に親孝行な息子なのです。
なによりまず、予定日の1週間前まで北海道にいたお父ちゃんのスケジュールを気にして、予定日から10日以上も遅れて生まれてきてくれました。これ、もしおれが北海道にいる間に生まれて来てたら、それはもうさやかちゃんとの間に山よりも高く、海よりも深い「分断」が生まれていたと思います。ありがとう、葉蒔。
そしてミルクをよく飲み、健やかに成長しています。お腹の中に長くいたせいか、首も頑丈で、体も大きい。みんなびっくりしてるよ。生まれてからも順調で、2週間検診(正確には12日後かな)で400グラムも増えてました。安心させてくれてありがとう、葉蒔。
あとはおれの乱暴な沐浴にも一度も泣くことなく、おれに「今日も葉蒔を風呂に入れよう!」と思わせてくれています。葉蒔のやさしさに、強さに救われています。

あの日の前のこと。

そうそう、実は葉蒔が生まれる前に、さやかちゃんから手紙をもらっていました。そこには「妊娠がわかって、ほんとに辛くて、でも家族やきよとくんの世界のひとたちがみんな祝福してくれて、人生でただ元気でいるだけでこんなに祝福してくれる人がいてほんとに幸せだなと感じた、こんな経験をさせてくれてありがとう」と書いてありました。泣けるよね。
勝手に書いて、怒られるかな。
でもここにある「ありがとう」は、おれだけじゃなくて、当然葉蒔にも向けられた言葉だよ。葉蒔、ほんとうにありがとう。
葉蒔の誕生は、いや誕生するずっと前から、本当にたくさんのひとに祝福されていました。

今日は卓さんの家族が会いに来てくれたけど、ベビーカーもベッドも卓さんたちがくれたんだよ。ゆうこさんも会うたびに楽しみだね、って言って。蕗だってさやかちゃんのお腹をたくさん撫でてくれた。今日はそんな蕗に抱っこしてもらえて、のぶきと一緒に写真も取れて。おれはほんとにうれしかったよ。
それから葉蒔の性別をおれが知るときは、太一さんとクニと、3人で沖縄で風船を割りました。ふたりともおれと同じぐらい喜んでて。ほんとに「ひとの子ども」のことでこんなに喜んでくれるなんて、って嬉しかった。
うちの子どもだ、って冗談みたいにいつも言ってくれるひろきさんもいる。挙げればキリがないけど、葉蒔のまわりにはおれだけじゃなくて、たくさんのかっこいいオトナたちがいます。だから、困ったことがあればみんなを頼ればいいよ。

これからのこと。

これから葉蒔が成長するたびに、多分おれたちは葉蒔にいろんな期待をするんだろうと思う。勝手に好き放題言って、好き放題に期待する。

そんなときには、おれもこれを読み返そうと思うよ。

ただ生まれてきてくれたこと。
ただ元気に育ってくれようとしてくれていること。
ただそれだけに感謝するようにする。

まだまだ始まったばかり。これから一緒にがんばろうね。

追伸:残念ながら君がどんなに泣き叫んでも、父ちゃんはたいてい寝ています。

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