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ジャズの行き先

 野生動物はよくできていると思います。冬は冬眠し、夏は活動的になるという活動形態は命にやさしいと、実感として僕にもそうわかるからです。人間も同じ原理なのでしょう。冬は十二時間寝ても寝足りないくらいだというのに、夏は眠りたくても強制的に三時間程度で目が覚めてしまいます。そんな覚えはないでしょうか。夏は意思にかかわらず活動的になってしまう季節なのです。

 その日はガラス戸を開けて初めてのバーにお邪魔しました。なんだか眠れなかったからです。そこだけポツリとライトがついているようだったので、散歩のついでに吸い込まれていきました。

「コロナに負けません多分」と弱いのだか強いのだかわからない字で、不透明な扉に紙がへばり付けられておりました。野外よりは確かに明るいはずなのにうっすら暗く深い夜がそこにあり、店主は僕のような若い客が珍しいらしく歓迎してくださいました。ひとりカウンター席に座りました。


 店内でゆるやかに雪崩れ込んでくるジャズの音は大変居心地が良いものでした。メニューらしい情報はありませんでしたので、店主一押しだという梅酒をまずは一杯いただきました。僕は梅が苦手だけれども梅酒は好物なのです。他にもまあ、生トマトはお断りだがトマトソースは好きとか、ブドウはいけるけれどレーズンは無理だとか、人の嗜好は不思議なものです。絶妙な塩梅で人様から提供されるお酒は格別で、密かにここに通おうと決めました。
顔が紅潮してきた矢先、
「喜代多旅館はこれからどうなっていくの?」
と店主から質問が飛びました。そういえばビジネストークもしていました。

いやあ、いろいろやっているみたいだが、一体どこへ向かっていくのか興味深いのですよ、といった内容を言われたのを記憶しています。旅館がリノベーションする以前からご存知の方からしたら、そういった疑問を抱くのは自然なことに違いありません。創業七〇年の老舗旅館が大幅なリノベーションをして、ユニバーサルルームとかホステル風の仮眠室だとかを新設し、外観もすっかり変わって、各種メディアに登場させていただく機会も増えました。気になるのはまさに“これから”の話。


 さて、質問の答えは、おそらく誰にもわからないんじゃないかしら、とそのとき思ったのです。これからどうなっていくのか。

旅館というのは少し特殊で、来訪者ありきで成り立つ空間であり歴史なのですから、建設会社やデザイナーやフロントスタッフや清掃スタッフが道筋を描くのはやはり難しいと思うのです。予測できないものを包み込む余白が必要なのです。それでようやく軌道に乗るんじゃないかなあ。ジャズバーが店主とジャズと梅酒だけで成り立たないのと同じことなのです。問いの答えは、これから体現化されていって欲しいと、僕こそ願っております。



あとがき
僕、という気障な一人称は普段ちっとも使いませんので、終始くすぐったかったです。モデルとなったジャズバーのように、旅館の周りには素敵なお店が多々ありますので、ぜひ探索してみてください~

J

休んでかれ。