なぜ、テニス事業にコミットしたのか?
テニススタジオの目指すゴールについて、先日書きましたが、今日は、なぜテニス事業にコミットすることにしたのか、その背景について書きたいと思います。
1. テニスへの情熱
テニススタジオ(テニスタ)は、テニスというスポーツに人生を救われたメンバーによって立ち上げられました。私たちは、テニスが人生における様々な困難を解決してくれると信じています。
テニスタメンバーは、大企業やスタートアップで新規事業の立ち上げを経験した集まりで、テニスに何か貢献したいという情熱と、テニスの可能性を追求していきたいと考えています。
情熱がある一方で、これは、私たちの単なるエゴなのではないか?という不安もあります。人生の困難はテニスじゃ解決されないのではないか、という心の声も聞こえてきます。
2. 人生の困難を解決してくれるものは何か?
さて、人生には様々な困難がつきものです。これらの困難を解決してくれるものがあるとしたらなんでしょうか?
* 知識や知恵でしょうか?
* 資産やお金でしょうか?
これには、色々な考えがあると思いますが、
私たちは、人生の困難を解決してくれるもので最も大切なものは、
「同志や仲間、コミュニティ」
だと考えています。
アドラーは、人間の悩みは、全て対人関係から生まれると言いました。
その一方で、他者や社会に対して貢献したり、信頼したりする共同体感覚をもって生きていくことで幸せになれるといっています。
アドラーだけでなく、マズローやセリグマンなど、多くの心理学者が他者や社会との関係性の重要性を説いています。
私たちは、テニスを通じて、知り合った仲間にいつも支えられ、助けられていました。それは、学生の時だけでなく、大人になってからもそうでした。外国に留学した時も、テニスを通じて友達がたくさん増えました。
このように利害関係なくテニスで知り合った仲間のコミュニティには、さまざまな業界や職種の人たちがいて、何か分からないことがあれば、その専門家から助言をもらえます。いま、結果的にそれが、互いのビジネスのきっかけとなったりしています。
3. テニスは、1人ではできないが、2人からできる
当たり前ですが、テニスは1人ではできません。練習をするにも、試合をするにもパートナーが必要です。つまり、テニスというプロダクトには、コミュニティや仲間作りという機能がついているのです。
一方で、テニスは1人ではできないけど、2人からできるという手軽さがあります。このあたりは、チームスポーツとは違うところで、たくさんの人と関わる必要性はありません。自分にとって心地の良いコミュニティの大きさを選ぶことが可能です。
4. 性別、年齢関係なく楽しめる
テニスは、フィジカルコンタクトがないスポーツということもあり、男女で一緒に楽しむことができます。また、体力や瞬発力が落ちたとしても、技術の向上を楽しめるということで、何歳になってもできる生涯スポーツです。
また、テニスコミュニティでは、子供連れでテニスに参加したり、テニス後にはバーベキューしたり、泊まりがけでテニス大会や合宿に参加してみたりと、充実した人生を送っている人たちも少なくありません。
大学にテニスサークルが多いのも、このような特徴がテニスにはあるからだと思います。
5. 運動したほうが良いという事実
ここまで、コミュニティや仲間が大切という切り口で、テニスの魅力について書いてきましたが、テニスをしてない方にはなかなか理解してもらえないと思っています。
なので、ここでは、違う角度から書いてみようと思います。それは、
継続的に適度な運動をした方が良い!という事実です。
私も、スタートアップに勤務していた時には忙しくて、テニスから離れていた時期もありました。そしたら、みるみる体力って衰えていくんですね。久々にテニスした時には、足に力が入りませんでした。
なので、最低限の体力維持のために、フィットネスジムに通っていた時もありましたが、夢中になれる目標を作ることができなかったり、技術的な成長要素を感じられなかったり、競技性が足りなかったりして、苦痛になってしまうことが多かったです。
ということもあり、やはり長続きする運動の要素には、コミュニティや競技性などが必要なのだと思います。
実際に、運動を再開するきっかけは、フィットネスジムだけど、物足りなくなりテニススクールに通い始める方が多いというデータもあります。(独自のテニススクールでのアンケート調査による)
6. 理屈を説明してきたけど、結局は、ぼくの原体験からです
ここまで、テニスって、とても人生を豊かにしてくれるスポーツだから、このテニスをみんなやるべきだ!という理屈で、テニス事業にコミットする背景を書いてきましたが、これは後付けの理由です。
本当の背景には、ぼくの人生がテニスによって、大きく変わったからです。
6.1 辛かった小学生時代
ぼくは、生まれつき、顔に黒あざが、ありました。先天性の有毛性巨大色素性母斑というやつです。(いまは、外科手術によってあざを切除したので、手術跡がある感じですが、100針くらい縫う手術でした。)
小学生のときには、このあざのことを結構言われたり、それに加えて、太っていて、お調子者という、ターゲットになる要素をもちあわせていたので、楽しくない時期でした。早く小学校卒業したいなと、何度も思った記憶があります。
6.2 テニスと出会って人生が変わり始めた
そんな小学校時代をしのぎきり、中学生になるとソフトテニスと出会いました。最初は、野球部かサッカー部に入ろうと思っていたのですが、テニスをしてみたら、練習が楽しすぎて、そのままテニス部に入部しました。テニスにハマってしまったので、部活以外の時間もずっとテニスをしていたら、上手くなるものですね。中学2年の時には、部長をやらないかと顧問の先生に打診されて、引き受けることになります。小学生の時に、デブでいじめられてたぼくからは考えられない出来事でした。もちろん、そんなぼくがうまくチームをまとめられるわけもなく、部活は機能しなくなるのですが、ぼくにとってはとても衝撃的な出来事でした。また、このとき、何かに夢中になって練習しつづけると、人よりも上手くなってしまうものということをテニスは教えてくれます。
6.3 高校では初めて関東大会出場し、表彰
テニスで、夢中になって練習しつづけると上手くなるということを学び、ぼくはそれを学業に応用したらしいです。勉強に夢中になった結果、早稲田大学の付属高校に進学します。ここで実は、高校で約1年間テニスから離れます。その理由は、周りの友達が優秀に見えすぎて、学業に専念しないと、勉強についていけず、またいじめられるんじゃないか!という脅迫観念に襲われたからです。そして、学業に専念した結果、学年で成績3位になり、奨学金ももらえました。ここで、学業は大丈夫だ!と安心して、高校2年生から硬式テニスを始めることになりました。中学生ではソフトテニスをしていたものの、硬式テニスとはけっこう違うので、全然ダメだったのですが、夢中になる!という技を使い、6ヶ月くらいで部内で3番目にはなりました。(1番と2番は、テニス推薦入学だったので、めちゃ強かった。)
テニスの練習を楽しむ中、インターハイ予選まで出れれば、部活の引退時期が遅くなる!ということを知ったので、インターハイ予選に出ることを目標にして、春休みは、この1番手、2番手と3セットずつ毎日試合してもらう!ということを決めて、実行しました。その結果、チームでは関東大会に高校として初出場し、個人でも、インターハイ予選に出場するという目標は達成できました。ジュニアの時からテニスをされていた方達にとっては、大した成績ではないですが、ぼくにとっては大きな成功体験でした。
硬式テニス部として、これが初めての関東大会出場だったので、高校から表彰をされることになり、また夢中で楽しんでいたらテニスに良い経験をさせてもらうことになります。
その後のことは、もう割愛しますが、
* 大学では理工硬式庭球部のキャプテンをつとめて、リーダーシップを経験
* 彼女ずっといなかったけど、テニスで妻が見つかる
* フリーランスエンジニアとして、起業したテニス部の先輩と一緒に仕事する
などなど、テニスはたくさんの学びとチャンスを与え続けてくれています。
ぼくは、このテニスというスポーツに本当に救われたので、何か恩を返したい!と思い、テニススタジオを立ち上げました。
これが、本当のテニス事業にコミットすることにした理由ですね。
さいごに
今回は、ぼくのテニスに関するエピソードを紹介させていただきました。
テニススタジオには、テニスによって人生が救われたメンバーで構成させています。テニスに対して、何か貢献したいという思いが、みなとても強いです。
この思いに共感してくださるテニススクールやテニスコーチ、プロテニスプレイヤーも見つかってきているので、ここからアクセルを踏んでいけそうです!
テニス事業で困っている方や、テニスのことが大好きで何か取り組みに興味がある人がいれば、お気軽にホームページか、Twitter(@kiyotaka86)まで、DMいただけるととても嬉しいです!
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