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God is in the details -神は細部に宿る-

11月に「五貫裁き」を聴いてすぐに独演会のチケットをとったのが、立川談春師。立川談春35周年記念独演の 『阿吽』(あうん)-平成から令和へ- へ行ってきました。

「文七元結」と「芝浜」という年末を彩る名作で、紅白なら何十年と連続で出場するような落語だ。

まず、会場がデカい!セットも凝ってる!長めの三味線が流れ、ついに立川談春師登場。小さい!なかなか前の席だけど小さく感じる!そして、座布団がデカい!!見たことないぐらい座布団フカフカそう!
音響の良さが、初め聴きにくかったけどすぐに慣れた。
ワタシの中にある「落語っぽさ」との違いが違和感あったけど、噺に入るとその効果で世界に引き込まれた。
じっくり1時間の噺を聴くには、よい環境かもしれない。

マクラで、落語っぽさに挑戦していく一つの試みが、この会場でもあると聴いて、そうなんだと納得した。

談志師匠に博打がなぜいけないのかを解かれたことがあるらしい。
ざっくり綴ると、芸に一発逆転はない。博打をすると目が険しくなる。
そして、金を借り信用をなくし世界を狭くするんだと。
そこから「文七元結」ーー。
(噺の発端となる左官の長兵衛親方は無類の博打好き)

導入はなんと佐野槌のシーンから!!にまず驚いた!!
(だいたい、「本所達磨横町に住む左官の長兵衛...」から長屋のシーンから始まる)

女物の着物とかの伏線は、会話の中で解いていく。
うまく表現できないけど、今までの映画的展開でなく、演劇的展開というべきか。シーン描写、背景みたいなものは、最小限で1つの場面にフォーカスし、会話の中で昇華していく。
「芝浜」でもその傾向を感じた。芝浜なら談志師の影響なのかもしれない。

佐野槌の女将への返済期限を決めるのも、桜が散る頃とか牡丹とか月がキレイな頃とかで細かく表現する。だから迷いや戸惑いや不安が色濃くみえる。

期限はなんと2年。条件も博打をしたらダメ。左官屋の名人としての苦悩も、女将の口を借りて会話の中で語られる。旦那の羽織の財布で50両。約束できるなら財布を、できないならお久の手を。どっちにしても損はないと女将さん(たしかに!)。

縄の帯って腕を組んで隠したくなるとか。江戸の職人らしくすぐ忘れる様子とか。描写の細かさが、会話の端々から伝わってくるし、情景描写より心象描写に近いので、共感したりする瞬間が多い。

談春師の解釈を加えたのが斬新ですばらしかった。演出家であり、プロデューサーであり、映画より芝居的だった。

神は細部に宿る。

God is in the details だと実感。


そう。実際に羽織脱ぐのも、長兵衛親方が番頭に借りた羽織を帰りに返すという場面で、脱ぐ工夫は細部にまでこだわりを感じる。



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