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寅さんと落語の共通する世界

「男はつらいよ」って笑って泣いてドタバタでお茶の間があって、喧嘩してしまって、ちょいと切なくって、素直でバカで駆け引きなくって、愛情たっぷりなんですね。50年経って未だに色褪せないし、普遍的な人間模様があるんだと思います。そう信じたい自分にも気付かされます。

知らなかったんです。。寅さん。今までほとんどみたことなくって。そういうコトあるあるっていう共感というか、誰にでも思い当たる節があるからこその可笑しな世界。寅さんが引き起こす家族の些細な言い合いの真ん中に、ちゃんと愛情が存在しまくってるんですね。控えめに言って笑って泣きました。

1作目を映画館でみたんですが、50年前の映画なのにまったく枯れてない。そして最初からこの完成度たるや。さらに、さくらの美しさたるや!さくらが初めに登場してきた時の日本中のトキメキたるや!寅さんって実際にはいないし、渥美清さんはもう亡くなってしまったし、あんな世界に生きていたコトもないんだけど、私のすぐ隣に今も葛飾のみんなが、居てくれるような安心感に満ちていた。

寅さんと落語の読後感が同じだった

落語との共通するところが多いなってホント思いました。じわーっとあとに残る幸せな感じ。出てくる登場人物、当の本人たちは、至って真面目なんだけど違う視点でみると、なんとも可笑しくて笑えてくる。寅次郎も与太郎(落語によく出てくる人物)も大真面目に生きてるから、ぜんぜん間違ってる破天荒な言動が、実はそっちの方が本質なんじゃないかなって、どんどん常識をぐらつかせてくる。シアワセなのは、そっちの方じゃないかって。だったらやっぱりコッチじゃんって。だからなのか、笑ったから泣けてくる。

山田洋次監督も実際に落語がお好きだそうで、渥美清という方が、もし落語をやっていたら、さぞいい噺家になっていただろうとおっしゃってました。

繰り返してしまうことの肯定と繰り返すことの美しさ

カッコ悪いコト100回繰り返すと、ちょっとだけカッコよくみえてくる。マンネリズムを繰り返すことで、様式美に磨き上げていく。同じ味をキープし続ける難しさに、美しさを感じずにはいられません。

星新一氏や立川談志師匠が同じようなこといってます。ユーモアの底に、ある種の毒が隠されている。笑い飛ばすことで毒が消える。だから落語を必要としている人は、健康な証拠だ。人間の業の肯定である。と。

やってしまった!みたいな失態も、コレがオレスタイルだ!と貫く信念も、繰り返されるという共通項である種の山を登っていくのかもしれない。

落語とは、人間の愚かさ情けなさ全てをひっくるめて認め、それを抱えてなお生きていく人間の姿を語るものだ。寅さんにも通ずる共通世界だと思います。


最後にタイトルもやっぱりイイですねー

「男はつらいよ」だってよ!春風亭昇太師匠の演目で「悲しみにてやんでぃ」ってのも同じ香りがするタイトルでスキッ!


いやぁー江戸の風が吹いてたなぁ


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