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こたえのないものをともにつくる|アーツ前橋アーティスト・イン・スクール

前橋の高校で二日間にわたってのアート思考と対話の参加型授業をやってきました。

見た目には、体育館で身体や絵を使った遊びをしました。

ねらいは、「こたえのないものをともにつくる」ための練習の仕方を知ること。

みんなで納得できるように、こたえのないものをともにつくろうとする時、“こうすべき”は役に立たない。ひとりひとりの“ほしいもの・したいこと”の積み上げで、納得できるものが生まれる。

そこで、①そもそもあなたの内側にある“大切にしたいこと”は何かを感じるスキル、②それらの多くは「言葉未満のモニャモニャ」が他者に伝わるようにやりとりするスキルを磨くためのトレーニングをすることに。

今だからの話としては、当初先生方からは、いぶかしげな対応をいただいた感じがしたけれども(笑)、いま結果としては、規模拡大して別学級でやれないかという打診をもらい、高校で月一で先生・生徒たちがやっている哲学カフェに遊びに行っていいことになったっぽい。

先生方から「うまくいえないけれども、子供たちが早いうちにに今回のような場に触れてもらう事が本人たちの人生にも、そして、今後の社会にとって重要だ」というコメントをいただけた。しかも、数学の先生からというのがいい。

なにより嬉しかったのは、生徒たちに歓迎されたことだった。「むずかしかった?」「ううん、ぜんぜん。これこれって感じ。次はいつ来るの?」。ワークショップがおわったあとに、描いた絵を私に見せたい人、一緒に写真を撮りたい人たちが、そばにやってきてくれた。

今回、声を聞いていくと、さまざまな事情で、「社会のベルトコンベアに乗らなかった人たち」が集まる傾向がある学校のようだった。そうやって、「ふつう」に、ちゃんと違和感を感じる彼らは、今回のトレーニングはピンときやすかったかもしれない。つまり、そもそも彼らは、社会のあたりまえを問い直していく力がある人たちだ。

このワークショップをする中で気づいたけれど、わたしは、今回出会った高校生たちがちょっと羨ましかった、のだと思う。

みんな私服で、授業とおぼしき時間にも、体育館に自由にバスケットをしている子たちがいて、夕方になったら学校にやってきて手芸をする人たちの姿もいて。答えのないことについて、哲学カフェをする先生と生徒たちがいて。こうして、私みたいな外から来るわけわからん奴らと遊べて。

それは、私が学校をドロップアウトすることができなかったからだと思う。高校生のときは、自分の表面的な「器用さ」ゆえに、自分が本来持っている凹凸の部分を隠し、規格のふりをすることができてしまったからだ。そうして神経がイカれた私は、教師と言うランクと肩書きを武器に、子供たちを型にはまるよう強要することもできてしまった。

そうやって自分の感性の痛みに麻酔をしたり、他者を傷つけた代償は小さくなかった。大人になった今もまだ癒えないところがあるだろうし、それが自分の歪みをつくっていると思う。今となっては、そんな自分の心や身体のかたちを愛しているけれど。ただやっぱり、そんな経験を選んでしたかったかというと、そうではない。

自分が経験した学校や組織で言われる「教育」とは、おしなべて「管理しやすい人間」になることが目指されていた。そういう教育が生まれた合理性も認めながらも、この学校で行われているように、これからはそれに向いていない/それを選ばない人が、その才能を生かすスペースが社会にもっと広がったらいいなと思った。
今回はその力に少しでもなれたなら、よかったな。そして引き続きその力になりたいな。

しぶといイキモノはいつだって、花や果実だけではなく、土の中で複雑に根っこを張って広げている。ちょっとむしられても、しばらく見えなくて死んだのかなと思っても、そのうち生えてくるやつ。

私たちの活動もそうだと信じている。今回のご縁は、自分が高崎でよくワークショップをやっていた2015年頃に出会った大井田さんのお誘いと、アーツ前橋のサポートで成り立った。また、今回は、なかなかの難産で、このプロジェクトを途中で、もうやめたろうかなという瞬間もあったけれど、結果的に実行できて、生徒の笑顔につながった。こうした「根っこ」でつながる人たちがいたことで、少し小さく花が咲いたのかもしれない。

もちろん「カリスマ牽引型のコンテンツデザイン」がいまだ主流として威力を発揮するなかで、自分たちのような「参加型のプロセスアート」は、まだしばらくアンダーグラウンド組かもしれない。でも、今回のような学びは、ますます複雑化していく社会の中で必要とされてくるはずだと思う。

決して得意な仕事ではないけれども、その「花の種」が次世代に残りそうと信じられるくらいまでは、がんばろう。

アーツ前橋はもちろん、「わからないものを学校に招いき入れて、信じてやってみる」に踏み切ってくださった高校の先生方、生徒の皆さん、サポートにあたってくださった、ねいくんや西ちゃんにも深く感謝です。ありがとうございました。

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ちなみに、高校で授業してみて、グラフィッカーとして才能感じる人がけっこういらっしゃった。遠くないうちに一緒に働く仲間がこの輪から出てくるといいなあ。


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