思考の再構築とアウトプット

日々ラクロスのことについて考えていると、物事のあらゆる側面から漠然としたイメージがたまってくる。それらはつながり合っているわけではなく、ただイメージだけが頭の中を彷徨っているような感覚になる。
こういったことはよくある。学生時代学部の勉強について考えていた時、インターンで新規事業に関して考えた時、、、
何か新しいアイデアや視点を考えなければいけないとき、定理を証明するときなどだ。

世の中には抽象的な思考が宙を彷徨っている。

よく大学の授業が終わった時などで「よし、なんとなくわかったぞ」と思うのはそれはイメージが頭の中に拡散されたに過ぎなかったことを意味する。

イメージを感じるのは簡単だ。本を読めばいい、音楽を聞けばいい、

そしてイメージを無限にある。しかしそれを体系化することはとても難しい。

私自身、このNoteは文章を書きながら自分の持っている思考を再構築しながらアウトプットしているのだ。

体系化「個別の知識・情報・仕組みなどを、相互に適宜関連付けた上で、大きなひとつのまとまりを持ったものに仕上げること。」

本は体系化された情報としては優秀であろう。また音楽についても体系化されている。

おそらく多くの国民が日々触れる情報のほとんどは、ある程度大体系化された状態で我々のものにやってくる。

しかし、それは我々の中に入るとイメージに変わる。

我々は与えられた情報を真に理解し他の人物に、再び情報として与えることは難しい。

まぜ体系化されたまま情報を受け取ることができないのか。

それは我々にはそのイメージの塊を体系化するための鍵がないからである。

ここでの鍵とはつまり、「論理的思考力」、「本質を見極める力」である。

論理的思考力とは、物事を体系的に整理し、矛盾や飛躍のない筋道を立てる思考法であり我々が与えられた思考を再構築する鍵になる。

ここまでの話で一つ仮定をしたい。

「アウトプットされた情報(本など)はすでにある程度体系化されたものである」

つまり我々が思考を体系化するのに有効な手段は、自らのイメージを何かを通じて発信することだ。

人に教えること、誰かに伝えることが上手な人は数多くいるが、その人たちは自分たちの専攻について深く理解し、体系化しているからこそ、「わかりやすい授業」を展開することができる。

情報を人に正確に伝えるのはとても難しい。それは、体系化すること、体系化した後にどのようにすれば次に読む人がわかりやすくなるように描けるのかを考えるからである

最近ラクロスのコーチ関連で指導をする機会が増えたのですが、その中で彼らの中にある漠然としたイメージを体系化するために論理的思考のおてつだいをしたり、そもそもイメージをあたえたりですが、つまりは、彼ら自身がイメージの体系化の答えを自分なりに作り、それをラクロス学の指針にしていただきたいと思っている。

Under the Gunで始めたので終わり方に締まりがありませんでしたが、今回はこれで終わりにしたいと思います。


ご拝読ありがとうございました。



Kiyoshi practice
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