日本の原子力開発は、1950年代半ばから本格化し、実験装置や研究テーマ・研究方法まで、米国依存主義であり、60年代初めには、試験用軽水炉(GE社製BWR、JPDR)の導入、そして、米国でも、まだ、商業用軽水炉が数基しかない60年代半ばには、すでに、敦賀1、福島第一1、美浜1の契約をし、わずか、半年間の安全審査期間で合格、建設期間5年間で、70年代初めに商業運転開始と、米国技術依存主義

日本の原子力開発は、1950年代半ばから本格化し、実験装置や研究テーマ・研究方法まで、米国依存主義であり、60年代初めには、試験用軽水炉(GE社製BWR、JPDR)の導入、そして、米国でも、まだ、商業用軽水炉が数基しかない60年代半ばには、すでに、敦賀1、福島第一1、美浜1の契約をし、わずか、半年間の安全審査期間で合格、建設期間5年間で、70年代初めに商業運転開始と、米国技術依存主義であり、技術基準と安全規制の95 %の部分は、米国技術に、おんぶにだっこに肩車の状態で、自身で考え、工夫し、転び、怪我をし、考え直すと言う試行錯誤の段階を経ずして、お猿の電車のお猿さん的社会対応しかしてこなかったため、技術に内在する問題点、もっと分かりやすい言葉で言えば、内在する不都合な真実、もっとはっきり言えば、内在する技術欠陥が何であるか、理解できないまま、福島第一事故に遭遇してしまいましたが、米国が開発した軽水炉は、米国の設置条件しか想定しておらず、当時、西独国は、技術導入時、換骨奪胎主義で、原型を留留めいほど改善、仏国は、わずかに改善、日本は、縦の物も横にもしないそのまま主義で、地震と津波に対するやり直し的検討をすべきでしたが、原子力の専門家(東大、原研、原子炉メーカー)は、日常的に接する仲間内に、活断層や地震や津波の研究者がおらず、他人事の世界のように映っており、自然災害は、保守的に管理することが分かっていながら、津波に起因する潮位に対する残余のリスク、すなわち、十分な安全余裕度の考慮を怠ってしまいました。
地震学の不確実性が大きく、明確なことが分かっていないのであれは、地震学に依存するのではなく、たとえ、外れても、地震加速度や津波潮位に対し、残余のリスク、すなわち、安全余裕度の確保を優先しておかねばならず、福島第一事故の失敗は、エンジニアの他分野の他人任せの考え方の失敗であり、考えられないことや想定外ではなく、やらなければならない、ものすごく初歩的なことの怠りでした。
原子力界は、全員、知らん振りして、責任回避、権力による過保護、自己拡大再生産の日本的メカニズム、気の毒なのは、被害を受ける国民。


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