春巻と宇宙

もうこれ以上サブスクは削れないと思っていたけど、 ついにNetflixの解約を決意。
あまりにもお金の心配が尽きないので、また改めて固定費の見直しをした。
Netflixはコロナ禍に突入した2020年春から加入している。
それ以降はもうずっと見ない日はなかったのではないかというほど、生活に欠かせないものだった。
ご飯を食べる時、化粧をする時、お風呂に入る時、家にいる時はほとんど観ていた。

職場や友人との会話も「ネトフリのあれ」が共通認識で、アニメや映画、韓ドラも豊富で大抵のものは揃ってる。あまり個人に踏み込んだ話をしなくていいので、ちょうど良い話題にもなり大感謝。
毎クール5〜6作品はアニメを追っていて、ほぼ毎日楽しみにしてる。
他にYoutube、Tverでドラマやバラエティ番組もたくさん追っている。
そして深夜ラジオリスナーなのでradikoも欠かせない。

だけど仕事時間が大幅に増えたせいで、これまですべてチェックできてたものが、追いつかなくなってきた。
エンタメ消化不良・・・
多くの人が情熱を注いで作っているエンタメを、消化とか消費とかあまり言いたくないけど、正直摂取しすぎて胃もたれ状態。
次から次に新たな作品が出てきて、特にこの数年は消費されるのが早すぎる気がする。 SNSも新しいものが増えるし、溢れかえる情報に晒されすぎて疲れてしまったのもある。

数多の情報の中から選び出す際に、他者のものさしを基準にしがち。 もちろん時間は有限だし、可能であれば間違いなく面白いものを観たい。
けれども、有名なあの人がオススメしていたからといって、自分にとっても本当に面白かったか? 面白かったと思いたいという願望が入ってないか?バイアスかかってないか?
「自分の感覚を磨き直したい」と今年に入って強く思うようになった。
これは本当に美味しいと思う?これは綺麗だと思う?これは好きなのかな?といったことを漠然と思う瞬間が時々あった。
文字にしてみると、こんなこともはっきり答えられないのかと愕然とする。

新しい環境で好きな食べ物と嫌いな食べ物を必ず聞かれた。 (ありがたいことに賄いをいただいているので)
どちらもさっと即答できなかったことがショックだった。

賄いで美味しい春巻を食べた時に、そうだ、私子供の時に春巻好きって言ってた!好きだったんだ!と急に思い出して感動した。
千と千尋の神隠しで、ハクの本名が判明した瞬間ばりの同じ感覚。

嫌いな食べ物は、特にない。 トッピングされてたらわざわざ避ける程のものでもないし、色々選択肢がある中から選ばないけど、それしかなければ食べるし。というような感覚。
そういえば、幼い頃はキウイと雲丹と紅生姜と牛乳を単体で飲むのが好きじゃなかった。 今は食べたくてキウイを買うこともあるし、雲丹の美味しさを知ってしまったし、紅生姜の串揚げ食べたらイメージ変わった。牛乳はカステラとの罪的な相性の良さも知ってしまってるので、年に1,2回ではあるけどそのまま飲めるようになった。
経験で変わるものか、大人になったんだな。

嫌いは今のところ無さそうだけど、好きじゃないというのはありそうな気がする。 美味しいけど好きではないかも、という感覚は無視し続けてる可能性はある。
他者からどう思われるかを気にしすぎるあまり、同調できる意見が出てない状況で私の意見を求められると、無重力空間に放り出されたような感覚に陥る。

これ嫌いとか、まずいとか言っちゃう人を見ると、悲しくなってしまうこともあるのだけど、羨ましい部分でもある。
食材の生産者や調理してくれた人を思えばそんなこと言えないでしょ!想像力がたりない無配慮な発言!なんて思われないかなと気になってしまう。
かと言って作ってくれた本人にこれ不味いなんて言いたいわけではないよ。多くの場面では言う必要もないし。言わなきゃいけない場面では、、あぁ想像しただけでまた宇宙に行ってしまいそうだな。
何事も言い方の問題で失敗しなければうまくいくとは思うけど。

もっと堂々としたい。そのためにも自分の感覚を磨いて、直感と心を信じてあげよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?