「死にたい、死にたい」と言う割には死なないのは何故?~自殺願望・希死念慮

重度アルコール依存症の kiyopi です。

「死にたい、死にたい」と言う割には死なない人が周りにいて、「そんなに死にたいならとっとと死ねよ!」「どうせ口だけで死なないくせに死にたいとか言うな!」とイラついた経験をした人はいると思います。
または、自分が抱えているという人もいると思います。
重度アルコール依存症とも、希死念慮は切っても切れない関係にあります。

今回は一般では自殺願望、心理学や医療では希死念慮と言われるものについてになります。



死なない・死ねない理由がある

自殺願望は一時的なもので長年抱えることは無いものがそう言われています。
希死念慮は持続して抱えている『死にたい』欲求の事をそう言われます。

どちらも『死にたい』という欲求は同じですが、その深さや重みが違います。

一時的な自殺願望は『死』に対する恐怖があるので基本的に死にません。
行動にまで移せないのが普通です。

対し、希死念慮の人は『死』に対する恐怖を持たないのが普通です。
一般の人では想像がつかない程に、生きる事や未来への絶望感を抱えているために『死にたい』という欲求を抱えるようになっています。

では、なぜ死なないのか?

本当は『死なない』のではなく、『死ねない』が正解です。

そこには死ねない理由があるからです。

①心残りがある

子供さんがいる人に多いパターンです。
『頑張ったのにやれなかったけど、あれだけはやりたかった』という後悔の強い人もこのパターンです。

②本当は自分が死にたいのではない

本当は憎くて殺してやりたい相手がいる、けどできない。
憎い相手に『お前がここまで追い詰めた』と思い知らせてやりたい欲求があって言っているので、本当は自分が死にたいわけではない、といったパターン。
これは毒親育ちの人、酷いいじめに遭ってきた人、モラハラ・パワハラに遭って追い詰められた人に多いパターンです。

③『死』よりも恐いもの

希死念慮を抱えている人は、生きてきた過程で随分と酷い仕打ちや扱いを受けながらも頑張って生きてきています。
そんな中で精神を病むことになり、希死念慮を抱えるようになった。

そんな人が恐れるのが、死ぬ際の痛みや苦しみです。

生きてきた過程で、精神を病むまでの過程で、希死念慮を抱えるようになるまでの過程で、もう十分に傷付き、苦しんで、痛い思いをしてきた・・・、だから死ぬ時にまで痛い思いや苦しい思いをしなければならないという事が何よりも恐いのです。
だから死ねないのです。

だから、最終的には「消えたい」と考えるようになります。
だから安楽死に憧れるようになるのです。


僕の経験

僕は両親が『毒親』と言えるレベルの親の元で育ちました。
特に、母親に対して思いが強くありました。

最初に抱えたのが、②のパターンです。
かつて何度も首を包丁で切ろうとしたり、柳葉包丁2本でお腹を左右に切り開こうとしたりしてきました。
自分の意識がなく、気付いたら怒りまくりの母親の往復ビンタの嵐・拳の嵐を受けていたことも何度もあります。

でも、その時に気付いたのが①を抱えている自分です。
僕は母親の理想を叶えきれませんでした。
到底あり得ない無理な理想だったからです。
大学を卒業して、スーツを着てする仕事で、一日中椅子に座ってるだけで済む仕事で、初年度から年収二千万円を得られる仕事に就くという事。
それでいて、政治家、弁護士、社長、ヤクザでもない仕事。
そんな仕事はない、僕はわかっていても母は「そんな人はこの部落の中にもたっくさんいる!そのために苦労してアンタを育ててきた!その恩を忘れるな!」と言っては、母が認めた仕事でないと何も認めない、辞めさせる、「この子にこんな仕事させるために育ててきたんじゃない!」と言って仕事場に怒鳴り込んできて即日解雇になった経験もある。
そんな僕は家族からも親戚からも、母を心底困らせるどうしようもない長男・息子・男としてとにかく悪く思われ、母と言っている事が違うからという理由で「嘘つき」「クズ」「どうしようもなく人のせいにするヤツ」として悪者になってきた(今もそういった印象を持たれている事に変わりはありません)。

その結果、『自分が死んでも、悪者のままであるのは苦しい。死んだらさらに悪く言われるのは目に見えている』それが死ぬ際の僕の心残りとしてあったことで、どうしてもやるせなくて、苦しくて、辛くて死ねませんでした。

そこから、起きていると苦しくて堪らない、死にたくてしょうがなくなるので、父の通う精神科に相談に行きました。
結果は、僕は確実に鬱ではあるけど鬱の人にはありえない程思考力が高いから薬は出さない、薬は障害を起こす場合もある、ということで結果は薬は処方してもらえず、診断も『抑うつ強し』でした。
そこで市販薬を探しましたが、処方指示書がないと僕の子供の頃の様に簡単には眠剤が買えなくなっていたので手に取ったのがお酒でした。
それが僕のアルコール依存症の入口です。
眠剤代わりに、とにかく眠りの世界に逃避するためにお酒を飲む。

その頃、死ぬこと自体は全く怖くないのに、死ぬときの痛みや苦しみがとてつもない恐怖になっていました。
③のパターンになっている自分に気付いた時です。
その時期にはもう両親(特に母)に思い知らせたい思いも、家族親戚からどんなに枠思われようとクズ扱いされようと、どうでもよくなっていました。
とにかく自分が楽になりたい一心しかありませんでした。
それでも、死ぬときの苦しみや痛みが恐くてしょうがなくて死ねません。
それによって、とにかく生きているしかない絶望からアルコール依存症は爆速的に悪化しました。

そして、マロリーワイス症候群を経ても止められず、その数年後に僕の状態に業を煮やした母に引きずられて精神科に行き『アルコール依存症』の宣告を受ける事になりました。
そして、その一週間後に入院。
これが僕の希死念慮とアルコール依存症までの関係です。


正直、今現在 新たな悩みで僕は希死念慮を抱える事になりました。

仕事に就けない。

貯金が無くなり、先月でスマホは解約、ネットもIP電話も多分今月には使用差し止めの連絡が来る。
今日(10/2)知ったのは、携帯電話を持っていないと仕事に就く事は絶望的だという事。
今日、派遣の会社から連絡があってそのことを教えてもらいました。
「どこの派遣会社も、携帯電話を持っていない人は相手してくれないだろう、アルバイトも企業の直接の奥羽簿の場合でも同じだと思います」とのこと。
そこも、「新たに携帯電話を契約したらまた連絡ください。それまでは紹介しかねます」ということでした。

先月9/1スマホを解約しに行き、「9月分はもう料金発生してますから30日で解約処理ということでよろしいですか?」ということで、そのようにしたのですが、就職も派遣もアルバイトも携帯がそんなに必要だとは知らず、9/30の夕方にはスマホの電話も4Gも使えなくなった表示が出ました。
そんな事実を知り、その解約手続きに行った時点で貯金は尽きていたので、抱え始めていた希死念慮は今日から手足の震えが止まらないほどに強くなってしまいました。

過去の引き落とし不履行の積み重ねでローンは組めない、融資も得られない、クレジットカードも支払い手続きの時点でその分の預金があればクレジット支払いできるけどなければできない、銀行もクレジットもキャッシングは出来ない、僕の知識では個人事業するのにはもう行き詰っている、だからといって雇ってくれる側がいないと働けない、親からはお金を貸してもらう事は拒否されている、その行き詰まりの絶望感が今の希死念慮になっている。


こんな僕ですが、今回の内容を参考にして頂けたら幸いです。

あなたの断酒が楽になりますように。
ご家族様の消えない苦しみが少しでも軽くなりますように。

最後まで読んで頂き有難うございました。

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