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毎日をボーナスステージとして生きる。

何かしたいことがあるわけではないのだが

先日、50歳になった。
誕生日の翌日から今日まで、心身ともとくに目立った変化はないが、大きな区切りだったような気は、なんとなくする。

誕生日より前。
50歳になる、ということが差し迫った時、最初に思ったことは
「もう、好き放題しよう」
だった。

この話をすると、私を良く知る友人たちの目は点になる。
(これまでもそうだったのでは……)
と顔に書いてある。
それは正しい。確かにこれまでも、好き放題に生きてきた人間だ。

だがしかし。
やっぱり、「も~ういいだろう‼」という、
肚の底からの叫びを私は受け取った。

了解、私。
任せとけ。

というわけで、
もういつ死ぬかわからないし、これからはボーナスステージに入ったということにして、好き放題生きることにする。
先述の友人たちは「で、何がしたいの?」と聴くけれど、特別したいことがあるわけでも我慢してきたこともないので、
まあ、これからの私のお楽しみだ。

いわゆる、世にいう、一般的な

ところで、よく「(年齢より)お若く見えますね!」と声をかけたりするが、あれは何を基準にしているのだろう。
その基準のイメージを創るものは、
とっくに「過去のもの」になっているはずなのに。
たとえば今どき、頭をおだんごに結ってかんざし挿している
おばあちゃんはいないだろう。

私はといえば、50歳の今、白髪が一本もない。
(これは唯一の自慢と言ってもいい)
お年頃だから、更年期かどうか知りたいとホルモン検査を受けた。
女性ホルモンはまだしっかり出ているらしい。閉経はもう少し先のようだ。

一方で、もともと胃弱だからか、
年々脂っぽいものが食べられなくなるばかり。
霜降りのお肉なんて、本当に無理だ。
せっかく良いお店に行っても、残してしまう。
美味しい赤身肉を少しでいい。

記憶力については、ストレージが小さくなってきた気がする。
家族や友人との会話で「あの時さ……」という内容にズレが出ることも
増えた。もしかすると相手の記憶力もエンストしているかもしれないので、もはや真実は闇の中だ。

(山伏なので)定期的に山を登りたいが、
幼いころからの運動嫌いのツケと、体質があいまって、筋力が弱く、
膝を痛めやすい。
最近は平地を歩いているだけなのに、膝の痛む日がある。本気でやばい。

なんとかしたくて駆け込んだ整形外科では、
「もう、この身体でできることをやってください…」と言われる始末。
そんなの受け入れられるはずもない。
それまでも続けていたピラティスかヨガは必ず週に1回を継続。
身体の無理ない使い方を習得すべく、
アレクサンダーテクニークのレッスンを1年ほど。
現在は、理学療法士であるパーソナルトレーナーさんの指導で
身体づくりを始めた。
地味な積み重ねの成果が少しずつ出てきてはいて、
実は人生の中で今が一番、身体の均整がとれている気がする。

これは、世に言う「一般的な」50歳としてどうなのだ。

「年齢は記号だ/数字だ」という言葉をよく聞く。
若い時は失礼ながら、(歳を重ねたら私もあんな風に強がりたくなるのか)とも思っていたけれど、今は本当にそうだと思う。
だって、「私、やっぱり50歳だわ」と確認するための、
適切なモノサシが何もないのだから。
思い返せば、「27歳にもなって」「もう30歳だから」「40歳を超えたので」と言っていた時も、何ら明確な基準はなかった。
ただ、これまでの人生で身に着けた偏見のコレクションから生まれた
「◎歳なのだから」だったのだ。

先日『茶飲友達』という映画をみた。

老人にも性欲がある。
まだ老人じゃない人にとっては、ある意味、
受け入れがたい事実かもしれない。
「え、セックスっていくつになってもするものなんですか?」
映画に出演した若い俳優が漏らした言葉だ。
ひたひたと老人に近づいている私は……どうなんだろう。

その紐は、誰にも握らせない

つくづく「年齢」という概念は不思議である。
数字という有無を言わさぬパワーで、時に私を枠にはめる。

年齢を数える、という考え方が世に誕生したのは、
社会保障制度を整える際に必要に迫られたためだ、と聞いたことがある。
それより以前はみんな自分が何歳かは知らず、
「働けなくなったら老人」認定をされていた。
老人が社会の中でどう扱われるかはその国・地域のカルチャーによって
異なったのだそうだ。
年齢で区切るしくみが生まれたのは、「この人は老人」という認定が、
あまりにも漠然としているからだろう。
元気だろうが、ヨレヨレだろうが、50歳は50歳。制度は一律。
そうしないと、国家運営はやっていけない。

―なあんだ、もう。
    手続き上、必要だからか。

その軽い脱力で、自分が「年齢」という考え方に少なからず
囚われていたことに、気がついた。
年齢が枠にはめたのではない。
私が枠にはまっていただけだ。

社会を健全に動かすために、制度上必要な記号としての年齢は
もちろん忘れないけれど、私にとって「老いる」とは、
「自分の可能性を信じられなくなった時だ」と、最近、言語化した。

これからは、「年相応」ではなく、「私相応」で生きていく。
科学で私のパーツを分析することはできても、
科学は「私という全体」を解明してはくれない。

私を紐解くのは、私だけだ。

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