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「HOTEL315」 11/17話

 武士と尚美はホテルの一室内で小さな丸いテーブルを境に対面するように椅子に腰かけていた。武士の前にはビールの缶が。尚美の前には湯呑がテーブル上に確認できる。
「もう十分だから、今からでも帰ろ」
「今日、今日で最後だから」
「それは知っとる。でもその最後の意味が違うから。だから今から帰ろ。もうこんな世界にいる事はないから。もう十分楽させてもらったから」
「今日、今日だから」
「勝ったらどうなるか知ってる?帰って来れないんだよ。何もなくなるんだよ。武士を失うのは無理!」
  尚美は身体を揺らしながら、また涙を流しながら武士に強く訴える。
「そうか、知ってたか」
「えっ?」
「母さんさ。あのおじさんとはうまく行ってるんだろ」

「えっ?えっ?」

「俺が上京した後、おじさんが居なかったら母さん、とっくに潰れていたと思う」
「・・・・知ってたのか」
「だからさ、2人でこの先幸せになってよ。その生活分は今日稼ぐから。だからさ」
「・・・なに言ってんだよ。わかった風な口利いてさ」

  武士は少し攻撃的になった尚美の言葉に少し疑問を抱いた。

「確かに武士が状況して1人になった時、これからどうしようかって思った。生きがい?そうね。武士は私の生きがいだから。いや生きがいだったから」
  武士は尚美から目線を下にずらして小刻みに身体が震えるような感覚がよぎる。それは尚美を愛おしいと感じた感情なのか、身上的に負担に思える感情なのか、それとも新しい男が出来てこれから先もまだ自分を金蔓にしようと思っているのか。いや実の母がそんなことを思うのか。
  一瞬にしていろいろな感情が武士の中でも戦っていた。でもそんな戦いはもうしたくない。物心ついた頃には母しかいなかった。
  弱かったあの時も必死に守ってくれた。素直にこの女性に幸せになってほしい。そう思う武士だが、では幸せってなんだろう。
  俺にとっての幸せって?母にとっての幸せってなんだろうか?自分が押し付けた事で母は、母にとっての幸せを、本当に母が喜んでくれるのだろうか?でもそんな事は分かるわけがない。いくら自分が実の子供でも別な生き物。母の本当に考えていることなど理解できる訳もない。それは母も同じ。分かり合えるなんてない。それは妥協と云うしかないから。
  我慢?それはどうだろう。大きな枠の中での小さな不安なんて、小さな不満なんて、時がたてば忘れてしまう。忘れるのはそれが重要ではない事だったからだろう。やっぱ感謝してる。貴女の子供で。だから。
「俺はさ。俺にしか出来ない事しかやってあげられない。本当の事なんて、本当に納得して生きるなんて、そんなの判らない。だから今俺が出来る事、今俺がしたい事を母さんにしたいんだ。ただそれだけ。それで母さんが迷惑と感じてもそれしか出来ない親不孝者をどうか許してください」
「何、何いっちょ前の事云ってるんだこの子は。お前は誰の子だ」
  尚美は自分の両腕を抱え込みうずくまって声を殺しながら泣いた。

「武士~」

  尚美は席を立ち武士の前で膝間づいて武士の膝に顔をうずめて泣いた。
「僕はもう邪魔しないから。母さんは今まで本当に苦労して、自分の事を何も考えないで僕の為に全てを投げ出して。感謝してます。これからの母さんの人生が母さんの為にある事を。本当に願ってます」
  尚美はその状態のまま。そしてどれだけそのままでいるのだろうか。武士はそっと尚美の背中に手を添えてゆっくりとさすっていた。その表情はこの上ない安堵した顔で。

〇HOTEL315
 6・夕刻 ディナー前
  航大は立ちながら衣服を整いていた。目線を先にやるとそこには大きなキングサイズのベッドに横たわるサンズ王妃。小さな寝息が微かに聞こえる。部屋の姿見鏡で自分の様相を確認した後、ベッドの方を向きゆっくり一礼する航大。その時、その部屋に外から近づくボビーSは扉のドアスコープに片目で中を覗こうとする。そこに丁度内側から扉が開くと航大と鉢合わせ。かなり驚いた表情を見せるボビーS。
「19時からディナーとなります。10分前にはスタッフがお迎えに上がります。それまではごゆっくりお休みください。王妃はお休み中でございます」
  航大は盾になり背中で扉を抑えボビーSに道をつくる。慌てて中に入り込むボビーS。少し間沈黙がその場を横取りした。

「貴様~」

  ボビーSが航大に向かってくる。航大は口に人差し指の先をくっつけて『シー』のポーズをボビーSに送る。彼が航大の目の前で立ち止まる。航大は笑顔を彼に送り軽く一礼すると部屋の外へと移動する。静かに扉が作動し2人の間をシャットアウトした。

  厨房内ではディナーの準備が着々と進行していた。サンズ一族のディナーも含まれるが何を特別にするでもなく、坦々といつもの作業をこなすコミたち。レストラン店内では満席に近いお客様が既に着席し食事をスタートさせる者、アペリティフを呑む者、注文をする者、様々である。
  パブリックスペースからレストランに近づく航大。マネージャーの伊庭役郎に軽く挨拶をすると店内に足を運ぶ。そして着席するテーブル客へ次々と挨拶をする。時には笑顔で会話を楽しみ、時には深々と頭を下げ、時には軽く会釈する。お客様のタイプを察知してより良い接し方で相手をする航大。そして厨房内に入る為スイング扉の前に立つとその場で振り返り店内お客様の方に向かって一礼する。その後その先の厨房内へと姿を消した。

「お疲れ様です」「お疲れ様っす」

  方々から航大を確認したコミ、スタッフから声を掛けられる。それに軽く会釈して答える航大。厨房内のちょっとしたスペースに航大、サンズ一族のそれぞれの担当が特に合図したわけでもなくス~っと集合した。そしてそれぞれから報告を聞く航大。
「ありがとう皆。では10分前にお迎えに上がってください」
  それぞれの担当は一礼して散って行く。その場に残った航大の元に沙奈が合流。
「集合したら挨拶お願いね」
「承知いたしました」
「まあ云うまでもないけど、どう?」

「最高です」

  航大は笑みを浮かべ小さく頷くと2人は別々の方向へ移動して行く。航大はレストランに隣接する個室に姿を現わす。既にサンズ一族19名分のセットがされて隅にはスタッフが数人構えていた。
  航大の姿を確認するとそのスタッフは航大の元へ集合する。そして先ほどのように報告を聞く。そして会話する。段取りを確認する。

「ありがとう皆。よろしくお願いします」
  スタッフ数名が散らばり予定の場所に位置する。航大は部屋の隅に配置されたバー・カウンターの内側を確認する。後方には小さな冷蔵庫。その中にも数種類のアルコール類がその出番を待っていた。航大はその中も確認して小さく頷く。そして客用の出入口扉の方へ移動するとその扉の片側を解放しその脇で静かに立つ。
  個室内、その外からも微かな音楽が聞こえてきて徐々にボリュームが上がる。音楽を確認できる音量になるとそのままボリュームが固定された。照明が少し落とされシックなイメージに変貌する。航大は一点先を見て身動きもしない。その先から数名の姿が微かに確認できる。そしてその姿は徐々に大きくなり話し声も聞こえてきた。航大はその方向へ頭を下げる。先頭には担当のホテルスタッフ。サンズ王妃の妹夫婦とその子供、付き人がディナー会場個室の中へ入る。入ったのを確認すると頭を上げる航大。中では部屋付のスタッフが椅子を引いてそれぞれの椅子に着席させると、すぐに別のスタッフが濡れタオルをトレイで持ってきてフォークがセットしてある左側にタオル置きと一緒に差し出す。
  宴会場のテーブルのように円卓で付き人も併せて家族毎に割り振られる配置。次に現れた国王妹夫婦とその子供、付き人が現れると航大は先ほどと同様に頭を下げ中に入るまでその状態を崩さない。そして次に現れたのはロウとその付き人ともう1人を確認する航大。
「はっ?」
航大はそのもう1人を未来と確認。3人は何か楽しそうに話ながら穏やかに向かってくる。航大はそれを不思議そうに見た。未来は会場に入る直前に航大のいる場所とは逆の方向にそれて頭を下げた。ロウとその付き人が会場内に入ると航大、未来は頭を上げて目を合わす。
「どうゆうことかな」
「何がでしょうか?」
「君は彼の担当では無いはずですが・・・」
「サンズ国王の弟様、たってのご希望でしたので」
「そう。知らなかった」
「ご報告をいたしましたが、ひどくお忙しい時間だったようでお耳に入らなかったかと」
「そう。では君もひどく忙しかったと云うことでしょうか?」
「いえいえ、GM程ではありません」
「そう。君をこのプロジェクトに加えたことは失敗だったかな」
「いえ、正しかったと思います」
「そう。このことは?」
「沖村秘書もご存じです」
「そう。良かった」
  未来は航大にゆっくりと深く頭を下げる。顔を上げると会場の方へ向き、航大の元から離れていった。その後ろ姿を目で追う航大。その表情には出ないが何かの感情が新たに芽生えた一瞬だった。
  航大は左手にある腕時計を見る。19時を数分過ぎていた。何かのサインを身体で訴える航大。その様子は監視カメラが捕らえ、関係者にその情報が瞬時に伝えられる。未来の件は航大が知らされない訳もなく未来自身が単独で行った事と認識できる。そして未来との会話も関係者には共有されている。それはもちろんサンズ王妃との過ごした時間も既に共有済。随時航大の耳にセットされたインカムには情報が伝えられる。
「ウィ」

  航大は頭を下げる。その先からサンズ王妃、ボビーSがスタッフに先導させて向かってくる。サンズ王妃は頭を下げている航大の前で立ち止まる。航大は目線にサンズ王妃の足元を確認するとゆっくり頭を上げる。2人は少しその場で見つめ合う。
「良かったわ。久しぶりに」
  サンズ王妃は手袋をしていない左手を差し出す。航大はその左手を右手でつかみ取り少し力を加えるとサンズ王妃が航大の元に引っ張られる。
  航大はサンズ王妃の腰に回すと力を加え更に抱き寄せると唇を奪う。サンズ王妃は一瞬それに驚き目を瞑り自分の唇を塞ぐ航大を見るが、力が一瞬にして解放されその行為を受け入れるように目を瞑る。
  そこにいたスタッフもボビーSも、会場内で待機するサンズ一族、ホテルスタッフもそれに気づき、戸惑い、その光景を眺めどよめきが。
  ロウは不適な笑いを。未来は目を逸らす。やがて航大がそれを開放するとゆっくりと距離をおきながらも見つめ合う2人。

「貴様~」

  ボビーSが航大に殴りかかろうとすると、サンズ王妃が手を上げてそれを静止する。
「最高ね」
「恐れ入ります」
  航大はサンズ王妃に深く一礼をする。サンズ王妃はそれを無視するかのように会場の中へと入っていく。その後を航大に厳しい視線を送りながらボビーSが会場に中へ姿を消す。ゆっくりと頭を上げ予定していた全ての参加者が揃うと航大も会場の中に入り扉を閉める。
  扉を背にその場に立った航大がまた何かの合図を送る。その反対側の壁に少し大きめの白いスクリーンがおりてくる。何が始まるのかとサンズ一族がスクリーンを眺めていると、その光景が目にはいり一同がまたどよめいた。そこに映し出されたのは一組の男女。

「国王。王太后・・・」

  サンズ王妃の口からこぼれた言葉。そのスクリーンにはその2人が。
「皆無事に着いて何より。不自由はないか」
「こちらは快適です。ありがとうございます。そちらはいかがですか?」
「こちらは心配ない。ホテルオーナーの計らいで皆と一緒に同じ料理を頂くことになった」
  スクリーン越しに会話をする国王とサンズ王妃。その隣で王太后も笑顔で映る。スクリーンに映し出された2人の姿から少し画面が引くと、前にはここの会場と同様のナイフ・フォーク、グラス、皿等がセットされている。また少し離れたところにホテルスタッフと同様の者が控えている。
「はあ、良かった」
  その他サンズ一族の面々がスクリーン越しに言葉を交わす。その光景を後方で確認する航大がまた合図を送ると会場内のサービススタッフが飲み物を各テーブルに提供する。
  シャンパンをボトルからグラスに注ぐ、子供にはジュース。バー・カウンターではシェーカーを振るバーテンダーがその音色を一定のリズムに沿って奏でる。目の前に置かれたカクテルグラス2個にそれぞれシェーカーから注がれると、仕上げにはツイストレモンともう1つには楊枝をさしたオリーブ。それをサービススタッフがサンズ王妃妹夫婦のテーブルへ提供する。ロウとボビーSには生ビール。
  スクリーン上の国王、王太后のテーブルにもそれぞれシャンパンが提供された。国王がそのグラスを手にして目の前まで持ち上げると、会場内のサンズ一族も提供された飲み物を国王と同様に手にして持ち上げる。
「今はこうして皆と距離を置いているが、この紛争が終わったらまた皆で楽しく仲良くココで暮らそう。もう少しの辛抱。もう少しで終わる」
  その言葉に笑顔で頷く者、首を小さく振って否定する者、鼻で息を吐きた溜息まじりになる者、それぞれがそれぞれの反応を見せる。

12/17話へつづく


お読みいただきありがとうございました。
この後話がどうなるのか・・・楽しんでいただければ幸いです。


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