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「HOTEL315」 14/17話

 いまにも泣きそうな表情でその一戦をテレビ放送で見る尚美。健司はテレビに見入っている尚美を見つめ、そーっと立ち上がる。それは尚美の視界から外れるように。それも違和感なく自然とフェードアウトするように静かに横移動をしながら。それは時にパントマイムで空気のガラスか壁を手で固定しながら身体をずらしていくような少し異様な動き。

「セブン・エイ・・」
  武士がスクッと立ち上がる。それはあの衝撃を受けたのがウソのように勢いよく。
「あっと、立った、立ちました。エイト・カウントをレフリーが告げる前に勢い良く立ち上がった牛田選手。これはどうなのか。ダメージはどれほど残っているのか。戦えるのか、大丈夫なのか」
「いえ、あれは大丈夫です。初めて対戦する選手なのでまだ間合いが取れていなくて攻撃を浴びましたが、咄嗟の出来事に驚いただけで、それほどダメージはありません。あの表情と目を見れば解りますよ」
武士の目に闘争心が戻っていた。剛志はそれを見るとニッコリと笑い前に足を運ぶ。武士も剛志と同様に足を運ぶとリング中央の至近距離でにらみ合う2人。

「まだ潰れるには早いよな」
「お待たせしました」

  二ッと微笑んだ剛志は目を一瞬瞑ると一気に大きく目を見開き闘志を放出した。
「ああ、またリングの中央でガッチリと組み合った両選手。少し間があったせいで汗は目立つほど出ていない様子です。両者スゴイ形相でお互いを絞り上げます。また踏ん張ります。押したり押されたり。上体が少し前後するだけでその両者の足はリングに根が生えたかのごとくビクともしません。凄い力比べだ。凄い意地の張り合いだ。引きません。引きたくありません。さてこの力比べはどこまで続くのでしょうか」

「ああ・・・」

  尚美は相変わらずテレビ画面を食い入るように、またどうにか無事で帰れるようにと願う。その様子を確認しながら玄関口に移動する健司。そこに到達するとゆっくりと腰をおろし座りながら静かに靴を装着する。そして静かに立ち上がると、その一戦を見入る尚美の背中を見て少し悲しい表情を見せる健司。
  時に座った状態で身体を上下に動かしたり、興奮して声援とも罵倒ともとれる言葉をテレビに向かって投げたり。その喜怒哀楽すべてを今子供の一戦と同調する。
  そう、母も一緒に戦っているんだと、そう感じられた。そう感じさせられた、そんな時だった。あの言葉も、あの態度も、あの感情も、全ては子供の為にある。そう、それは当然のこと。
  出会ったのはもう子供が生まれた後の事。どんな環境で生まれたのか。どんな気持ちで育てたのか。なに一瞬キツイ事を云われた位でなんでそこまで考える?何故かな。もう俺は必要ないのかと、それもそう感じたのは出会ってから初めて。しょせんは他人。夫婦も最初は他人だがこの関係はまた別。でも他人なのか?健司は複雑な心境で頭の中にいくつもの疑問を投げつけながらも、暫くそのまま尚美の後姿をみていた。そして微笑む。

「やっぱ可愛いな」

  その場で尚美の方へ向かって深々と一礼する。少しして顔を上げるとその表情は先程とは異なり、何か決意をしたかのようにキリっとしていた。
  ドアの施錠を静かに開放すると静かに、音を立てないようにゆっくりとドアを開く。自分の身体ひとつ程開くと片足をまず外へ出し、引きずるように身体を移動させ最後に頭を外に出す。手で外側からドアノブを握り静かにその隙間を埋めるように動かすと、相変わらずテレビに夢中になる尚美の後姿を片目で確認できた。
  最後はその目線を逸らすようにドアが閉まって行くと尚美には気づかれない方向へ射していた少し曇りがちな陽射しがゆっくりと遮断される。尚美はそれに気づく事なく息子の姿をテレビで観戦中。気づくはずもない状況だったとも云えるかもしれない。健司は尚美と一緒にいた場所を脱出し己の意思で別れを告げた。しかし後ろ髪を引かれるように先を進む健司に何かの感情が生まれた。いや蘇ったと云うべきかもしれない。

「なにやってたんだ俺。ここは?」
  健司は周囲を見渡す。
「寝てた?尚美と?」

「あああっと、牛田選手の技が強牛選手に炸裂!大の字でマットを背にする強牛選手」
「ワン、ツー、スリー・・・」

「だめ~、立って、立ってよ~強牛。武士を勝たせちゃダメだから~」

  テレビに向かって叫ぶ尚美は立ち上がって身体を使いダダをこねる子供のように訴える。会場の観客が一緒にレフリーとカウントを数える。それはカウントが進むにしたがってそのカウントを叫ぶ観客が多くなり、カウントを増すごとに会場に響く声が次第に大きくなっていく。
「エイト」
「何やってんのよ~、立ち上がって、立って。もう立ってくださ~い、お願いします」
  尚美は興奮しながら飛び上がったり腕を上下に振ったりと、その感情に歯止めが利かない様子。  
「頼むお願いだから~」
  両手で頭を抱え込むように、そして祈るように訴える尚美だが強牛選手は立ち上がる様子もなかった。
「ナイン、テン!」
  レフリーは頭の上で両手をクロスさせ、それをまた開放したり「ストップ」の動作を何度か繰り返した。

「カン・カン・カン」

  試合終了のゴングが鳴り響くと一斉に歓声が轟いた。武士は両手を上げて喜びを表現する。そこに関係者が駈け寄り武士にタオルをかけて抱きついたり背中を叩いたりして祝福をおくる。
「勝者、牛田武士~」
  武士がコールを受けると観客の大きな声援が会場を木霊する。倒れている剛志を関係者が介抱している所に武士が近寄ると膝まずいて一礼する。剛志は苦笑いをして右手を差し出すと、その手を武士はガッチリと握る。それは試合前にした握手とは異なり腕相撲の時に右手同士を組むようにする握手。
  武士は剛志を抱え力を加えてそのままその場に立たせた。少しふらついた剛志を抱えて支える。剛志が立てる状態になったのを確認した武士は剛志の左腕を右手で握りしめ上空へ上げた。

『うぉ~』

  会場に大きな歓声がリングに向かって飛んだ。武士の空いた左手をレフリーが持って上に上げると剛志は自分の右手を上げる。更に会場が大きく耳を裂くような声にリング上で答える剛志と武士。満面の笑みで会場にアピールする2人。
「はあ~」
  立ち上がってテレビにゲキを飛ばしていた尚美は、力が抜けたように着席する。更に力が抜けたのか腰を落とし上体が少し下がると、首を落とし顔を両手で塞いだ。肩が小刻みに震えると、天を仰ぎ大きな口を開けて叫び目からは滝のような涙が流れる。恐らくその声は外にも確実に響いている事だろう。それ程の大きな泣き声。
「今牛田選手にチャンピオンベルトが巻かれました。ニューヒーロー、ニューレジェンドの誕生です」
  実況席からアナウンサー、成牛千太選手もリング上に上がってくる。千太は武士に近づいて握手を求めると、武士はそれに答えてガッチリと握手を交わす。千太は近くにいる剛志を引き寄せ、武士を中心に両隣りに剛志、千太が位置すると武士の腕を握り宙に振り上げる。轟く歓声と大きな拍手。暫くして手を下げると武士は剛志、千太、各々に軽く会釈をして感謝をつげる。温和なムードの中そこに実況アナウンサーが近づく。

「では観客の皆様、実況で放送をご覧の皆様、お待たせしました。ニューヒーロー、ニューレジェンド、牛田武士選手です」
  またも轟く歓声。武士は四角リングの四方へそれぞれその声援に笑顔で、手を振って、お辞儀をして応える。
「お疲れ様でした。今のお気持ちはいかがですか」
「はい・・・疲れました」
  どよめき、そして笑いがこぼれる会場。
「なに呑気なこと言ってんだ~」
  少し泣き疲れ少し気持ちを落ち着かせた尚美がテレビに向かって叫ぶ。そしてまた涙を流し泣く。。
「対戦相手の強牛選手はいかがでしたか」
「いや~、もう必死でした。強牛選手も同じだったと思います」
「いかがですか強牛選手」
「そうですね。いや、完敗です」
  会場から大きな拍手が起きる。
「さあこれからは何に挑戦しましょう・・」
  そのアナウンサーの質問に鋭いビームを送る3選手。会場は大きな歓声が鳴り止まずその状態はピークに達しているかのように熱い。しかしリング上の雰囲気は氷のように冷えかえっていた。そのアナウンサーはマイクを武士に差し出しながら3選手の鋭い眼光ビームで顔が氷ついて動かない。

いや動けない。

それは獲物を捕獲する直前の牛のように。後ろからサブのアナウンサーが近寄りそのマイクを取る。
「長いリーグ戦でした。その間どのように気持ちを維持してコンディションを整えていたのでしょうか」
  実況アナウンサーはその場で腰が抜けたように尻もちをついた。それを関係者が引きずるようにその場所から引き離してリング下へ誘導して行く。そのサブ・アナウンサーは健司に瓜二つ。
「はっ、健ちゃん?健ちゃんなの?」
  尚美は突然我に帰り自分の立ち位置から出来る限りの方角を、全方角を確認し続ける。
「健ちゃん」
  事態を把握したのか?尚美は一歩二歩と動き始め家中を探し始める。
「健ちゃ~ん」

「一番辛いのは精神ですね。内面。身体を維持できたのは、それを管理してくれたチームがあってこそ。トレーニングメニューの作成から食事の調整も化学的に管理してくれて。これだけの筋肉や脂の乗り具合を作っていただき感謝しています。だからこそ勝てる事ができました。ありがとうございます」
  武士は自分のチームメンバーに頭を下げる。その関係者はそれを受けて会釈して答えるが、両側の剛志と千太、インタビューするサブ・アナウンサーは何かを思うように苦笑する。
「失礼ですが内面的な辛さとは・・・」
「はい。リーグ戦もですが、この団体、この競技に参加してからはず~lと国に帰れなくて。母が1人で居るものですから」
「昨日は宿舎でお会いになったと聞いてますが・・」
「はい。久しぶりに会いました」
「今日の決戦前夜にどんなお話をなさったのですか」
「はい。身体はどう?とかちゃんと生活できてる?とか。なんかこっちが親みたいに聞いたりして。でも心配ばかりしてくれて。ありがたいなって。だから一生困らない位稼いで。心配ないように、これからが」
  会場からは大きな拍手。剛志と千太は下を向いて無言。拍手もしない。
「お疲れ様でした、牛田武士選手でした。大きな拍手を」
  会場からの大きな歓声と拍手に武士は手を振って笑顔で答える。マイクを向けていたサブ・アナウンサーはマイクを関係者に渡すと再度武士に近づいて耳打ちをする。一瞬目を見開いて驚いた様子を見せる武士だが直ぐに平静を取り戻してその問に何回か頷く。サブ・アナウンサーが先にリング下に降りるとその降りた場所で武士を待つように立つ。

会場には牛田武士選手のテーマ音楽が鳴り響く。その音楽に合わせて奇声を発する会場のファンたちはリズムに合わせて拳を突き上げる。武士は両側にいる剛志と千太に1人ずつガッチリと握手を交わした。剛志は2度ポンポンと肩を叩く。千太も軽く1度肩を叩くと2人に一礼する武士。
「健ちゃ~ん」
  尚美はまたテレビが置いてある部屋に戻るとテレビ画面を見る。武士がテレビ画面の中でリングを降りるとサブ・アナウンサーと横並びに立つ。
「あっ、健ちゃん!」
  その様子を尚美が確認して叫んだ。その2人は何かを話ながら入場通路を逆の方向へと帰って行く。
「だめ、健ちゃん。武士を連れて行かないで。武士ついて行っちゃダメ!武士~」
  尚美はテレビを揺らしながら訴え、その感情の制御が効かない程になっていた。テレビを抱えながら声も枯らして涙を流す尚美。会場の選手入退場口迄武士とサブ・アナウンサーが来るとサブ・アナウンサーはそこからフェードアウト。中に入る訳でもなく消えていく。
  武士は観客側に振り返ると手を大きく振り、一礼してその入退場口の中に姿を消す。カーテンで仕切られる会場とその奥。
  暫くすると煙が立ち込め炎が上がる様子をカーテン越しに確認できる。それは不思議と会場内には入ってこない。会場内からカーテンの奥にその光景が確認できるだけ。そして『ジュ―』っと云う何かを焼いているジューシーな音が微かに聞こえてくる。やがてその音が止み、炎が見えなくなり、煙もどこかに消える。武士のテーマ音楽は徐々に小さくなりその音も聞こえなくなった。そして会場には退場を促す音楽が聞こえ始め一定のボリュームで会場内に響き渡る。少しずつ観客が移動をし始めるとリング上の選手・関係者も徐々にリングを降り始めた。それは無表情でまるで生気が感じられない夢遊病者の様。尚美はテレビを抱えながらその場に静かに伏せっていた。

「良い作品だった」

15/17話へつづく


私たちの生活は多くの犠牲があるから。感謝。
続きを読んでいただければ幸いです。



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