脱!不毛!アラフィフ『再』婚活日記#200 いずれ無になる

記事が200になった。
よくこんだけ文句垂れてきたな笑
学生の頃から、自分の色恋に関しては人に話したり相談することがほとんどなかった。
なんかこっぱずかしかったし、所詮色恋のことなど当人同士にしか解らないし、問題が出てきても、解決できるのは自分たちだからだ。
結婚してから夫の愚痴は言っていたけど、不倫の彼氏のことなんて誰にも話せず、ずっとネット上で有料の日記に鍵をかけて、そこにぶちまけていた。
その日記サイトは運営が廃止になってしまって継続できなくなり、しばらくは読めるだけになっていたけどそれもできなくなり、文字通り『墓場まで持っていく』こととなってしまったが、それでいい。

父が亡くなって実家を整理した時、父の日記が出てきた。
私が幼少期、弟が生まれてすぐくらいの頃から、母と離婚する前くらいまでだろうか。
割合長い期間、毎日ではなく飛び飛びだったが、思い立った時に書いていたようだ。
もちろん日記を書いていたことなんて知らなかったし、とりあえず持って帰ってはきたが、何が書いてあるのか読むのが怖かった。
公開されていないプライベートなものって、読むの怖くない?
自分が知ってる人の、全く知らない部分』を覗き見ることの恐怖。
私は人の携帯の中身を見るのも怖いので、夫や彼氏のスマホを見る人の気が知れない。
怖いけど、ほとんど一緒に暮らさず、まともな話をしたこともなく、母曰くDV夫で子供に無関心だった父が何を書いていたのか知りたかったので読んでみた。
不器用だけど本当は子供を愛していた。
もしかしたらそんなことが書いてあるかもしれない。
ドキドキしながら読み進めたが、

しょーもな!(脱力)


私が幼稚園生の頃、日曜日の父親参観日に、前夜酒を飲みすぎて朝起きられず、二日酔いで駆けつけて叔母(母の妹)に怒られたとか、私が小学生の頃の運動会。またしても前夜に飲みすぎて二日酔いで参加、とか、ほんと、

○ねやアル中親父(もう○んでるけど笑)


って感じ。
あとは趣味の釣りの話。
どこそこへ行って釣果はどうだったとか。
時々私や弟も登場したが、
「本当はそんなこと思ってくれていたんだね、お父さん(涙)」
みたいな感動的な記述、一切なし。
終始酒と趣味の話。
一応全部読んでみた感想は、
「私がわりと筆まめなのは、親父に似たんだな」
ということだった。
この人は私が大人になってから、
「親らしいことしてやれんかって、申し訳なかった」
って、私に頭下げたので、それなりに自覚していて、後悔もあったのかもしれない。
だけどそれは私の知ったことではない。
そう言われたからといって全てを許せるものでもないし、急に愛情を持てるわけでもない。
恨みもないけど、愛もない。
ただの無。
私も死んだらこんなふうに消えて、忘れられていくんだろうなと思う。
今は生きているからそれが少し寂しく感じるけど、死んだら思考もなくなるのだからどうでもいい。
先日亡くなった中尾彬さんが、ご自身が入るお墓に『無』と入れてらしたが、まさに!だよ。

今は手紙を書くことなんてめったにないけど、ネットが一般に普及してメールのやりとりができるようになるまでは、電話と手紙が主流だった。
小学生の頃から二十歳くらいの時までの、交換日記や手紙を、全部取ってある。
でっかい衣装ケースに山盛りの、パンドラの箱。
なんせ中学高校時代、授業中にこっそり回した手紙まで置いてあるのだ。
開けてしまったら、1日中引きこもって読んでそう笑
私はすごく物持ちがいい。
引っ越しするたびに処分してきたけど、私を妊娠した時の母の母子手帳、小学生の時の通信簿。
裁縫道具も小学生の時に使っていたお道具箱を未だに使っている。
たくさん習い事をさせられていたので、かなりの量の賞状や証書もあったが、数年前にそれらは全て写真に撮ってデジタル化した後、処分した。
ま、デジタル化したとて、それらを受け継ぐ人間もいないので、全て私が処分なんだが。
せめて○ぬ前に、それらを一緒に眺めながら、
「こういう時もあったんだよー」
って、笑って語り合えるパートナーがいたらなーとは思うんですけどね。

非常に無理臭い笑


あ、ここも○ぬ前にちゃんと閉じてから逝きます。
絶対身内に読まれたくない!


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