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東京ありがとう連載「こけしの恩返し」

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連載 「こけしの恩返し」20 最後に

明日、というか、今日、夜が明けたら、引っ越しです。

なんとか連載、終わらせることができそうです。

ここ数日、感情が揺れて揺れて、大変でした。

19年間暮らした東京を去ること、14年間住んだこの部屋を去ることが、切なくて悲しくて、思い入れを入れようと思ったらいくらでも入れられてしまうので、いかに考えないようにするか、必死でした。たまにポツッと考えだしてしまうと、「なんで私、こんな決断しでしまっ

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連載 「こけしの恩返し」19 イラストとこけし編

仕事とバイト以外の、自分の活動のことも書いておこうと思う。

2011年震災があった後、私はぽち袋を作り始めた。何か少しでも人の役に立てるものが作れないか、と考えて、浮かんだのがぽち袋だった。なぜぽち袋に着目したのか、その脳内経路が謎ではあるが、ぽち袋を作って売ろう、と考えたとき、目の前がぱーっと開けていくような気がした。ぽち袋が未来を変えてくれる、という、変な確信を持っていた。

ぽち袋を売る屋

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連載 「こけしの恩返し」18 花屋のバイト編(2)

花屋は忙しい。やることが後から後から湧いてくるので、ぼーっとできる時間はほぼない。くるくると回るコマのように、一日中回り続ける。最初のうちはそのペースについて行くのがやっとだったのだが、少しずつ慣れてくると、そんな働き方も悪くはない、いや、おもしろい、結構自分に合っているかも、と思うようになった。身体を動かすことは嫌いじゃないし、一日中パソコンの前に座って仕事をするよりは立って動いている方が自分に

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連載 「こけしの恩返し」17 花屋のバイト編(1)

オープンガーデンの仕事を辞めることにした。理由は明言しかねるが、あえて言うならタイミングと限界が来た、ということだ。

12月末に辞めてから、翌年3月いっぱいまで無職の日が続いた。

無職でも無職なりに1日1日は過ぎていくもので、案外やることはあったりして、無職の日々を快適に楽しんでいたのだが、やはり働き先を探さないと残高は減るばかり。働かねば、という気持ちが徐々に湧いてきた。あ、正確に言うと完全

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連載 「こけしの恩返し」16 森のバイトの他に、編

オープンガーデンでのバイトをしながら、他のバイトも掛け持ちしていた。

そのバイト先と出会うきっかけも、あの自然食料品屋さんだった。

実はその自然食料品屋さんで、数ヶ月バイトをさせてもらっていた。オープンガーデンの仕事が16時に終わるので、その帰り道にお店に寄って、そこから閉店まで働かせてもらっていた。そのお店は配達もしていたのだが、ある日、配達の車に同乗してお客さんのもとへ荷物を運んだことがあ

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連載 「こけしの恩返し」15 森のバイト編

新しく決まったバイト先、それは、森のように鬱蒼とした木々の中にある一軒家だった。

そこは造園家の社長一家が暮らす自宅兼事務所で、オープンガーデンとして家の一部を解放しており、そこを借りにやってくる人や見学に来る人の接客や、掃除などが主な仕事だった。

環境は抜群によかった。木々に囲まれているのでまるで森の中にいるような感覚で、いつも自然を近くに感じられた。それまでの勤務先が都心だったということも

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連載 「こけしの恩返し」14 新たなバイト決まるミラクル編

デザイン事務所を辞める少し前に、私はとても重要な出会いをしていた。

東日本大震災の後から、私はぽち袋の制作販売を始めていた。主に手づくり市で販売していたのだが、最寄り駅にある自然食料品屋さんにそのぽち袋を置いていただけないかとずっと思っており、ある日思い切って持っていったところ、気に入ってくださって置いていただけることになった。ぽち袋をなぜ雑貨屋さんではなく自然食料品屋さんに?とお思いでしょうが

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連載 「こけしの恩返し」13 デザイン事務所編

4年勤めた会社を12月末で退職し、年を越え、2月からデザイン事務所で働くことになった。

2月からの勤務だったけれど、1月中頃から自宅でできる仕事を自宅でやることになったのだけど、今思うとそこから既に私の雲行きは怪しかった。

私の自宅のネット環境は、今どきADSLでして、容量の大きいデータを送る時など下手すると30分くらいかかってしまうという、アナログ的デジタル環境だったため、データ送信が遅くて

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連載 「こけしの恩返し」12 アキチ編

就職していた時期、私は大学5年生のときに学祭でカフェをやったメンバーと一緒にアトリエギャラリーを借りていた。アトリエであり、ギャラリースペースもあり、自分たちでものを作りながら展示もできる、という場所だった。

「みんなで集える場所があって、そこに住めたらもっといいなあ」とぼんやり思っていたのだけど、その希望が実際に形を成していく一部始終を体験した。

物件をいくつか見てまわり、「ここが最初の一歩

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連載 「こけしの恩返し」11 就職、終了編

会社でお世話になった人で忘れてはならない存在、それは、

課長。

私は事務の仕事を途中からほぼしなくなったので、営業の課長とはそこまで密に仕事をする機会がなかったのだが、官庁のポスターを作る案件では課長が窓口となっていたため、その仕事を通して大分お世話になった。

課長はお母さんが画家、ということもあり、美術方面に対して理解と見る目をお持ちだった。だから、ポスターなどをつくる中でもいろいろなアド

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連載 「こけしの恩返し」10 就職、辛くなる編

駆け出し4ヶ月の「楽しくてしょうがない期」は一体何だったのか、と思うほど、2年目越えたくらいからだろうか、タチの悪い就職イヤイヤ期が始まった。

まず、毎日同じ電車に乗って同じ場所へ行き、夕方まで拘束され、夕方また電車に乗って家へ帰る、という、このルーティーン化された日々を過ごすことがどうにもこうにも耐えられなくなってしまった。

同じこと、といっても、仕事の内容は違ったり、電車だって周りの人は毎

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連載 「こけしの恩返し」09 就職、先輩編

年始から始まってしまった、「就職、実は楽しくないんじゃね?」現象は、少しずつ少しずつ私の心を浸食しながら徐々に徐々に色濃く大きな存在になっていった。

でも、そんな中でも楽しいことや救いはあった。

それは、年の近い女の先輩たちの存在だった。

入社当時、その先輩は3人いた。

ひとりは環境系事業の業務を請け負っている先輩、

ひとりはweb関連を請け負っている先輩、

そしてもうひとりは総合的営

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連載 「こけしの恩返し」08 就職、楽しい!編

8月末に就職が内定し、初出社は9月1日だった。

なんと効率の良いことでしょう。

こういうことをトントン拍子というのですね。

私を雇ってくれたその会社は、麹町にあった。

麹町、その響きすら、なんかいい(かよ、心の俳句)

初出社して、私の席が決まって、いきなりもらっら仕事は切ったり貼ったりする仕事だったと記憶している。

ちょうど、ギフトショーに出展する日が近かったような、なんかとても忙しそ

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連載 「こけしの恩返し」07 ついに就職決まる編

7月末でパン屋を辞めた私は、8月のまるまる1ヶ月を実家で過ごした。

4月から就職活動を始めた私は、いくつかの会社に応募し、見事に全て落ちていた。

最初に応募したのは好きだったカフェだった。そこは吉祥寺にあったマクロビオティックのカフェで、その佇まいや料理がとても好きだったので応募してみたのだけれど、選考の際に「自分で炊いた玄米ご飯を持ってきてください」というものがあり、それまで玄米を炊いたこと

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