kiyokayo
10月18日(金)から20日(日)の3日間、 鎌倉で個展をします。 タイトルは 「a piece of One」 会場は鎌倉駅西口から徒歩5分のところにある HUG FOR_. というギャラリーです。 ホワイトボックスのギャラリーでの個展は初めてです。 絵と向き合うための空間での展示、 緊張しますが、 たのしんで3日間、過ごせたら、、と思っています。 この展示に向けてのこと、 以下、文章にまとめました。 いくつになっても青くさい私です。 よろしければお読みください。 __
最近、水を汲みにいくようになった。 アトピー改善のために水を変えてみようと思ったことがきっかけで、 近くにいい湧き水スポットはないだろうかと思っていた。 実はずっと前からあのあたりにいい湧き水スポットがあることは知っていて、でも検索しても地図を見ても見当たらず、探しきれずにいたのだが、 ある日、友人と一緒にいったパン屋さんでその場所を教えてもらい、行ってみたらすぐそこで、蛇口から惜しげもなく溢れ出るその湧き水に感動し、 飲んでみたらこれがまた美味しくて、 よし、これからはこ
今年の8月は、おそらく今までの人生の8月で一番苦しい8月だったように思う。 毎年、私は6月から8月くらいにかけて、精神的不調に陥る。 それはほぼ毎年だから、きっと私のサイクルはそういうことなんだろうと解釈し、不調を感じさせないためにあえてその時期展示をすることにして目をそらせるように自分を仕向けたこともあった。 安易だけど意外とその作戦が成功した年があり、だから今年の7月に展示した時も少し気持ちは上向きで、今年も激しい落ち込みはなくいい感じでいけるかな、と思ったのは束の間、
思い立って、戸隠神社に行ってきた。 前から行きたいねと話していた場所だったが、昨日がどうやらそのタイミングだったようで、のろのろと準備をして10時半頃家を出て、高速に乗って北信へ向かった。 北へ向かうことはあまりなく、車外の変わっていく景色が新鮮だった。 お盆も明けたというのにむわんとした熱い空気がまとわりついて、北へ来たけど南信の暑さと変わらないんだな、と思った。 途中ファミレスでご飯を食べて、戸隠へ着いたのは3時近くだったろうか。こんな山奥に人がたいそう来るものなんだな、
6月にアトピーが悪化してから、 いろいろ考えている。 一旦収まったアトピーが、なぜここへきてまた再燃したのか。 生活リズムが変わった、というのも一理あると思う。 今まで週3バイトヘ行っていたのが週1ほどになり、 時間が倍以上に膨張したと同時に迷いや不安やらも膨張し、 それは少なからずストレスというかたちで私の心身が受け取っているのかもしれない。 でも、原因は他にもあると思うのだ。 まだ解決しきれていない問題や、過去の自分の癒すべき場所が癒されていない、それに気づいて欲しいとい
海へ行ってきた。 伊那から下道で約4時間、 いつまで続くのだろうと思うくらい長い山道を越えた先にあった 浜松の海。 久しぶりに見る太平洋は 広大で、広大で、 本気の自然を感じさせてくれる。 誰もいない海岸 見渡す限り、海と浜 向こうからやってくる大きな波 ちょうど満月だったからか、 海は大きく波うち荒れていたけど、 たまらず足だけ浸りに入る。 思ったよりも冷たくて心地よい。 風がびゅんびゅん吹いて足が冷たいから 暑さが気にならない。 暑い時は海に行くのがいいのだな、と思った
昨年の秋から今年の3月にかけて、半年間、 鎌倉に月に一回、通っていた。 あるスクールに行くことが目的で、 毎回、私は鎌倉に前乗りして一泊していたのだが、 その日も新宿から鎌倉へ向かう電車に乗り、 昼下がりのスカスカの車内でぼーっと過ぎ行く景色を眺めていた。 神奈川に入ったころ、とある駅で乗ってきた女性が 私の目の前の席に座った。 その人はズボンに泥がついていて、 どこかよれっとした印象、 髪もばさっとしていて、 手には分厚い本を1冊、持っていた。 そして肌が、アトピーだった。
6日間の展示が終わりました。 服と絵の展示、 どんな感じになるだろう、と思っていたけど、 違和感なくすとんと落ちつき、 心地のよい空間になっていたと思う。 一緒に展示をした市川さんと私のもつ 波長のようなものがきっとそんなに遠くない場所にあったから ということも、 大きかったのかもしれない。 いろいろ助けられ、一人ではできない展示ができたと思う。 人と一緒に何かを作り上げること、 考えてみたら今まであんまりしてこなかった。 一人でやるのが楽だったし、 自分のイメージを誤差なく
生活ペースが変わって1ヶ月ほど経つ。 この1ヶ月、とにかく内側の波が激しくて、 よく泣いていた。 一涙ごとに何かが洗い流されていくような 雨降って地固まる的な涙。 やってみないとわからない。 やってみて、ダメだったらダメで納得がいって受け入れられる。 そこまで体験しないと納得できない。 ひとつひとつ体験して、体得して、 じゃないと前へ進めない。 今までもそうやって、 ひとつひとつ体当たりして、 ボコボコになりながら進んできた。 だから今回も、そうやってやってみて、 初めて感じ
バイトのない生活になって2週間経つ。 乱気流のような気持ちの波が続いていたが、 いま少し凪になってきて、 さてどうしようか、と思う。 日々、絵を描く時間が増え、 明るくなった部屋に机を持ってきて 明るい部屋の中で絵に向かう時間は 耽美な時間とも言えるような 贅沢な一瞬。 紙に絵の具が染み込んでいく、 その様を何回も見る、 ああ私は色を塗るこの作業自体が好きなんだなと思う、 じんわり色を重ねていって染まった紙が 私の世界になっている。 時間ができて、 ものごとを見る解像度が上が
バイトをする生活を手放すこと それは私にとって夢でもあった それをやってみた おとといの出勤で一区切りとし、 これからはほぼバイトのない生活になる そうしたかったからそちらに向かおうとした いつも怖くて最後の踏ん切りがつかなくて、 思い切れない自分がいやだった けど、 昨年末に最後の刺客がやってきた その存在が、最後の踏ん切りをつけさせてくれた やっと手放せる、そう思って 自由を得た気がして 頭の上の曇ったモヤモヤがさーっと晴れていった 歩いているだけで幸せ、そう思った でも
精神世界、心や魂の世界に興味があって そちら方面を学んだり感じたりしてきたここ数年。 アトピーの治療もなぜかフィジカルよりメンタルからのアプローチの方がしっくりきて、 大元である魂の部分から治そうとしてきた。 魂の視点、私の魂が求めていること、 課題、 玉ねぎの皮を剥くように 一枚剥けたらまた一枚、 そうやって磨いていくことがきっとこの先も続いていくんだろう、 けれど、 去年から徐々に魂から肉体、身体の方にようやく目を向けられるようになり、 身体からのアプローチのおもしろさに
数週間前から 首が痒くて痒くて痒くて痒くて 掻きまくっている訳だが、 一向に掻き止むことなく掻き続ける日々である。 今回の痒みは後頭部にまで及んでおり、 今まで頭皮の痒みは何とか免れてきていたのだが ついに満を持しての決壊のごとく 膿が出ては固まり、また掻いては膿を出し の繰り返し。 季節の変わり目、ということもあるのかもしれないが、 これは脱皮の一環と私は捉えている。 特に痒みの強い首の後ろ、 ここから私の何かが出ようとしている。 この分厚い冷たい皮を剥ぎ取って、 美しく光
朝から雪が降っている。 春だな〜という日々だったのに、 青天の霹靂のような雪。 三寒四温の振り幅が大きい。 昨日は晴れていて光が眩しかった。 眩しい光の中、 母の車を運転してお墓参りに行ってきた。 随分墓には行っていなかった。 お彼岸の初日の明け方、夢をみていた。 母方のおばあちゃんと、父方のおばあちゃんのお姉さんと、大物イラストレーターが出てきて、 「生涯現役」という言葉をもらった。 意外な三人の取り合わせと、「生涯現役」というメッセージ、 かなり衝撃的で、 起きてからぼ
先日、自転車の不具合を直した。 ちゃんと全身メンテナンスしてもらい、 へこんでばかりいた後輪もパンパンに復活し、 スイスイ快適に走れるようになった。 そしたら俄然自転車に乗りたくなるわけで、 暖かくなってきたことも相まって、 今日は念願のソファを求めに数駅先の家具屋さんまで行ってきた。 ソファはずっと欲しかった。 今までの暮らしの中で、私は「くつろぐ」ということをしてこなかった。 部屋はくつろぐものではなく、作業場としての役割が一番だったので、 暮らしを楽しむ、というような考
3月になり、着実に春の気配を感じている。 寒い寒い長野の冬を越えた時の あの喜びを感じるまであともうわずかではなかろうか。 極寒のバイト先で、カイロを使わず厚着だけで寒さを感じず過ごせるようになってきた ということは、 これはかなり春の気配である。 どんだけ過酷な環境で働いているか、ということはさておき、 水に触りたくなったり 締め切っていた部屋の間仕切りを開けたくなったり 自転車に乗りたくなったりするのは、 春が近くに来ているからに他ならない。 寒くて辛い冬を乗り越えて春を