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国中、スパイだらけ!

記念写真1枚で・・・

ソ連邦技術機械輸入公団(テクマシインポルト)が日本の大手化成品メーカーから買い付けたケミカルプラント一式の建設地は、外国人立ち入り禁止のエリアでしたが、建設の進行管理のためには、日本人技術者の一行を受け入れざるを得ませんでした。
幸い日本人の几帳面な性格と仕事に向き合うまじめな姿勢のおかげで、プラントの建設は予定より早く完成し、明日は帰国できるという日、簡単なお別れパーテイの後で、完成したプラントの前に集合して記念撮影をした後、宿舎に引き上げました。
翌日、一行を飛行場に送るバスは、出発後まもなく目立たない建物の前に停車し、責任者の霜田氏がバスから降りるように命じられ、建物の中に案内されました。

「何か問題でも? 飛行機の時間に遅れないように、短くお願いします。」
「長くなるか、短くなるかは貴方の態度次第ですな。」
「完成したプラントに何か技術的な問題でもありましたか?」
「問題は其処ではなく、あなた方の内の誰かが、外国人立ち入り禁止区域で、わが国のプラントの写真を撮影したという報告が来ています。わが国では、この行為はスパイ罪に該当し・・・・」

霜田氏は、途中から驚きのあまり、後は何を言われていたのか記憶にありません。
しばらく呆然としていましたが、彼にはチームの全員を日本に連れ帰る責任があります。

「お待ちください。私達は、貴国のためにプラント組み立てるよう派遣されてきました。外国貿易省の許可も得ています。第一プラントの写真といっても私達が自分で組み立てたもので秘密を探る必要などありません。日本には設計図も一式残っているのですよ。」
「一旦引渡しが終わったプラントは、わが国のもので、このエリアでわが国のプラントの写真撮影をすれば、スパイ罪が成立するといっておるのです。」

もう飛行機の時間どころではありません。
すぐに日本大使館とこの商談をまとめた大手商社、その下の友好商社に連絡が取られ、関係者が飛んできましたが、KGBなどの防諜組織と外国貿易省とは全く横のつながりがないので、話がつきません。

友好商社が知恵を出しました。「写真撮影は確かに行ったことを認め謝罪し、悪意がなかったことを誓約し、撮影した未現像のフィルムは証拠として提出する。」というものです。
密告に基づいて取調べを行った部署は、これで全て自分の義務は果たされ、後々スパイを見逃した「犯罪的無能」のそしりを免れ、本件はファイルに収められ落着します。
関係者一同は本件に関して第三者に一切の情報を漏らさないことを約束して、解散になります。
霜田さんは、もう二度とソ連に出張することはありません。

極秘のその話は、日本人駐在員の酒の席でひそかに酒の肴になりましたが、明日はわが身ですからあまり笑えません。
50年たてば時効ではないかと思って書いています。

同じような、外国に対する病的な猜疑心、保身のための官僚主義による事件は日常的に起こっていました。

ソ連の収容所の内幕を暴露して、ノーベル文学賞を授与された、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの「イワン・ デニーソビチの1日」「収容所列島」「煉獄の中で」を読むと同じような事例が毎ページ出てきます。
勿論彼は投獄されますが、フルシチョフがスターリン批判をして、その一例としてソルジェニーツィンの書籍の出版を許可したので、たちまち全世界と全ソ連市民の知るところとなりました。
しかしながら、フルシチョフが失脚して「雪解け」の時代が終わり、ブレジネフに時代には再び停滞の時期が訪れ、ソルジェニーツィンはこの後、国外追放になります。
私はそのブレジネフ時代にモスクワに赴任したのでした。

一方、日本では・・

当時ソ連では、スパイ容疑や国家反逆罪で濡れ衣を着せられて逮捕されたロシア人、外国人で収容所が混雑していた頃、日本のバーやレストランは、外国の本物のスパイでごった返していました。
今でも、日本にはスパイ罪という罪はありません。
せいぜい国家の機密を外国のスパイに売り渡したり、政治的信条から自発的に漏洩したりした国家公務員に対して、国家公務員法違反の罪があるぐらいで、情報を引き渡した相手国の人物に対しては、「好ましからぬ人物」として国外退去を求める程度が精一杯です。
従って外交官の身分で安全を保証することも不要で、ジャーナリストの資格で色んなところに出入りするほうが、情報活動には便利というわけです。
CIA,KGB,中国、北朝鮮等々、何しろばれても、逮捕、拷問、処刑などの心配はしなくていいのですから、「スパイ天国」で優雅な日本滞在を楽しむことができます。(きっと、領収書の要らない経費予算も在ったに違いありません。)

で、日本滞在のスパイは穏やかでいい人ばっかりに見えます。

私の上司の輸出部長は、私をモスクワに放り出した前任者はすでに出世して役員になっており、後任の眼光鋭い「特攻隊生き残り」を自慢にしていた空手5段の飢狼のような風貌の人でしたが、ある日、銀座で飲みすぎて不覚にも、立小便をしていたところ、スッと横に並んで立小便を始めた外国人が居ました。
部長も少し極まりが悪くなって、

「二人で、犬のように(立小便を)しますか。」 

と声をかけました。
すると

「二人で、日本人のように(立小便を)しますか。」

と鮮やかな日本語が返ってきました。

ここで腹を立てるのではなく、「面白いやっちゃ!」と感じた部長は、彼を2軒めのバーに連れて行きました。
こうして、ノーボスチ通信社東京特派員のウラジーミル・イワノフ氏は日本の大手合繊メーカーの輸出部長とお友達になりました。

イワノフ氏はソ連の国際関係大学日本語科を卒業してノーボスチ通信社(ソ連国営のニュース配信会社)に入社しましたが、勿論もうひとつの顔は、国家に奉仕する諜報機関のメンバーです。
日本に於ける政治、経済のあらゆる情報収集が仕事ですが、彼の地位はあまり高くないので、出世を望まないなら、優秀な日本語を駆使して毎週それらしいレポートをあげればいいわけです。
そして仕事上で築いた人脈で何とか個人的にメリットを獲得したいと考えるのは当然です。
また私の上司もこの男をうまく使えば、私の業務遂行に有益な情報が得られると考えていました。
イワノフ氏が任期満了で帰国するとき、部長からの指示で彼からコンタクトがあれば、何かと便宜を図る様に指示が来ました。

イワノフ氏の要求は私の想定内の慎ましやかなものでした。
私には、本社から駐在経費がドルで送金されてきますが、ソ連国営銀行の私の口座から引き出すときは、ドルキャッシュかハードカレンシーショップで使える金券かを選択します。

当時ソ連は外貨不足が深刻で、

イワノフ氏の上司が海外出張するときに国にから渡される外貨では土産一つ買えないので、

「300ドルほどドルキャッシュが手に入らないか」

というようなものです。
勿論等価のルーブルは渡すといいますが、公定レートでは、1ドル360円、1ルーブル400円という時代です。しかしルーブルの価値は低く、町に出れば、1ドルは5ルーブルで取引されていました。
私は、ルーブルとドルを1対1で交換しようと提案しました。勿論大喜びです。イワノフ氏から貰ったルーブルは、毎日送信するテレックスの通信費として消化します。

なんでもありの国際空港

駐在2年目には、わたくしとイワノフ氏の信頼関係は確立して、私からは、訪ソする会社幹部のシェレメーチェボ空港におけるスムーズな通過をお願いしました。

「石井さん、クールボアジェのナポレオン1本とアメリカタバコのケントの10パック入りカートンが2つ要ります。」

その程度ならハードカレンシーショップでは、いつでも調達可能です。
当社の会長が訪ソしてくる日、朝からイワノフ氏と私は、シェレメーチェボ空港に居ました。JAL機のタラップが取り付けられ、乗客を運ぶバスが横付けになります。
おそらくファーストクラスで来たのでしょう最初に会長と輸出部長の二人が姿を現します。
次の瞬間、私は目を疑いました。二人を乗せたバスは、後続の乗客を置き去りにして出発したのです。
バスはそのまま、入国審査のゲートを素通りして私達が待つVIPROOM
の真下に止まりました。
当社副社長は経団連の副会長も務めていて「日ソ経済合同委員会」のメンバーですから、モスクワで公式会合が開かれるときは国賓待遇で空港もフリーパスですが、今回は社用で来たのでそのような待遇は期待していません
貴賓室に怪訝そうな顔で現れた会長に続いて、
このことを内々指示して来た部長が部屋に入るなり、白々しく、

「おう!石井君、きみの仕業だったんだな?」

といいながら、となりのイワノフ氏にウインクしました。すぐさま、恭しく空港長が現れて、お二人のパスポートにべたべたスタンプを押し、これで入国審査は終了です。ソファで紅茶を飲みながら歓談していると、またしても空港長が現れて、

「お二人の荷物は、外で待機しているチャイカに積み込みました。」

つまり税関はフリーパスになっていたのです。
これなら機関銃でも持ち込めるなと不遜なことを考えながら、空港長にお礼を言って、ご一行様はチャイカに乗り込みます。
チャイカとは「かもめ」という意味で女性で最初に宇宙飛行士となったテレシコワさんのコードネームでもあります。
ここでは共産党幹部専用の高級車の名前で、これをハイヤーすると費用はかかりますが、道路の真ん中の専用車線を走れる上に、走るにつれて信号が次々と青に変わります。(警官がチャイカを見ると、信号を手動で青に変えてくれます。)

私が優秀な駐在員であると認められたのか、今までは1~2年で交替していたモスクワ駐在員ですが、私の場合は3年に伸びました。何事もやりすぎは良くないというわけです。

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