ロシア人とウォトカ
アルコール濃度100%のウォトカはない、が・・・
日本で、ウオッカと呼ばれている酒は、ロシアではウォトカ(又はヴォトカ)と発音されます。
本来、小麦を醗酵させたものを、白樺の活性炭でろ過して不純物を取り除き蒸留します。
蒸留を重ねていくとアルコール濃度は、どんどん上昇していきますが、水とエチルアルコールの親和性が良いので、極限まで蒸留を重ねても98%のアルコール濃度あたりが上限となります。
一般に売られているウォトカは、濃度が40%、65%などですが、輸出用にローマ字でラベルが印刷されているものは、40%に統一されています。
モスクワのウォトカ工場からシベリアに運ばれるものは、冬の間、地上の交通が不便なこともあって,ソリ付きのセスナのような小型機で運ばれますので、98%の原酒を水で希釈せずそのまま運びます。
水なら周辺に雪として無尽蔵にあるから、現地で割りなさいという意味でした。
しかし、アルコール濃度の濃い酒がいい酒だという国民的合意に支えられて、
「98%そのまま飲んでしまえ」
という人が現れました。
98%のウォトカは流石にウォトカとは呼ばれず、「スピリッツ(つまり、アルコール)」というラベルが貼ってあります。
のどごしの「カーッ」という感じはロシア人が愛してやまない醍醐味で、評判になり、シベリアからモスクワに逆輸入される始末です。
私も勧められて、グラスに5ミリほど注いでもらいました。「一気に飲むと危ない」といわれて恐る恐るチビリとやりました。
かすかに甘い感じですが無味無臭です。
「ホレホレ、グラスを手で蓋して置かないと蒸発してなくなるよ!」
「確かに!」
という騒ぎです。
ウォトカ本位制
当時、あまり民間の消費生活が豊かでなかった頃、ロシア人が「ソウルフード」として、「これさえあれば、どこからも文句は出ない」食べ物が3つありました。
黒パン、塩漬の二シンそして勿論ウォトカです。
特に外国人の私が、ハードカレンシーショップで買っていたローマ字ラベルの輸出用ウォトカは、その品質の高さがロシア人すべてに知れ渡っていました。
外国の生活が長い政府高官や公団の上のほうは、ナポレオンやXOのようなコニャックを喜びましたが、普通の人は、どちらを取るかといわれれば、例外なく輸出版ウォトカを取りました。
勿論、ロシア語のキリル文字で印刷されたラベルのウォトカは、売っていましたが、「あれは、原料が小麦ではなく、材木チップを無理やり醗酵させたもので、飲んでるとすぐにアル中になる」とまことしやかに囁かれていました。
アル中のタクシードライバーが、道の両側のビルが自分に向かって倒れこんでくる幻想にとらわれ、走り抜けようとして、信号無視でアクセルを踏み込んで大事故などという話も聞きました。
そんなわけで、交渉ごとの多い私のサムソナイトの大型アタッシュケースには、書類ではなくて、輸出版ウォトカの大瓶が6本びっしりと収められていました。
或る日の事、
「明日、急にラズノエクスポルト(繊維雑貨公団)と商談をしたい。ホテルの会議室に商品展示用のマネキン人形を、今日中に6体用意してくれ」
と本社からの出張者が言ってきます。
モスクワには、貸してくれるところも売っているところもありません、郊外のソコリニキー公園の中の保税倉庫には、年に一回見本市で使用するマネキンが40体ほど保管されていますが、事前に商工会議所に申請して、借り出しの許可証が必要です。
そのとき、私の部屋で、一杯やっていたガンさんが、
「石井さん、例のウォトカある?」
といいました。
「いつでも6本は、かばんに入っている」
「よし行こう!」
「どこへ?」
「保税倉庫ですよ」
「許可証が間に合わないんだ」
「でも要るんでしょう?」
「まあね。」
私が運転する黒のボルガ(中型セダン)に乗って、公園の保税倉庫に行きます。
いかめしい顔つきの大男が4~5人、大型のシェパードが2~3匹待ち構えています。
「コンニチワ、いつも見本市ではお世話になります。」
「何か御用ですかな」
「本日は預けてあるマネキンを6体ほど借り出したいんだけど・・」
「ああ許可証はあるかね」
「今申請中で明日持ってきます。」
とたんに空気が一変して、難しい雰囲気になります。
突然、ガンさんが
「アッそうだ、忘れていた!」
といいつつ、サムソナイトの蓋を開けます。ローマ字のラベルが眩いばかりの例のウォトカが6本ぎっしり詰まっています。
「皆さん何人?エッ5人かー。1本余るな、そうだここで開けてみんなで飲んでしまおう!」
音もなくに男たちが立ち上がり、まずシェパードを外につなぎます。
テーブルが部屋の真ん中に据えられ、冷蔵庫から、黒パンと塩漬のニシンが取り出されグラスも7つほど用意されます。
7人で1本は、30秒でなくなります。
「やはり、もう少し飲んで、明日マネキンを返しに来るとき、もう6本持ってこよう」
暖かい空気が流れて、ロシア小噺のひとつも出る頃には、
「日が暮れる前にマネキンを6体積んでしまおう」
という前向きな意見が出て、全員で協力してバラしたマネキンを、ボルガに積み込みます。
「後は皆さんで飲んじゃってください。私達は急ぐので・・」
といって歓呼の声に送られて倉庫を後にします。
「ダスビダーニア!(また会いましょう!)」
「許可証を忘れず持ってきてくれよ」
などなど、にぎやかに送られてホテルへ急ぎます。
ルーブルを渡して、後でバレれば買収、ドルキャッシュなら買収と外為法違反に問われますが、飲んでなくなってしまったウォトカを証拠として保全することは至難の業です。
マネキンを前にして驚く本社からの出向者に言います。
「ここは、ウォトカ本位制なのです!」
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