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イスラム社会の中で暮す

インドネシアは数の上では、世界最多のイスラム教徒が住む国ですが、イスラム教はインドネシアの国教ではありません。日本帝国陸軍が3年ほど軍政を敷いた後、第2次世界大戦の敗戦でインドネシアから撤退するとき、オランダからの独立を望むスカルノ・ハッタ両氏に向かって若い日本軍参謀が忠告しました。

「これから起草するインドネシア憲法の中で、イスラム教を国教にしてはいけません。貴方たち政治家よりイスラム聖職者が権威を持って、この国を支配することになります。」

この若い日本人参謀がどれくらい深い洞察力を持っていたかは、後にイランで起こったホメイニ革命を見れば明らかです。スカルノ氏はすぐにその意味を理解しました。憲法の中では、「アッラー」ではなく「トゥーハン(一般的な神)」の文字が使われました。

オランダ統治下では優秀なインドネシア人はオランダ本国のライデン大学などに留学しました。そこでキリスト教に帰依した人も沢山居ます。これら高学歴の人々は建国に際して国家に必要な人たちです。
私の居た頃には新しく内閣が発足して閣僚の宣誓式が行われるときに必ず、「コーラン」に手を置いて宣誓する大臣と「聖書」に手を置いて宣誓する大臣と2回に分けて宣誓式が行われていました。

ジャカルタには、イスラム教のモスク、キリスト教の教会に加えて、なんと天理教の教会まで在りました。
イスラム教の聖地、サウジ・アラビアでは、イスラム教の戒律を守ることを厳しく求められます。
が、ここではイスラム教は国教ではなく、乾燥して過酷な自然環境の中で成立したイスラム教も、高温多湿の風土、のんびりした熱帯の雰囲気の中で、よく言えば「ゆとり」悪く言えば「緩んだ」ものになりがちです。

国民の90%がイスラム教徒でも、あと3%の中国系インドネシア人が暮すジャカルタの下町(コタ)では、堂々と豚肉をふんだんに使う中華料理店がたくさんありました。

つまりイスラム教国に生活する禁欲的な雰囲気はありませんでした。

(豚肉はイスラム教では不浄のもので絶対に食べられることはありませんが、牛肉でも、メッカの方角に頭を向けて イスラム方式で屠殺された所謂「ハラール(清浄な)肉」以外は食べられません。
そのためオーストラリアの屠殺場には、サウジアラビアからハラールミートの監視人が派遣され、合格したものだけがサウジアラビアに輸出されます。)

イスラム教徒の生き方は「コーラン」に全部書いてある。

「コーラン」を読めば、イスラム教徒が何をしなければならないかは全て書いてあります。
まず、「アッラー」に対する絶対の帰依を毎日確認することです。(毎日五回ほど)
そして同じ信徒で困っている人には必ず救いの手を差し伸べ、貧しい人には施しをして、自らは質素な生活をします。
施しはほとんど義務と言ってもいいくらい期待されています。
また、イスラム教では年に1ヶ月だけ断食をしなければなりません。(ラマダンといいます。)
暦が太陽暦ではないので毎年ずれていきます。
断食と言っても日の出から日没までの約12時間です。
その間は自分の唾でも飲んではいけません。
飲食どころか性行為を含むあらゆる快楽は一切禁止です。
その昔、イスラム教を布教するために世界中で戦い続けたイスラム戦士の苦労を共有する為だと聞いたことがあります。

勿論、1ヶ月も断食すれば人によっては死んでしまいますが、日没後は飲食は許されています。
しかしいきなり食事をすれば、胃に大きなストレスが掛かるのでまずミルクティーを飲んで胃袋を落ち着かせます。
次に通常よりやや贅沢な食事を取ります。
ラマダン期間中のほうが食料品の売り上げは、大いに伸びます。
戒律に従ってのそれは苦しい一日が終わり
「さあ、食べるぞ!」
というわけで、結局、「断食太り」という意味不明の事が起きます。
(ラマダンは旅行者、病人、老人、子供については免除されています。)

善行・悪行バランスシート

「コーラン」では、善行を日々行うように勧められています。貧しい人に施しをすること、困った人には親切に手を差し伸べること、ラマダンの掟を厳格に守ること等々、ラマダンの1日は善行の1ポイントです。
善行を重ねるごとにそれは加算されていき記録されます。
敬虔な信徒はポイントを稼ぐために機会があれば貧者に施しをします。
新聞は定期購読しないで、朝出勤時に貧しい町の売り子から買います。
1ポイントゲットです。
悪行もまた記録されます。ラマダンの戒律を守らない、貪欲にお金を稼いで分け与えない、アッラーに対する信仰が口先だけで信じていない等々全てアッラーは見逃すことはありません。
アッラーは24時間眠ることなく見張って居られます。
こうして一生かけて善行ポイントと悪行ポイントは記録され、最後の審判の日に決算となりますが、決算が悪行の債務超過となると大変なことになります。
地獄の業火に焼かれますがそれで死ぬことなく生きながら永遠に焼かれるのです。
一方、極楽行きと判定された人は、極楽に行きます。
年頃の聖処女にかしずかれて心静かに幸福な毎日です。

そこで、善行ポイントを稼ぐために、道に迷った日本人などが来た場合、丁寧に教えてあげます。(たとえ、その日本人が探している国営紡績工場の「サンダン・サトゥー」がどこにあるか知らなくても・・・)

 「サンダン・サトゥー(国営第一紡績)ならこの通りを真直ぐ行って、2つ目の信号を左に曲がれば、右手に見えてくると思う。」

可哀相な日本人は、やがて袋小路に入り込み、長々とバックで引き返すことになりますが、これは意地悪しているのではなく、アッラーの御前で困っている外国人に親切にしたという善行ポイントを稼ぐためにしたことで他意はありません。
何しろアッラーはイスラム教徒の自分は24時間寝ないで監視しておられるのですが、異教徒の日本人は一切見ておられません。
その先で袋小路に入って困ったことは、見ておられない筈なのです。

最近、テロリストとしてマスコミを賑わわせているイスラム原理主義の人たちのイメージが強すぎて、何かイスラム教徒は怖い人というイメージが我々日本人の間で定着しつつありますが、20億人近いイスラム教徒の人たちの大部分は平和主義者で謙虚で慈悲深い人たちなのです。 (少なくともアッラーの御前では・・・・・)

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