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終わった「過去」を変える技術 これから楽しい未来を作るには

ある、深い山の中、
林道も、けもの道も、無く、
何年も、
人が踏み入れていない
場所。

そこに、ある朝、
あるイベントが
起きました。

少し前から、大きな
ツボミを着けていた
一輪の大きなユリの花が、
音もなく咲いたのです。
薄暗い木々の間で、
まるで、白い電灯が
灯ったように、
ぽっと咲いたユリ。
たった1本だけ、
凛とした姿で、
誰にも知られず、
でも、見事に、
ここに咲いたのです。
周りにはまだ、
霧が薄く立ち込めています。

どうですか、
皆さん頭の中に、
その情景が
浮かびましたか。

僕は、
時々、変な事を考えます。
そのユリは確かに
咲いたのか、
誰にも見られず、
誰にも語られず、
山奥で静かに咲いたユリは、
確かにこの世に
存在したのか。
誰も、ユリの存在を
証明出来ません。

実は、この問題は、
僕が小さい頃から、
ずっと
考えていた疑問です。

でも皆さんの頭の中では
確かに咲いているのです。
匂いにまで、思いを
巡らせる人も
いるかもしれません。
私たちの世界は
観測と記憶の世界です。

最近、散歩で、ふと、
寄り道をして、
近所の幼稚園に
行きました。
ここは、
僕が卒園した施設で、
訪れるのは何十年ぶりです。

その園の歴史は長く、
当時の建物こそ、
近くに移転して、すでに、
ありませんが、
立木はそのままあり、
現在でも、当時の遊具の
配置が、よく分かります。
とても、懐かしい思いで、
散策していると、
僕は、ある場所で、
立ち止まります。

当時の記憶をたどると、
「ここに懐かしい
電車ブランコがあって、
夢中になって遊んだな、
僕は、ブランコの
すぐ横の木に登って、
履いていた靴を、
足で遠くまで
飛ばして、笑っていた」

「その時、僕の足を、
仲良しのA君が
強く引っ張ったので、
僕は木から転がり落ちて、
頭を切って出血して
大騒ぎになり、
幸い軽傷だったけど、
M先生が、やさしく頭に
包帯を巻いてくれて、
嬉しかった」

当時の記憶が
とても鮮明に、
フラッシュバックします。
でも。
その木は切られていて、
既にありません。
残念に思って
帰ろうとすると、
なんと、出口付近で、
その木を発見するのです。

僕の記憶とは全く違う
位置に、
その木は立っていました。
その木は特有の形や傷があり、
はっきり特定出来るのです。
僕の頭の中の世界では、
その木は、
「ブランコのすぐ横」に
何十年も「確かに」
存在していたのです。

では、
包帯を巻いて
くれたのは誰?
足を引っ張ったのは本当に
A君なのか、今は、
A君の記憶にはなく、
B君の記憶に
あるかもしれません。

その他にも、僕は、
単なる記憶違いではなく、
過去が変わるという
経験を数多くしています。

たとえば、過去に、
僕の為にしてくれた事を、
ずっと意地悪だと
勘違いしていた事とか、
関係ない人が裏でそっと
僕のフォローを
していた事が、
後で分かったり、
数えればきりがありません。

過去とは、
経験であり、記憶です。
あの日咲いたユリの花は、
誰かの経験や記憶が
無ければ、この世には、
存在しません。

それなら、反対に、
頭の中のつらい過去も、
解釈の力で、
楽しい過去に変える
事も出来るはずです。

人は、
記憶と解釈の存在です。
解釈が変わると
記憶が変わり
過去が変わります。

皆さんも、いっしょに、
「いやな思い出」を、
「楽しい思い出」に
「許せない人」を、
「すでに許した人」に
今、ここで、
解釈を変えて、
過去を変える
ゲームをしましょう。

「事実というものは
 存在しない。
 存在するのは
 解釈だけである」
(哲学者 ニーチェ)

過去が変わると、
さらに、現在の楽しさが
増して、未来が、必ず、
楽しいものになりますよ。

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