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新規事業担当は割が合わないか?

先週の金曜日の夕方、上野公園から九段下まで歩きました。嵐の後の快晴、その黄昏。気づいたことがあります。道すがら覗いた居酒屋やカフェ、レストランで会社員が集まって盛り上がってました。なんだろう?と思いましたがすぐに気づきました。日本の多くの企業が4月が年度始まりで、3月最終週の金曜日は年度末だったんですね。本当にみなさん楽しそうでした。いろいろあったけれども、とりあえず次の章へ行こう、というような前向きな雰囲気にあふれてました。

さて、タイトルの「新規事業担当は割が合わないか」について。そもそも成功確率は極めて低いし、成功させるためには長い時間がかかるし、身を削るような思いもしなければならない。新規事業が立ち上がった当初はお祭りのような高揚感に包まれるが、その後に起こる数限りない難問と失敗と、それによる情け容赦ない周囲の無理解と非協力的な態度に心底絶望してしまう。

そんな経験をした新規事業担当だった方が多数いらっしゃると思います。僕もそうでした。45歳から海外のスタートアップとの協業で新規事業開発を始めて、数ヶ月経った後、多くの映画で描かれるベトナム戦争の悲惨な現場にいるかのような日々を過ごしました。

新規事業担当を13年続けた感想

でも、僕は、どういうわけか失敗を重ねながらも,その後も海外スタートアップとの協業の仕事を続けることができ、現在もそれが任務となり、来年いよいよ定年を迎えます。大成功はしなかったけれども、一定のメリットを会社に提供し続けることができたから新規事業開発の任務をずっと続けさせてくれたのだと思います。僕は、新事業担当は、割に合わない、なんて思ってません。むしろ、かなりお得な職種選択だったと思います。年収や昇進というオーソドックスなサラリーマンの幸福基準からすると、お得ではないかもしれません。でも、来年60歳で定年を迎える僕にとっては、新規事業を続けることで、さまざまなご褒美をいただくことができたと思ってます。

①英語で仕事ができるようになりました。発音やフィラーが課題ですが、初対面の外国人と世間話をしたり、家に招待されて夕食を共にするレベルまでコミュニケーションできるレベルになりました。英語という杖を持てるようになり人生が変わりました。
②13年、国内外で、情熱を持って好きな仕事をしてきたことで、新しい人との出会いを常に提供してくれる泉のようなものを手に入れることができました。こんこんと新鮮な水が湧き出てきます。
③定年後に自分で仕事をする専門性が身につきました。13年も続けると、大した仕事ではなくても、その道のプロになりました。儲かるかどうかはわかりませんが、自分を必要とする人がいる、と思えると、それは定年後、独立するためのお守りになります。
④ファイナンスの知識を習得できました。新規事業担当になる前は、ファイナンシャルリテラシーがほぼゼロでしたが、多くの起業家や投資家と仕事をすることで、ファイナンス発想の大切さを痛感し、学ぶようになりました。
⑤ビジネスが心底面白くなりました。大学でフランス文学を学んでた頃は、社会に出るのが嫌で嫌でしようがなくて、就職するのも実は怖くて仕方がなかったほどです。会社に入っても、自分のやる仕事を、まるで仕事と思わないで対処できる方法がないか考えてばかりいました。でも、現実逃避しながら仕事をしても何も得るものはありません。そういう引きこもり状態からグローバルビジネスの荒波に放り込まれ、気を失いそうな程大変な思いを何回かした後に、ある日突然気づきました。商売の楽しさを。今でもわすれません。その瞬間を。長い時間、海中に潜らされて息ができず苦しんだ後に、海面に出て大きくを息を吸ったような爽快さでした。

新規事業担当でよかった、と思えることはまだまだありますがこれくらいにしておきます。来週から新しい期の方へ、ぜひ新規事業担当者になることをお勧めしたいです。

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