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グローバルビジネスで現場プレイヤーという道もあり

4年ぶりにnoteを再開することにしました。今、55歳です。この4年の間に様々な事がありました。ようやく、専門分野が確立し、お客さんからフィーをいただけるような立場になりました。そして、4年前の頃の気分とは違って、日本と海外の若い人たちの挑戦を自分のスペシャリティーを駆使してサポートしたいと思うようになりました。これからはそんな視点で、定期的にnoteに書いていこうと思ってます。

普通の人が目指すグローバルプレイヤーがある

まず、はじめに伝えたいのは、日本企業で働く会社員がグローバルビジネスをしようと思うと、経営者になるか、スーパーエリートになるしかないように思う人が多いと思いますが、現場プレイヤーとしてグローバルビジネスをするという方法もあるという点です。それは結果的に何らかの専門領域で海外市場でも通じるスキルや知見を体得するという事になりますが、領域はなにもテクノロジーやエンジニアリングといった左脳系の専門領域だだけではないということです。あるいはMBAを取得しないと難しいと思う人も多いと思いますが、そうじゃない方法だって十分あるんだということを伝えたいです。

海外スタートアップとの出会い

僕は、2011年に、自分が勤務する広告会社がフランスのオープンイノベーションプラットフォームを運営するスタートアップと戦略提携する責任者になりました。その会社は世界中の数十万人の消費者クリエイターが登録するオンラインプラットフォームを運営していて、そこでP&GやUnilever,ネスレなど世界のグローバルブランドがコンテストを開催し、広告会社が思いつかないような斬新なアイディアを集めてマーケティング活動に利用してました。消費者が主人公になる時代に変わった、広告会社こそが、消費者と直接つながり、消費者の代理人になるようなポジションを築くべきだと思い、社長に直談判して、提携にこぎ着けました。僕は当時、英語もろくに話せず、留学経験も海外赴任経験もない中、周りの才能ある帰国子女の同僚に助けられながらこの会社との提携業務に夢中になりました。

修羅場の日々

けれども、この仕事は、残念ながら3年続けても会社にとっては全然儲からず、多額の損失を計上するプロジェクトとなってしまい、上司や経営幹部から激しく叱責され、窮地に追い込まれました。それでも僕は、オープンイノベーションの可能性に魅了され続け、まさに退職届を胸にしたためながら、このフランスのスタートアップと引続きビジネスしながら、同時にオープンイノベーション領域でビジネスになることは何でもやるようにして、この領域でビジネスを成立させる道を探してきました。

オープンイノベーション専門職人になった

色々ありましたが、担当役員の温情で、その後も細々と続けさせてもらえた結果、今ではオープンイノベーションの現場にまつわる様々な事に対応する専門家として、また、日本市場に進出する海外スタートアップのサポートをする専門家としてフィーをいただけるようになりました。そして何よりもオープンイノベーションのグローバルネットワークの輪の中に入ることができて、そこから新しいビジネスの機会がやってくるようになったことが一番うれしいです。アメリカから、インドから、シンガポールから、イスラエルから朝、新しいProjectに関するメッセージが入ってると本当にわくわくします。

私はグローバルビジネスの現場で働く商人になりたいと思ってたので、今、幸せです。汗かいて現場でエネルギッシュに働いている華僑のような生き方をしたかった。45歳の時に、勤務先での査定は悪くありませんでしたが、管理職や、ましてや経営幹部になるような才覚が自分にあるように全く思えませんでした。だから、少し早いけれども、違う道を目指す決心しました。

村を出て交叉点に踏み込む意味

コロナ禍の中、日本企業はきっと変わっていきます。サラリーマンはプロフェッショナル化をもとめられると思います。その時、グローバルビジネスを視野にいれたキャリア設計を検討すべきです。海外ビジネスに全く縁のない人でも、小さな村を出てグローバル市場に飛び込みたいという熱意があればデジタルの時代、いくらでもやりようがあります。がんばってください。




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