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ラダック・カシミール旅③ 南アジア随一の高原リゾート

興味深いハッシュタグを見つけたので、去年のラダック・カシミール旅から、特に印象に残った出来事をピックアップして再編集しました。
1日ごとの細かい日記はこちら↓




ようやく空が白み始めたのは、午前4時を回った頃だった。夜明けの気配と共に、乗客が身動きする気配が大きくなる。誰かがバスのドアを開けたのに続いて、私も外に出た。
午後2時にレーを出発したスリナガル行きのバスは、ひたすら荒野を走り続け、ちょうど日付が変わる頃に州境の駐車場で停止した。そして、そのまま仮眠タイムとなった。リクライニングのない満席のバスで熟睡できるはずもなく、うつらうつらとしているうちに朝を迎えたというわけだった。

バスの外に出ると、夜明けの冷たく澄んだ空気が身を包む。雪を頂いた連峰の真上に、下弦の月がぽっかりと浮かんでいる。一番前の席に座っていた男性客が、運転席で毛布にくるまっていたドライバーを起こした。午前5時、ドライバーは眠そうに目をこすりながら、バスを発進させた。
激しく車体を揺らしながら、バスは砂利道を駆け抜ける。私は相変わらず、夢と現実の間を彷徨っていた。

ふと顔を上げ、車窓の外を見て驚いた。あまりにも、あまりにも緑が濃いのだ。さっきまで続いていたラダックの荒涼とした山岳地帯が嘘のように、濃く瑞々しい森が広がっている。豊かな水を湛えたインダス川が、細いながらも激流となって下っていく。

いつの間にこんな風景になったのか。あまりにも唐突に、窓外の景色が大変貌を遂げていたのだ。私をここまで導いてくれたローズが、斜め前の座席から振り返って、「ようこそ、私の故郷カシミールへ」と優しく微笑んだ。

バスが停まって小休止に入ったタイミングで、車外に出た。ひんやりと冷たい空気が頬を撫でる。朝霧が山々を取り囲み、まさに深山幽谷の趣だ。深く吸い込んだ空気が、ラダックでは体感しなかった湿り気を帯びているのを感じた。
霧雨の降る鬱々とするような天気だったが、砂埃が舞うラダックから来た身としては、恵みの雨であるように感じられた。

変化したのは自然だけではない。
バスの中で、アザーンの優美な詠唱をかすかに聞いた。集落にはモスクやアラビア文字が目立ち始め、イスラム文化圏に突入したのを実感する。人々の顔立ちも、色白で彫りの深い西アジア系のものになっている。男性はゆったりとした白いガウンのようなものに身を包み、女性はヒジャブで顔を覆う。
自然風景は、どこか日本を彷彿とさせる森林地帯でありながら、人々の顔立ちや文化は完全に異国のものだった。

ジャンムー&カシミール連邦直轄領の夏の州都であるスリナガルは、標高約1,600mに位置する高原都市。ラダックほどではないが、夏でも冷涼な気候である。スリナガルの市内には湖が点在しており、「東方のヴェニス」「地上の楽園」とも称される風光明媚な街だ。

街を散策すると、いろいろなところでライフルを携えた軍人の姿を見かけた。その度に、ここが世界で最も繊細な地域の一つであることを思い知る。

カシミール地方は印パにおける国境紛争の最前線で、1947年の分離独立以降、何度も戦火を交えている。スリナガルは、ジャンムー&カシミール連邦直轄領の夏の州都であると同時に、その豊かな自然から国内でも有数の観光地になっている。そのため、軍による市内の警備は特に厳重で、定番の観光地を巡る分には治安の心配はないとされている。
とはいえ、ここ数年の間にテロや武力衝突の舞台になっているのも事実だ。襲撃の対象になるのは警察や軍の関係施設で、民間人の犠牲者は出ていないらしいが、だからといって安心できるわけではない。


スリナガルの郊外には、グルマルクという高原リゾートがある。南アジアを代表するスキー場でもあり、地元出身のローズから熱烈に勧められていた観光地だった。彼女に連絡を取って行き方を教えてもらうと、「私は今グルマルクの近くにいるから、そこで会いましょう」と声をかけてもらった。

乗り合いワゴンやバスを乗り継いで、グルマルクの麓まで行く。そして、タクシー乗り場でローズと再会し、彼女の友達だという長身の青年が運転する自動車で山の上まで連れて行ってもらう。頂上まで向かう途中、検問がいくつかあったのだが、青年が「ローカルだ!」と叫んで全て強行突破して行った。本来なら、外国人はパスポートチェックが必要らしい。
20分ほど坂道を登って、ようやく目的地に到着。車から出て、私は深呼吸した。高原の澄んだ空気が肺に充満する。

寒冷な気候、広大な平原、豊かな自然。まるで北海道みたいな場所だ。
常夏の南インドでビーチの近くに住んでいる私は、インドの広さを改めて実感したのだった。

雨こそ降らなかったものの、曇りがちの一日だった。帰り際、車に乗り込む前にグルマルクを振り返ると、息を呑むような絶景が垣間見えた。雲の切間から、さらに高い山脈が姿を現したのである。まるで雲の上に浮いているかのように、真っ白い頂が空に向かって聳え立っていた。

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