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美術鑑賞とは「不在の霊性」を感じ取れたかどうか、その一点に尽きる/BACK TO 1972・50年前の現代美術へ
2022年12月4日・日曜日。
ふと思い立ち、西宮市大谷記念美術館へ向かった。
イベントの仕事で神戸・六甲を訪れ、普通電車から急行に乗り換えるため、阪急「夙川」という駅に降り立ったとき、
今日行っておかなければ、と感じて、駅を出て美術館へ歩いた。
そして特別展「BACK TO 1972・50年前の現代美術へ」を見た。
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この美術館が開館した1972年という年は、
その後今に至る半世紀の日本の運命と、
関西現代アート界の大きなターニングポイントであったことがわかる。
日本の首相は、佐藤栄作の長期政権が終わり、田中角栄が総理となった。
沖縄返還があり、日中国交正常化があり、高度経済成長期を駆け上ろうとする1972年。
振り返ると1972年という年は、本当の意味で、
戦後永久占領下の現在の日本から独立への道が歩めるかどうか、
その最後のチャンスの一年だったと言える。
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西宮市大谷記念美術館(※この企画展は終了しています)
1972年は、「具体芸術協会」を牽引した画家・吉原治良が亡くなった年で、
それを機に「具体」グループは解散をする。
その当時交わされた吉原らメンバーの手紙やメモ、草案、
「具体」解散の展覧会の記録が「BACK TO 1972」には展示されており、とても惹かれた。(※この企画展は終了しています)
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極めて個人的なことではあるが、私は2021年、
25年間暮らした東京から、生まれ故郷の関西に拠点を移した。
それまで未開拓であった関西の美術館の、さまざまな内覧会に顔を出していた中で、西宮市大谷記念美術館には2022年の4月に初めて訪れた。
その時は「奇界/世界」展という写真家・佐藤健寿の企画展で、
日程的な問題か、ジャンルやメディアの都合なのか、
プレス報道の内覧会には、私以外に1、2名しか参加していなかった。
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企画展の担当学芸員とひとしきり話した後、
館長の越智裕二郎さんと会って話したことを覚えている。
記憶では80年代(私が関西で過ごしていた頃)のこと、
関西の現代前衛美術のこと、今後の企画展のことなど話した。
館長の越智さんとは、初めて会ったが、これからも関西にいるので、
またいろいろお話をうかがうことになるだろうと、ぼんやりと思った。
しかし越智館長とはこの時会って話したのが、最期となった。
越智さんは、ふと私が西宮市美へ行こうと思った
この日の、ちょうど半月前に急逝されていた。
そのニュースは知っていた。
もちろんあの時、いっときお話をさせてもらっただけの縁ではあるが、
今後、何度も話すことになるだろうと思っていただけに、
夙川・西宮の美術館には
何か私にしか見えない旗が立てられているような、
そんな感じがしていた。
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1972年、いわゆる団塊の世代1949年生まれの越智さんは、当時23歳。
館長として最後の展覧会になった
「BACK TO 1972・50年前の現代美術へ」には、
個人的な思い入れも深かったであろうし、
明確に捉えられていた視座もお持ちであっただろう。
そう感じながら、企画展の作品群とこの美術館の庭に設置された
美術家・元永定正の彫像や、
関西・現代アートのさまざまな残像のような気配を感じながら
長い時間を過ごした。
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この日、館に在庫として残っていた
過去の展覧会のカタログを私は2冊購入した。
一冊は、2002年に開催された「元永定正展」。
圧倒的に文字情報が多い図録だが、作家の自筆文献再録と
(2002年までの)カタログレゾネに匹敵する作品目録が収録されている。
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それからもう一つは「『位相ー大地』の考古学」。
1996年当時、姫路市美の岸野裕人学芸員と、
当時、西宮の学芸課長だった篠 雅廣さんによって企画された。
関根伸夫を中心とした「位相ー大地」制作ドキュメント展の図録。
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「位相ー大地」最初の製作は1968年。
元永定正は1970年に具体を脱退。
1972年に吉原治良が急逝し、具体は解散。
すべて関西で展開された事象、言うなれば事件だった。
1972年は一体どんな光景として、23歳の越智青年は
何を見つめ、感じていたのか・・・。
この日、ここで過ごした数時間、私はその一端を感じることが出来た。
その直観を感じ取ることができるかどうか、そこが大事な点だと、私は思った。とくにアート、美術・芸術、美術鑑賞において・・・。
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何を伝えたいかというと、ここが大切な点である。
ここまで書いた文章中に出てきたアーティストで、まだ40代の現役の写真家・佐藤健寿さんを除いて、もうこの世に生きていない。
吉原治良、元永定正、関根伸夫、(庭園に彫刻作品ある岡本太郎も)、どの美術家も鬼籍に入り、あちら側の世界に渡ってしまっている。
展覧会や美術館・博物館に訪れるとき、同じように展示物や作品創作に関った作家は大半が過去のもので、現時点で作者はこの世にいないというケースが多い。
もちろん、現役アーティストの場合は違うといえるが、そもそも展示空間に在廊していない限り、別の場所=向こう側にいるということに変わりない。
つまり美術鑑賞とは限りなく「不在という現象」を伴うこととなる。
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美術鑑賞は、その不在のメッセージ、あちら側からの信号というべきか、
生と死の境界を超えた、その「霊性」、誤解を恐れずに言えば「霊的感性」を受け取ることができているか、という一点に尽きる。
それは怖がったり、恐れたりする感情ではない。私は、数ヶ月前に一度お会いしてお話しした美術館の館長が、旅立ったその半月後に、その美術館に訪れて、半世紀前の過去の作品群を鑑賞したことで、その真理を衝撃的に感じ取ることができた。
この現世界で生き、さまざまな活動や業績を残し、その残されたモノや記号から、いかにそのメッセージや信号の一端を感じ取ることができるか。
美術・芸術の本質を見るとき、その直観が最も大事で、作った作者がいつの時代に生きていようが(現在もすぐそこにいてようが)、その不在の霊性をいかに感じ取れるかが、その作品鑑賞の最大の鍵なのである。
私はその一端を感じることが出来た。その直観を感じ取れるかどうか、それが美術館へ行くということなのだと、私はこの時、あらためて確信した。
〜2022年11月に旅立たれた西宮市大谷記念美術館・越智裕二郎館長に捧ぐ〜
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