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【極私的写真論】光について (1)

私はあえて生の素材を用いて撮影を行った。良い映像は人工の光なしには決して得られないという、神話に挑戦してみたかったのだ。

ネストール・アルメンドロス「キャメラを持った男」

カメラ機材に対する興味を失ってから久しい。ここ数年新たな機材を導入していない。が、人物撮影を再開したことにより「機材を見直す必要があるのではないか」と考えるようになった。

左が現像前、右が現像後。このように被写体が影に隠れてしまう現象自体は想定済で、だからこそRawで撮影している。暗部を持ち上げても画質が破綻しないように。しかしいくら Raw でも限界はある。どれだけパラメーターをいじくり倒しても画質が破綻しないわけではない。正直、上のサンプルはいずれも現像後に画質が破綻していると感じている。

もともと16mmで撮られた粗い画質の映画(エリック・ロメール作品など)の映像が好きな僕としては「多少の画質劣化はご愛嬌」くらいに考えていた。とはいえデジタル編集が産み落とす画質の汚さと、16mmフィルムの画質の粗さは全くニュアンスが異なる。

このジレンマを解消するために必要なものはなんだろう。高感度耐性の高いカメラ?大口径レンズ?あるいはストロボやソフトボックス?いずれにせよ問題となっているのは「光と影の処理」だ。

そうして僕は、改めてアドバイスを求めるような気持ちで、ネストール・アルメンドロスの「キャメラを持った男」を読み始めた。ネストール・アルメンドロスとは、先述した映画監督エリック・ロメールの多くの作品で撮影を担当している、歴史に名を残す名カメラマンだ。

私は、重要なことは、そこに十分な光があるということであり、自然光はそれだけで十分なばかりか、はるかに美しいものだということを理解していた。私は時に、F1.4のレンズを開放絞りにして撮影した。(中略)私はライトを一切補わなかった。車窓は露出オーバーになったが、そんなことは当時なされていないことだった。私は外景が「とんで」しまうようにしたかったのだ。もっとも、それは私の発明によるものではない。常に映画キャメラマンの先を行っている写真家たちは、既にそうした手法を用いていたからだ。

ネストール・アルメンドロス「キャメラを持った男」

その考え方は基本的に僕の姿勢と一致している。というよりも僕が映画から影響を受けていると考えられる一面だ。しかしとはいえ、僕が抱えている悩みに対する直接の回答にはならない。

しかし、この書には更に興味深い内容が続いている。まずはこの本を読み進めてみよう。今の僕に必要なもの、足りないもの、それを明確にしたい。


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