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映画的写真とは (3)

幼少の頃に見た映画、たとえばジャッキー・チェンの映画とか流行りのハリウッド映画を通じて、僕は「映画の映像の質感」に触れ、そして知らず知らずのうちに魅了されていた。

ちなみに大映テレビのドラマは、今から思えばフィルム撮影だったせいか、内容はともかくとして映像が「一味違う」という印象は確かにあった。

その後映写技師となり、フィルムこそが美しさの要因であることを知り、そして自らフィルムの一眼レフカメラを手にした。

そして今、僕はデジタルカメラを手にし、ポートレート撮影を通じてどうにかして「映画的な写真」を撮ることができないか、試行錯誤を重ねている。

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こうやって何度かに分けて自分の過去を振り返ったからこそ気付いたことなのだけど、これまでの僕の人生は一貫して映画の映像に魅了され続けていたのだ。僕の人生に何か一本柱があるとすれば、それは「映画」なのだということに気付いた。

幼い頃から中年に至るまで一貫した柱がある。それは僕にとっては嬉しい発見だった。誰に需要があるのか分からない投稿だけど、僕は誰のためにも記事を書くつもりはない。僕は僕のためだけに記事を書いている。

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ポートレート撮影を始めた当初は「人物を撮る」ということの楽しさだけがあった。でもそれだけでは足りなくなった。僕はモデルの宣材写真が撮りたいわけではない。モデルの可愛さや美しさを強調することが目的ではない。極端な話、モデルが変な顔をしていたとしても、写真そのものが映画的であると感じられたなら、少なくとも僕自身にとってはそれは良い写真なのだ。

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映画的、ということを追求するために僕は写真の縦横比にもこだわった。それは映写技師という仕事をしたからこそ知り得た知識でもある。

僕はこれまでの人生で培ってきた感性と知識の両方を総動員して、写真という表現に向き合っている。

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そうやって打ち込めるものがあるというだけで、僕の人生も満更捨てたもんじゃないな、という気がするのだ。

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「映画的写真」の模索はこれからも続く。

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