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正直者は馬鹿ではない

ひとつ前の投稿で僕は「良心」について触れた。良心とは自分で自分を監視する機能であると。

それはつまりこういうことでもある。

良心に従っても誰も褒めてはくれないし、良心に背いても誰かから責められることはない。

だから他者からの評価に依存して生きている人間にとって、良心なんてものには何の価値もない。他者から認められなければ生きていけない脆弱さは、良心を育むことがない。

とはいえ良心の無さは見透かされる。見抜けない人も多いけど、見透かしている人も多い。

仕事のためとはいえ、お客さん相手に平気で嘘をつく。嘘をつくことに抵抗がない。「嘘も方便」とは言うものの、それも根っこに愛情があればこそ。保身の嘘に方便もくそもない。

正直者が馬鹿を見る。それは事実かもしれない。そういう世界なのかもしれない。

仮にそれが真実であったとしても、そこには「正直者であること」と「馬鹿を見ないこと」のどちらを選ぶかという二択があるだけで、どちらが正解かは人それぞれの生き方に依存する。

「馬鹿を見ない」選択を馬鹿みたいに選び続ける人生も悪くないのかもしれないけど、僕は「正直者であること」を優先し続けたい。

正直者は馬鹿を見ることはあっても、自分自身が馬鹿になることはないと思うから。

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