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年末詣と今年の振り返り

昨日は氏神様へ。
今年は伊勢神宮に初めてお詣りして神宮大麻をお迎えしていた。氏神様で無事に新しいものをいただくことができた。

今日は(崇敬神社として)明治神宮へ年末詣をした。
今年は例年よりも時間があるので、丁寧に1年を締めくくりたいと思っているが、大掃除を一通り行うのは疲労感を目安にしてできないところは諦めた。
キッチンも使えば汚れるので…最後のシンク磨きをしてから神宮へ出発。

年末の神社⛩️は年始よりも落ち着いていていい雰囲気。
明治神宮では雨あがりの?wetな空気に日の光が反射して、神々しい光の参道✨✨となっていた✨

いつも、北参道から入ります
光の参道
海外からの参拝者がたくさん

色々あった今年。
とにかく無事に年末を迎えられたことに、感謝をお伝えしました🌿

光が降り注ぐ参道をもう一度振り返る
今後一年のお守りはこちらに。軽いしザックにもつけられそう。

今年は年始早々から、内面そしてキャリアの面でもちゃぶ台返しのような展開に。
休職、そして退職。
もちろん更年期の不調もあったものの、人生後半の生き方を考えるタイミングとして必然だったなと思う。

自分が何をやりたいか以前に、親が喜ぶこと。教科書的には。権威者の意見は。上司の意向は。それを先に考える癖がついていた。
それは自信のなさの裏返しであることを、自分のどこかではわかっていた。

以前は伸び伸び仕事ができていたこともあったのに、休職前は違った。
自分の意向なんて理解してもらえない。
そんな思い込みが強くなり、どんどん“自分で決められない人“になっていった。その結果、できない人・役に立たない人という評価を受けることになり、ますます状況が悪化していった。

それは、子供の頃から抱いていた気持ちに酷似していた。
自分が自由にしていると、親を困らせる。
自分がいい子にしていることで、母親の慰めになる。
バラバラな家族を繋ぎ止めているわたし。
やりたいことをやると母親を怒らせる。自分の考えをわかってもらえない。
そして、役に立たないと居場所がない。
常に不安で、ビクビクしている。

どうせわたしのことなんて、わかってくれない。
それを職場で強く感じた時に、同時に感じたこと。

そんな気持ち、実は娘にも感じさせていたかもしれない。
娘は私とは違い、親の言うなりではなく自分で決めたいタイプなので、岐路に立った時もできるだけ自分で決められるように子育てをしてきたつもりだった。でも、“自分の気持ち“だけは、なかなか私に話してくれず、ただぶすっと黙り込んでしまうことがほとんどだった。
思春期なんてそんなもの、かもしれないが、この“ぶすっとした娘“の気持ちが私に入り込んだ気がした。

どうせ話したって聴いてくれない。言っても無駄。
それはおそらく、母が自分の母親に対して感じていた悲しみと怒りの感情だったのだと思う。
母も、自分を認められず、自己肯定感が低く、模範的であることで自分を守ってきた人だったのだ。

自己肯定感の低さが母娘で引き継がれているとしたら…
ここで向き合って、その連鎖を断ち切りたい。そう思った。

休職するのもありだなと思ったのは、体調の回復が必要であることと同時に、改めて自己理解と自己受容の取り組みをしたかったから。
そもそも、自分が何をやりたいのかずっとわからないまま、とにかく専門職としてのあるべき姿を追ってきたようなものだから、ただ体調が戻ったというだけでそこに戻ることは危険だと思った。

そこでいろんな学びや自己開示の場に参加して、新たな出会いもあり…少しずつ自分のポンコツなところも含めて受容しつつあるような気がする。

そして、小さい頃に背伸びしすぎてしまったためか、幼児の私が置いてきぼりになったまま。その頃感じるはずだったワクワクする気持ちや生きる喜びを呼び覚ましたい。だから自分が少しでもやりたいことを自分に体験させてあげる。
山歩きや森のリトリートもその一つ。

そんな私の行動を見て、森で出会った人が“素直な好奇心と、飛び込む勇気“と表現してくれた😊

本当に、よく頑張った!
死ぬ前にもきっと、あの一年は間違いなくターニングポイントだった、と言えると思う。

半ば呆れながらも仕事を下さった方や、自己開示に寄り添ってくださった方をはじめ、この状況で関わってくださった方全てに感謝します。
新しい年も、自己受容や自己理解の取り組みや、生活を整えて自分を大切にすることを続けながら、改めて自己実現の方向を模索したいと思う。