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YMO伝説のLA公演を成功に導いたプロデューサー川添象郎と43年後の妄想実況が繋がった


1973年生まれの僕にとってYMOは「お兄さん世代の音楽」だが、アルバムは全て買い揃えるほど愛好している。特に彼らにとって最初の海外公演、1979年8月2日のロサンゼルス・グリークシアターでのライブ映像は20代の頃から何度観たかわからない。この夜、チューブスの前座としてステージに上がった細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人は、コンピューターを使った生演奏で聴衆を沸かせ、その様子が当時、NHKのニュースを通じて日本にも伝わり、YMOの人気に火が付いたというのが定説である。

アウェイの地で高い演奏力を見せつけたYMOのメンバーはもちろん凄いが、キーパーソンは、このときメンバーに同行し、バンドを売るための戦略を考えた川添象郎というプロデューサーである。

川添さんは、アルファレコード社長の村井邦彦とともにユーミンやYMOをプロデュース。英語も堪能で、自身もフラメンコギターを演奏する音楽家でもある。父はイタリアンレストラン「キャンティ」の創業者、祖父は日本初の映画会社「日活」の創業者、さらに曾祖父は明治維新で活躍した「土佐藩」の後藤象二郎という、もう家系からして普通じゃない。そんな凄い人が今月、僕のラジオ番組に出演してくれたのだ。川添さんは福島県で暮らしているためリモートトークであったものの、ここぞとばかりにグリークシアターのことを質問した(2か月間は以下のポッドキャストで聴取可能)。

会話は時間に収まりきらず、さらに延長戦へ。

「向こう(アメリカ)のロックコンサートでは前座の場合は音を小さくするんですよ。それやられたら困っちゃいますから、舞台監督に賄賂を握らせて『お前、下手なことするとショービジネスに出入りできなくなるぞ!』って脅してね」などと、生々しい舞台裏の話を聞くと、伝説でしか知らなかったライブのイメージがさらに頭の中で立体的になる。アメリカ人相手にも臆することがない、こういう人がいたから伝説が生まれたのだ!

と、ここまで僕が興奮するのは、今年6月に実況芸イベントでこの伝説のライブを妄想で実況したことも関係する。それはOKAMOTO'Sのベーシスト、ハマ・オカモトさんと一緒に開催した「実況芸SESSION 13」の一幕である。

1979年8月2日、ロサンゼルスのグリークシアターにタイムスリップすると、開演間近になっても細野さんが現れない。そこで急遽、ベーシストのオーディションが開かれる。オーディションを受けに来たのは、現地に住む日本人のハマ・オカモト。審査員は坂本龍一と高橋幸宏で、サポートメンバーの渡辺香津美や矢野顕子も覗きに来る中、ハマ・オカモトは合格する。さあ、いよいよステージに向かおうとするところで間一髪、細野さん本人が登場…という僕の妄想実況に、ハマさんがベースを伴奏してくれる。すべてアドリブだ。

通常、ベースのみのソロプレイはやらないにもかかわらず、僕が企画した実況芸に付き合ってくれたハマさんには心から感謝である。グリークシアターの妄想実況もたまたま、トークコーナーの中で細野さんの名前が出たので閃いたもので、「おっ、グリークシアター!」と咄嗟に反応して「TONG POO」のベースラインを弾いてくれるハマさんは実に頼もしかった。このネタ、イベントの最後に披露した「ボーナストラック」みたいなもので、イベント全体のセットリストは以下の通りである。

実況芸SESSION 13 ハマ・オカモトと清野茂樹
①オープニングトーク
②ベース弦の張り替えを実況中継 /清野
③ベースを実況&解説 /ハマ&清野
④90'S TOKYO BOYS ベースライン /ハマ
⑤恋 ベースライン /ハマ
⑤YMOの楽屋から実況中継 /ハマ&清野
⑥エンディングトーク

少し説明すると、②はめったに弦の交換をしないというハマさんに初めて人前で弦を張り替えてもらい、その様子を実況する。③はハマさんが所有するベースを5本ステージに並べて、それぞれの楽器の特徴を解説してもらう。④はOKAMOTO'Sの楽曲「90'S TOKYO BOYS」のマルチトラック音源を用意し、ベースを抜いたトラックと抜いていないトラックを聞き比べてもらう。さらにハマさんが参加している星野源さんのヒット曲のベースラインを弾いてもらうというオマケにお客さんは大喜び。最後の⑤は先に述べたセッションという、実況とベースの実況コラボだ。

どれも即興性が強くて二度とできない企画ばかりだが、目撃したのはわずかに80人弱という、こっちも「伝説のライブ」である。この文章を読んで初めて知ったという人には、YouTubeに公開しているダイジェスト映像を視聴していただきたい。ハマさん、この日は実況とのコラボに合わせて私物のヘッドセットマイクを持ち込んでいるのも素敵過ぎる。

2時間に及ぶライブを10分にまとまめてくれたのは岩淵弘樹さん、撮影はカンパニー松尾さんのチーム。イベントの様子が手に取るようにわかるのは映像職人たちの力が大きい。

さらに、このイベントにはもうひとり、職人が参加している。イラストレーターのたなかみさきさんが、会場で販売した記念Tシャツ用にイラストを描き下ろしてくれたのだ。実況用のヘッドセットマイクをつけてベースを弾く女性が実にかわいい。

「ベースって縁の下の力持ちってかんじで、バンドの中では絶対ベースの人を好きになっていました」というたなかさんの言葉に僕も賛成だ。当日は完売したこのTシャツ、わずかに増産したのでオンラインで購入可能である。

さて、いろいろ話が逸れてしまったが、実況芸イベントのわずか3か月後に川添さんにラジオに出てもらうという偶然には驚きである。もしも順番が逆だったら、音響係に賄賂を手渡すシーンも妄想実況に採り入れただろう。「おっと、川添象郎、舞台監督に現金100ドル札を十枚を握らせたぞ!賄賂を渡して音を大きく出すよう指示しております!これぞ逆ロッキード事件!」など、事実が妄想超えた面白さがある。

それにしても、実況芸のステージを川添さんがご覧になったら、何と言ってくれるだろうか。率直な言い方をする敏腕プロデューサーだから、答えははっきりしてるはずだ。とりあえず、ライブでは音を大きく出すことだけは肝に銘じておきます。

※一部敬称略です






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