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「憎しみ」という不幸の種。

全ての行動、言動、思考、感情、態度は、「暗示」として自分自身に影響します。

たとえ些細な思考や行いだろうが、それが大きな暗示として自分自身の人生を左右する時があるのです。

どんなにがんばっても、どんなに誠意を尽くし努力していて生きていても、これだけは必ず人を不幸にする危険な暗示があります。

それは

「誰かを憎む。」です。

憎しみをずっと持っていることは、不幸行き列車の切符を持っていると同じです。

憎しみを持っている人の特徴は、自分が満たされていないがために他人について批判したり、自分の周りのあらゆることに愚痴ってばかりの人が多いです。

僕も昔、不満や愚痴だらけの日々がありました。 いろいろあって、憎い人もいました。
だから、愚痴を言う人の気持ちはわかりますし、人を憎む気持ちもわかります。

誰かを憎み、他人を批判していると、自分は正しくて相手が間違いだって、そう自分を正当化することもできます。

さらに人は他人への批判や悪口や愚痴を誰かと共有しているとその瞬間は気持ちよくもなります。

しかし憎しみをもって他人のことを批判してしまう人を例えるなら、インスタントラーメンを毎日食べ続けるのと同じようなものだと思います。

インスタントラーメンは美味しいです。
だけど栄養は偏ります。
健康には良くありません。
毎日インスタントラーメンを食べすぎると、いつか、身体を壊してしまう可能性があります。

同じように、他人を批判することは気持ちいいです。
だけど、心の栄養は偏ります。
心の健康にはよくありません。
憎しみに取り憑かれてしまうと、いつか精神を壊してしまう可能性があります。

なぜか他人に対して不平不満を持っていたりする人は不幸な出来事に遭うことが多くなります。

憎しみを持っていると、心の不幸の種が育ち、その種は成長して不運な出来事を引き寄せます。

そんな時、「何で私だけいつもこうなの?」と自分の不幸に苛立ってしまう。

しかしそれは、真冬の北国で素っ裸で氷水の中泳いでいる人がいて、その中で「何で私だけこんなに寒いの?」と言っているのと同じようなことなのです。

まずは氷水から出て、暖かい防寒着を着て、寒さから身を守れるような場所に移動して、暖炉で温まるようにすることを考える。

つまり、愚痴を減らし、人を憎む気持ちはとりあえず置いといて、他人のことよりもまずは自分自身と向き合うことから始めなければいけません。

そして大切なことがあります。

それは、たとえ自分の周りにいつもトゲのある言葉を吐いていたり、愚痴や不満を放ってくる人がいてもその人に反応してはいけません。

その人につっかかっても負けです。
絶対にぶつかったらだめです。

たとえ攻撃をしかけられても、太極拳のようにヒラリとかわし、うまくさばきましょう。

そんな人に対抗するとなぜいけないのか?

主導権が相手になってしまうからです。

他人の愚痴や批判をしている人に反応するということは、自分はその人によって感情を動かされている状態になってしまいます。

誰かに自分の感情を動かされるということは、自分の感情の軸が相手のものになってしまいます。

相手の言葉や態度に感情が振り回されているということは、いつのまにか心の主導権が自分ではなく、相手にあるという自分自身への暗示になっているというわけです。

そして主導権を奪われた人はその相手から不幸の種をもらってしまいます。

だから、自分の心は自分でハンドルを握らないといけません。
自分の身は自分で守らなくちゃいけません。

そうやって、自分の行動や感情からくる暗示の積み重ねが人の人生を左右しています。

たかが些細なことだとなめてかかっていると、いつしか小さな不幸の種は成長してしまいます。

その種が成長した先に、幸に育つのか、不幸に育つのかは、自らの感情や思考や行動や態度をどう見直して修正していくかという姿勢次第になるわけです。

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