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争ってばかりの宗教って一体なんなの?

妹が結婚するとき、旦那のオカンと妹のオカン(というか私のオカン)が揉めた。

お互いが信じている宗教が原因だ。

旦那側は浄土真宗。こっちは創価学会。

事の発端は、嫁は嫁ぎ先の宗教に入らないといけないのに、オカンが妹に創価学会のご本尊を持たせようとしたこと。

これで敬虔なご門徒さん(浄土真宗の人をそう呼ぶ)である旦那のオカンはブチ切れ。「創価学会を辞めさせないと結婚は許さない」ときた。もう籍を入れて、一緒に暮らしているというのに。

これはウチのオカンが悪い。創価学会の評判の悪さも一因だろう。旦那のオカンの気持ちはわかる。

でも、結婚する当の本人たちは宗教など気にしていない。妹は創価学会員だが、創価学会が大嫌いなのだ。だから辞めたい。私もオカンに「創価を辞めさせろ」とだいぶ強く言った。それでもオカンは許さない。

結局、夫婦そろって旦那のオカンに何回も頼み「学会活動は一切しないこと」という条件のもと、許してくれることになった。

★★★

宗教は守るべき大切な文化だと思う。

心のよりどころ。それが宗教だから。

でも、こんな事態になると宗教という存在が邪魔になってくる。私はこのときほど、宗教というものを憎んだことはない。

「幸せのため」に存在する宗教のハズなのだが、これでは本末転倒。宗教のせいで不幸なふたりが誕生するところであった。

私は常日頃から「宗教はやり過ぎると良くない」と言っている。(誰に?)

ほどほどなら誰にも迷惑をかけることはないし、本人にとっても有益だと思う。

でも、やり過ぎると視野が極端に狭くなる。他の宗教を認められなくなる。だから争いが起こる。

今回はこっちのオカンが原因だが、仏教も創価学会もある程度知っている私から言わせてみれば、あっちのオカンも悪い。創価ってだけで、どれだけ口汚く罵ってきて、妹がどれだけ傷ついたか。創価は皆クズで門徒は皆偉いんかい。

お互いを知ろうとしない、「向こうの宗教が悪い」と信じてしまった結果だ。相手の宗教をちょっとでも理解できれば、こんな大きな問題にはならなかっただろう。

「創価学会がすべて」のウチのオカンからすれば妹を学会から脱会させるのは、「ありえない」ことだ。これは創価学会の家で育った人ならわかるかと思う。

しかし、ウチのオカンは妹に「浄土真宗の行事に参加するな」とか言ってるワケではなく、ただ単に「創価学会を辞めさせたくない」というだけだ。金がむしりとられるワケでもない。

旦那のオカンも確かにこれは理不尽なことではあるが、早めに理解を示してほしかった。創価学会員すべてが評判通りではない、ということも。私や妹のように「まったく信じていないが、親が入ってるから一応入ってるだけ」という人も沢山いるのだ。

じゃないと仕方なく入っている創価学会員は他宗の人と結婚できなくなる。

もちろんこっちのオカンも浄土真宗に理解を示し、ルールは守るべきだった。(創価学会は他の宗教を認めない。これがダメなところ)

お互いの宗教をしっかり理解して、どちらかがすんなり譲歩するか、話合いで落としどころを早々に見つけていたら、妹と旦那もあそこまで苦しみ、悩むことはなかったのではないだろうか。

仏壇屋の店長いわく、「そんな話は創価学会に限らず山ほど存在する」とのこと。今も日本のどこかで宗教が原因で結婚できない人がいる。

宗教問題が勃発するのは結婚時に限らない。

今、行われている戦争も「宗教戦争」ばっかりだし、仏教も昔から偉そうな顔してやりたい放題してきたし、創価学会などの新興宗教も信者を増やすため、沢山の人を困らせた。

他の宗教を理解しようとせず、認めようとせず、争いのタネになるのであれば、ない方がマシだ。

無神論者であり「宗教なんてひとつのビジネス」くらいにしか思っていない私は宗教関連の争いがまったく理解できない。

宗教がなけりゃ、世界はもっと平和なのではないか? とか最近思い始めたのだが、どうなんでしょう。

異論はあると思いますが、私の宗教に対する意見はこんな感じです。

#エッセイ #宗教 #結婚 #創価学会

働きたくないんです。