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「部落出身じゃねえなら、あっち行ってろ」

私が通っていた小学校はかなり左寄りの反日教育をおこなっていた。

天皇陛下をなによりの悪とし、君が代も歌わせない。音楽の教科書の君が代の歌詞には黒塗りがしてあった。

「人間皆平等」の精神で、特に力を入れていたのが、「部落差別問題」だった。

部落差別とは住んでいる地域で差別することである。

その小学校の生徒の約六割が、部落出身だった。

しかし、私たち生徒はそんな差別が存在することも知らず、先生に教えられて初めて知った。

知ったときの感想は「住んでる場所で差別? はあ?」みたいな感じで、理解できなかった。あまりに信じられないアホみたいな概念だからである。

私は部落出身ではなかったけど、部落であろうが、なかろうがそんなこと気にせず、皆でギャーギャー言って遊び回っていた。他の子もそんな感じだった。

生徒たちの間では「部落差別」なんて確実に存在していなかった。これはどの学年の生徒にも言えることだった。

★★★

その小学校では月に一度、午前の時間すべてを使って「部落差別反対全校集会」が行われる。

その集会の主役はもちろん、部落出身の子だ。「部落差別反対」と書かれた旗やプレートを持っていた。国会前で行うデモを想像していただければわかりやすいかと思う。

そこでは先生がこんなスピーチをする。

「住んでいる場所で差別をしてはいけません」

生徒は誰もそんなアホなことしてません。

「韓国人を差別するのはダメです」

したことねーよ!! つーか、いねえよ周りに韓国人なんて。

部落出身の子は「そうだ! そうだ!」とか言う。

私は心の中でこう思っていた。「お前ら、部落差別なんてされたことねえだろ」

その集会のメインイベントは「生徒による部落差別体験発表」である。部落差別されたことを涙ながらに全校生徒の前で発表する。

「ボクは顔にある大きなホクロをバカにされました」

「クラスの子に『ブス』って言われました」

「○○君に貸した本が返ってきません」

部落差別にまったく関係のないことが全校生徒の前で次々と発表される。それを涙ながらに聞く先生たち。どれもこれも帰りの会で言えば済むような話だ。

別に発表するのはいい。差別反対を訴えるのもいい。しかし、過剰な「部落差別反対」運動で、部落民と非部落民との間に大きな溝ができてしまっていた。

★★★

多数を占める部落出身の子はこの日だけは「オレたちが主役」とかなり張り切っている。旗を振り回し、プレートかかげ、声をあげる。

まだ幼かった私はどうしてもその旗を持ちたかった。皆と一緒に「差別反対!」と言いたかった。

勇気を出して旗を持っていた子に「旗を持たせてほしい」と言った。するとそいつはこう怒鳴った。

「お前、部落民じゃねえだろ! これは部落民じゃなきゃ持てないの! あっち行ってろ!」

なぜ非部落民は旗を持ってはいけないのか。皆と一緒に声をあげてはいけないのか。

「人間皆平等」なら、非部落民も旗を持っていいはずだ。団結したっていいはずだ。

「いいやん! 貸してよ!」私は半べそで言った。

「あかんって! ボケ!」怒鳴りながら、そいつは私に蹴りを入れてきた。

私は地べたに這いつくばって、ビャービャー泣いた。こんな酷い仕打ちってあるか。

先生は近くにいたが、傍観している。

そのイベントでは「非部落民=悪」なのであった。部落差別なんてしたことないのに。住んでいる場所なんて考えたこともないのに。

先生が勝手に「生徒は部落差別をするだろう」という前提で、このような集会を開き、道徳の時間に「部落は悪いところじゃありません」と説く。何回も言うが、生徒は「部落出身はダメだ」なんて思ったことがない。皆、仲がいい。

先生が放つ「部落は素晴らしい」「皆、平等」そんな声を味方にし、部落出身の生徒は自尊心を高めていく。部落地域にしかない児童館に非部落民が入ると、白い目で見られる。イベント情報などは非部落民には入ってこない。

そこには確実に「非部落民差別」が存在していた。

先生は「部落民は差別されている可哀想な存在」みたいな認識があるから、非部落民差別には目をくれない。まったく問題にしていなかったみたいだ。

★★★

「部落差別はいけません」しつこいぐらいの集会、授業、先生の指導がなければ、私たちはなんの問題もなく、皆仲良くできたのだ。

部落民と非部落民の間に溝を作ってしまったのは、確実に先生の責任である。誰もそんな概念気にしていない、というかむしろ「住んだ場所で差別とか、昔の人はアホやな」とバカにしていたぐらいだ。

部落差別はなくなりつつある。(と、思う)少なくとも私たち次の世代が社会の中心になるころには部落がどうのこうの、なんて大した問題じゃなくなっているはずだ。

あの小学校で「非部落差別」が発生し、生徒たちの間に溝を作ったのは間違いなく教育のせいだ。

消えつつある概念をわざわざ掘り起こす必要はない。余計なことを生徒に教える必要はない。

存在価値のないものは放っておけばいずれ消えていくものだから。

#エッセイ #部落 #小学生 #差別

働きたくないんです。